第六話「機神覚醒」見渡す限りの湿原。地を埋め尽くす赤と茶と緑の斑模様。 しかし、それは不純であるからこそ澄み切った水面よりも強く陽光を照り返す。 その光りを受け、天に舞う一組の男女。 交差し、打ち付け合う刃が奏でる輪舞曲に乗せて、二人はどちらかが果てるまで踊り続ける…。 『ク…ッ、こんなものっ』 『この私と、互角に渡り合うか…っ』 ヴェイルの駆るディン・ベルグが太刀を構えて飛翔する。 その刃を向けられているのは、間違いなく私とヴァルシードだ。 目線よりも高い位置から飛び込んで来る彼の縦斬りに、両手で柄を握ったヴァルシードの太刀を横一文字で迎え撃つ。 ガキンッ!! 空中での剣撃は、足が地面についていないから、受ければ衝撃を和らげる事が出来る。 受け流す事が難しい彼の鋭い一撃には、もってこいの対処法。 だから、受けても体勢を崩す事なく反撃に転じる事が出来る。 『そこ、ガラ空きですっ』 『チィッ!』 弾かず、刀身を斜めに滑らせて力の方向性を変えられたヴェイルの剣が無為に空を切る。 その瞬間を見逃さず、私は隙の出来た左袈裟に流れるような動きで斬撃を返した。 だが… ブォッ 白刃が切り裂いたのは、そこに残された黒い残像だけ。 フッと掻き消された影の向こうには、ディン・ベルグが自らの健在を誇示するかのように立ち尽くしていた。 『分身…?』 『マグナの使い方を知れば、造作も無い』 マグナ…? 時折、耳にする単語。 剣の稽古をしている時、ヴァンも同じ単語を口にしていた。 でも、それが何であるかは、聞いていない。 そのマグナというのが使えれば、今のような動きが出来るというのだろうか? …と、今はそれを考えている暇など無い。 冷静に、敵の動きを見て、予測し、反応しなければ…。 私は、距離を考慮して、一息。呼吸を整える。 『フゥ………ッ』 剣道の試合でもそうだったように、一撃一撃で息を止め、打ち込むと同時に気合を吐き出す。 その為の呼吸法。 柄を握る手にキュッと力を込め、飛び込むように下段構えの一太刀。 『てぇぇぇーーーーーーーいっ!!』 『この距離で、そのような大振りが通用するものかっ』 距離を詰め、一気に振り上げる太刀。 だが、それはディン・ベルグのバックステップで易々と交わされ、空を切り裂く。 そして、大きく振り上げられた太刀の重さに振り回されたヴァルシードに向け、今度はヴェイルが反撃に転じようとしていた。 『それこそ、隙という物だっ』 乗ってくれた! それは隙ではなく、いわばフェイント。 私はヴァルシードに大きく太刀を降らせた事で遠心力を生み出しその勢いを殺さず、前へと伸びるように左足を突き出す。 『っ!?』 決まった。…そう思った時だった。 『え…っ、どうしてっ!?』 繰り出して深々と突き刺さった筈の足刀。 だが、それは奇怪な半透明の壁に阻まれ、ディン・ベルグの腹部を目前に静止していた。 『フェイントとは…やってくれるっ』 『きゃうっ!!』 蹴りを腕で払われ、体勢を崩してしまったヴァルシードの腹部を、彼の逆襲…突き上げるような鉄拳が襲う。 まるで、肺の中の空気が全て吐き出されてしまったかのような感覚に、私は、咳き込みながらお腹を抱えて膝を折ってしまった。 苦しい。 呼吸が儘ならない。 けど、額から流れ落ちる嫌な汗を感じながら、それでも私は懸命に立ち上がろうとしていた。 「…また、あの変な力なの…っ?』 決めた筈なのに…。悔しさを独り言のように呟く。 あの厄介な力をどうにかしないと、致命的ダメージを与える事は出来ないだろう。 