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テーマ:モータースポーツ(1599)
カテゴリ:ダイハツ チャレンジカップ
今回は、私が、今まで出場したダイハツチャレンジカップについて覚えている事を書きたいと思います。
始まりは、Kカースペシャルとゆう雑誌にダイチャレの第1回大会(1995年・平成7年)の第1戦の記事が、 載っていて ちょうどその頃 後輩にシャレードGT-tiを売ったばかりでした。 ミラTR-XX(L70V・60年式 キャブターボ 50馬力)しか所有していなかったので ミラで簡単に出られる 何か無いかな~?なんて物色しているところでした。 1995年の第2戦のエントリーしようとDCCSに電話して開催日の書いてある規定書&申し込み用紙を取り寄せましたが、 上の娘の幼稚園の催し物と重なったため エントリー出来ずに 第3戦からの参加でした。 この第3戦は、ダイチャレ最初で最後のスポーツランド信州のオフロードコースで行われました。 オフロードタイヤなどもっていない私は、スタッドレスタイヤでの参加でした。 数年前にオフロード6時間&12時間耐久に参加したて累計10時間以上走った事が、有るのでコースの事は、よく知っていました。 そしてダイチャレは、エントリーの半分は、DCCSに用意した「サクラ」の方だと思います。(笑 当日は、台風が、接近していたために天気は、雨。 路面は、グチャグチャで完熟歩行など出来るはずも無くスタート! 実は、私は、この1本目は、練習だと思っていたのでコーナーは、無難に走りストレートでアクセルを緩める始末でした。 当日は、走行が、2本で 結果は、L2T、エントリー6台中5位でしたが、2本目のタイムは、3位のタイムだったので1本目が、悔やまれます。 また、この時に妻と幼稚園の娘と2歳の娘の家族4人で行きましたが、雨で妻と子供が、大会中居る所が、無いため計測をしていた部屋の中へ入れていただきました。 「家族で来る方が、居るんですね~」と数年後にオフィシャルの方に言われましたが、「セナ太郎さんが、家族を連れて来たので 今のほのぼのとした雰囲気になったんだよ」との事です。 ダイチャレが、始まって最初の年でしたので、DCCSさんの方もまだ試行錯誤状態だったようで 最初は、もっと競技性を強く打ち出す方向だったみたいです。 確かに1997年までは、ラリーのように順位に応じたポイントが、付いていてポイントが、張り出されていたのを覚えています。 そして悔しさのあまり 第4戦にエントリー! 佐久のフォーミュラー倶楽部で何を間違ったか? ミラアバンツァートR(L502S)が、エントリーし始めましたね。 ミラTR-XX(L70V)で 2位の方と約5秒差のブッチギリ!優勝なんかしてしまったので それ以来ヤミツキです。 後日談ですが、オフィシャルの方が、私の車を見て「あの車は、お金が、掛かっているように見えないね~」ですって 確かにタイヤをYのM5にマフラーを藤壺に変えただけのミラでした。 まだ、リザルトが、手書きでした。(笑 第4戦のL4クラスで優勝したK浦さんが、ダイチャレの最高齢優勝者記録だと思います。 コースもA・Bと2種類あってA・B・B・Aと走行しました。 1995年 9月17日、3戦5位、全エントリー45台 11月 5日、4戦1位、全エントリー54台 1996年は、L502Sミラが、大量にエントリー。 L70Vミラだと最高6位に入るのが、やっとでした。 リザルトが、手書きから印刷に変わりました。 この年のダイチャレのパンフレットに私と家族の写真が、掲載されました。 見出しは、「みんなで楽しんでいます。」 内容は、「こうやって娘たちが応援してくれるので、家族の幸せを実感しています。若い人たちにはかないませんが、結構楽しませてもらっています。」 第1戦、A・B・B・Aコースでした。 第2戦、コースにC・Dコースが、加わりC・D・D・Cと走行しました。 第3戦&第4戦は、C・C・Bコースでエントリー台数が、増えたので3回の走行でした。 この年ラリーで使っていたDRS仕様のL210ミラをL502Sミラ・アヴァンツァートX2に変えてワークスドライバーの2人が、L2Tクラスにエントリー。 1996年 5月12日、1戦 6位、全エントリー60台 6月 9日、2戦13位、全エントリー52台 8月25日、3戦 6位、全エントリー91台 11月10日、4戦 6位、全エントリー91台 つづく。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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