どうしたらいいの…? あの能力の効力もその源も解らない。 今の私には、あまりに情報が不足していた。 『…マズイな…』 『ん…何がだよ?』 散り散りになり、撤退を始めた敵本隊の追撃を行おうとしていたオレと小十郎の前で、二体の鎧甲機が刃を交えていた。 位置的に殿を務めているであろう黒騎士と、それを迎え撃つ姫のヴァルシードだ。 両軍の総大将による一騎討ち。如何なる者も決して手を出せない状況。 オレ達には、それを静観する以外になかった。 しかし、見ていて明らかなのは、ヴァルシード…姫が押されているって事だった。 だが、勝負は時の運。 近しい力の持ち主同士の戦いでは、最後の最後まで結果など解らない。 …だというのに、小十郎は状況をマズイという。 『…クリフ。まさか、とは思うが…』 小十郎は少し訝しんだ表情を浮かべ、一瞬言葉を詰らせた。 だが、今も目の前で戦う姫の姿を見て、確信したように続ける。 『…やはり姫さんは、マグナを使えんのか…』 『はぁっ?』 だが、そう言われて思い起こしてみれば、姫がマグナを使った所を見た事なんて一度も無い。 まさか、ヴァンから教わってないのかよ…? だとすると、無茶苦茶マズイ状態だ。 相手がただの雑兵ならまだしも、今、目の前で剣を交えているのは、化け物のような男…黒騎士だ。 マグナ無しで勝てる相手じゃねぇ。 『冗談だろ…マズイなんて次元の話しじゃねぇぞっ』 『…おい、クリフ…ッ』 オレは、慌ててその場を飛び立った。 小十郎など、一人放っておいても何ら心配ないからな。 だが、姫の事となればそうはいかない。 今は、この疑惑をヴァンに問い質す事しか考えられなかった。 『オイ、ヴァンッ!!』 『…ん、クリフか。そっちは片付いたのか?』 『それ所じゃねぇ!アンタ、姫にマグナの使い方は教えたかっ!?』 何を鼻息荒くしてるんだ?コイツは。 いきなり飛び掛って来そうな勢いで、ザン・バルシュが俺のエル・ド・オーガにつかみ掛かる。 だが、振り解こうにも、その慌てぶりが気になった俺は、その手を払う前に口を動かしていた。 『いや、鎧甲機を動かせる段階で、使い方なんてのは…』 『…クソッ、マジかよ…っ』 どうしたってんだ? 姫がマグナを使えないとでも言いたいのか?コイツは。 普通、鎧甲機を動かせる人間は、比稀なマグナの素質を持ってるもんだ。 そんなのは、使い方がどうのって以前に、鎧甲機を動かせた段階で自由に操れてる。 なんせ、鎧甲機を動かす為のエネルギー源がマグナなんだからな。 なのに、何を焦ってるんだ? そう言おうと口を開き掛けた俺は、クリフの次の言葉に愕然とした。 『…姫は…、まだ、マグナを使いこなせてねぇんだよ…っ』 『な…、そりゃ本当なのかっ!?』 逆に、ザン・バルシュの肩につかみ掛かるエル・ド・オーガ。 信じられない事態に、俺も混乱気味だったんだろう。 だが、俺の混乱などどうでもいいと言わんばかりに、ザン・バルシュがその腕を振り払った。 『んな嘘吐いて何になるってんだっ!』 『そ、そう…だな。それで、ショウコは今何処に…?』 俺がそう尋ねると、クリフは表情を曇らせて振り向いた先…ずっと向こうを見詰める。 入り乱れるドルゥ・ヴァンとグランスレイの鎧甲機。 その只中にあって、高空に広々とした空間を創り上げる二体の鎧甲機の姿が目に映った。 片方は見慣れた白銀の機体…ヴァルシードだ。 だが、その相手は… 『…黒騎士…ディン・ベルグだとっ!?』 一気に血の気が引いた気がする。 背筋が凍り付いたって奴だろう。 『どういう事だ!なんで、ショウコと黒騎士が一騎討ちなんてやってるっ!?』 『撤退するグランスレイの殿を務めていたのがアイツだったんだろうよ…。そうすりゃ、本隊の先頭切ってた姫とぶつかるのも不思議じゃねぇさ』 『クソッ、何てこった…っ』 頭が真っ白になった。 サラとユイは何をやってた!? いや、セイカだって居た筈だ。アイツ等が揃ってて、何故ショウコが一騎討ちなんて馬鹿げた事になってるんだ!? この世界の掟に従うなら、総大将同士の一騎討ちには誰も手を出せない。 助けに入る事が出来ないんだ。 なのに、ショウコはマグナを使えない。 これじゃ、死にに行ったようなもんじゃないかっ! 『クッ、掟がなんだ…っ!今、俺がっ』 誰に罵られようと知った事か! 俺が助けてやる! だが、そう思い、駆け出そうとしたエル・ド・オーガの腕をザン・バルシュがつかむ。 『なっ、クリフ!?』 『バカヤロッ!何考えてやがる!?』 『そりゃコッチのセリフだ!止めさせないと…ショウコが殺されるぞっ!?』 ザン・バルシュの手を振り払い、再び飛び出そうとした俺の顔面に、強烈な痛みが走った。 ガッ!! 上半身が捩れ、仰け反る程の拳だった。 突然の事態に、俺の頭は何も考えられなくなって…エル・ド・オーガもその動きを止めていた。 『冷静になれよ!!』 「!?」 クリフは辛そうに顔を歪め、自身の拳を痛そうに摩りながら怒鳴り付けていた。 『…オレだって、姫を助けたい…。だけどな!一国の主たる姫が、正々堂々とした一騎討ちの場で家臣に助けられたなんて騒がれてみろ!?』 そうさ…。オレだって、出来る事なら今直ぐ間に飛び込んで、姫を助けたい。 だが、もしそんな事をすれば、姫を敬愛する家臣達やゲンシュウの民がどんな思いをするか…。 他国じゃ、こんな噂が流れるだろう。 ゲンシュウの女君主は、一騎討ちの場で家臣に不意打ちをさせる卑怯者だ。とな…。 姫は人民からの信頼を失い、人民は他国の人間から卑下するような目に晒される。 そんな事にでもなってみろ。 …あの優しい姫の事だ。民を想うあまり、贖罪の気持ちから己の意思で命を絶ってしまうだろう。 そんな最悪の結末だけは、絶対に避けたかった。 『…すまない…。オレだけが、ショウコを想ってるワケじゃなかったな…』 『分かってくれたなら、それでいいさ…。けど、この状況はかなりマズイ。何とか出来ねぇのか?』 縋るような目でオレに訴えるクリフ。 だが、目の前で今も尚一騎討ちで剣を交えているショウコに、出来る事なんて何一つなかった。 下手に声を掛けよう物なら、集中力を乱してしまう恐れがある。 かといって、直接手を下すワケにもいかない。 何か、もっと別の要因で、黒騎士の意識を外にでも向けさせなければ…。 だが、そんな時、オレ達の腹の底を掻き乱すような、嫌な気配が辺りを包み込んだ。 『!?』 それは、今までに感じた事のない、異常なマグナの波長だった。 全身の毛穴が全て開いたような…。 悪寒。そう言わざるを得ない。 肌を引き裂れてしまうのではないかと思える程強いのに、それでいて酷く弱々しく儚い感じのマグナ。 矛盾した感覚を与えるソレは、ある一点から放出されていた。 ゴゴゴゴゴ…………ッ 禍々しい波動…。 空を覆い尽くす蒼の海は、赤紫と黒が混在する不気味な色に染まり、暗雲が如く渦巻き状にうねる。 そこから稲光が走り、辺りは、まるで静かな嵐の中に在るかのような錯覚に支配されていた。 『う…くぅっ!!』 これは…何っ? 胸が苦しい。 息が出来ない。 ヴェイルの攻撃を受けたワケじゃないのに…。 ううん、これはむしろ物理的な物じゃなくて、心底から込み上げてくるような…不安? ヴァルシードの中で、私は自分の胸座をつかみ、息苦しさに悶えていた。 剣なんてにぎって居られない。 苦しくて、その場で立っているのが精一杯だった。 「…なんだ?この異様な気配は…っ」 目の前で不自然に苦しみ出すヴァルシード。 あの女の身に何かあったのだろうか? 病…? いや、それとも何か、もっと別の…。 しかし、そんな憶測では拭い切れない奇妙な悪寒が私の背筋を凍り付かせる。 これは、あの女…ショウコの放っているマグナだ。 だが、何故こんなにも不安定なのだ? 圧倒的でありながら、酷く弱々しい。 こんなマグナは、未だ嘗て感じた事がなかった。 『うぅ…ぁあ、あっ!!!』 身体が言う事をきかない。 もう駄目…。立ってる事も出来ない。 内からなのか、外からなのか、押し寄せて来る強い不安に耐え切れなくなった私は、悲鳴にも似た声をあげていた。 胸の奥から張り裂けてしまいそうな力の脈動に、私の身体は手足の指先まで突っ張り、無意識に引っ張り伸ばされる。 ドォォーーーーンッ!!!!!! 自身から放たれた衝撃で、私の五体が砕け散ってしまったかのような錯覚を覚える。 そして、その瞬間に、私は意識を失っていた…。 『…フン、力の使い方も知らんとはのぉ。惰弱な器よ…』 『…っ!?』 なんだ?今の声は。 確かに、ヴァルシード…いや、目の前の女から放たれた言葉だった。 なのに私には、その声がこの女の物とは思えなかった。 声質は同じ。しかし、まるで世界の全てを威圧するかのような、私でさえ気圧される程の圧倒的な敵意を含蓄したそれは、高圧的で剛毅な気配を孕んでいた。 『…そこの黒いの。今からは、この妾が相手をしてやろう。…なぁに、退屈はさせぬよ…フフフッ』 『な…に…っ?』 不気味に微笑む女。 だが、同一人物とは思えないその妖艶な微笑みに、私は一瞬心を奪われてしまった。 サラサラと風に揺られて靡くような艶のある黒髪。 見下されている。そう感じ取れる態度を示されているというのに、私の心は何故か満たされてしまっている。 危険だ。 そうとしか感じられない。 今の彼女は、ふてぶてしさの中に威厳や神々しさまでも感じさせていたからだ。 『…何を怯えておる…?そぉら、もそっと近こう寄らぬか…』 『う…クッ!!』 脚が震えている!? 剣をにぎる、その手までもっ!? 恐怖しているというのか…? この私が…。 グランスレイ軍最強を誇る、四柱将たる、この私がっ!? 『な、無礼るなよ…。小国の君主如きがっ!!』 震える手に力を込め、竦んだ脚を無理矢理踏み込む。 最大出力で飛び出したディン・ベルグに、私は最大剣技で応えた。 ブォッ!!!! 全身のマグナをその刀身に込め、炎のように燃え上がる刃でヴァルシードに一閃を浴びせる。 初速から最高速に達する必殺の一撃だ。 振り上げられたその白刃で、私は一刀の下にヴァルシードを葬ろうとしていた。 …だが、 ガシッ! 鋭く空を裂くディン・ベルグの突進も、山をも断つ必殺の一撃も、彼女の前では余りに無力だった。 『ば、馬鹿な…っ』 ヴァルシードの眼前でピタリと動きを止めるディン・ベルグ。 いや、止めたワケではない。 私は、この瞬間でさえ、全力で白刃を振り下ろし押し続けているのだ。 だが、ヴァルシードの左手一つでつかまれたままの刀身は、ビクとも動こうとしない。 『ぐ…っくっ、どう…なっているっ!?』 押す事も、引く事も出来ない。 まるで、剣だけが時間を止められ、決して物理的な干渉を行う事の出来ない物であるかのような錯覚に陥る。 何という醜態か…。 私の身体は、もがくように足掻いてしまうのだ。 そんな私を、嘲笑うショウコの顔が目の前に在る。 『…これで全力か…?程度が見えたな、黒いの…。フッ…アッハハハハハハッ』 『お、おのれ…ぇっ!』 この状況だ。そんな言葉以外に、何を返せばいい? 私は、こんなにも非力だったのか? こんなにも惰弱だったのか? 何が最強だ。四柱将などと…、思い上がりも甚だしい! 『フフフフフ…ッ。どれ、そろそろ疲れてきたであろう?少しばかり楽にしてやろう………それっ』 そう言い、まるで楽しんでいるかのような、無邪気な笑みを見せるショウコ。 だが、その愛らしい笑顔とは裏腹に、彼女は圧倒的な力の差を私に見せ付けてきた。 ピキッ…ミシミシ…バキィーンッ!!!! 目の前で起こされた奇跡…。 刀身を駆ける鋭い亀裂。 ディン・ベルグの持つ太刀は、ヴァルシュと呼ばれる甲殻虫の甲殻から生み出された特別な太刀。 その鍛え抜かれた刀身は、金剛石さえも一太刀で切り裂き、刃毀れはおろか、決して折れないとされる最上の質を持つ。 …だが、これはどういう事か? あろう事か、この女は微笑みを湛え、まるで硝子の容器でも砕くかのように、難なくにぎり潰してしまったのだ。 『な………っ』 突然、ふわりと軽くなる手の得物。 刃を失い、ただの棒切れと化してしまったそれを見て、私は唖然としていた。 『…ふむ。これでは、もう戦えんなぁ?さて…どうしてくれようか。…フッフフフッ』 他人事のように笑う女。 …何だと言うのだ? これが、この女の真の実力だとでも言うのか? 勝てよう気など、微塵も感じられない。 私は… 「…道化だ…」 全身から力が抜けて行くのを感じた。 もはや、戦う意思など、とっくに失せていた。 『…なんじゃ、もう足掻く事もせんのかえ?』 『…好きにするがいい…。そなたの勝ちだ…』 表情を一転。「つまらない」そんな言葉を映したような無表情で、力無く項垂れたディン・ベルグと私を見下ろす女。 『…ふん、これが妾の血を受け継ぐ者とは…。興醒めじゃな…』 『…なに?』 なんだと? この女、今、何と言った? この私が、この女の末裔だと?? 『ま、まさか…っ!?』 その光景を傍から眺めるオレ達。 ローレンス率いる旗艦ドラグ・ドゥーラとダテ隊は、沈静化を始めた前線から残党の追撃を始めている。 それ以外…つまり、オレと小十郎とヴァン、それに、姫お付きの二人は、彼女の戦いを見守る為にその場に集まっていた。 心配になって駈け付けたんだが…、どういうワケか、強烈なマグナを開放したヴァルシードの前に、黒騎士が劣勢に追い込まれていた。 『どう…なってんだ?』 『…まるで、別人だな…』 驚異的マグナを使いこなした姫の力は絶大だった。 ただ静観する事しか出来なかったオレの内心も、正直ホッとしていた。 だが、一人。 ヴァンだけは、浮かない表情で姫の事を眺めてた。 『…違う…』 『…ん?どうしたんだよ、ヴァン』 『クリフ。お前、わからないのかっ?あんな悪意に満ち満ちたマグナ…あんな物、ショウコな筈がないっ!!』 荒々しく、そう言い放つヴァン。 だが、確かに解らなくもない。 マグナとは、ヒトの精神から溢れ出す生命力そのもの。 その人間が持つ人柄が、周囲に与える感覚に強く影響するんだ。 あの優しい性格の姫さんが、これほど凶悪なマグナを放つとは到底思えないのは事実だった。 『確かに…解らなくもねぇけど…』 そう、オレが続きの言葉を言おうとした時だった。 ヴァルシードの手の中に、新たな金色の太刀が光りと共に現れ、力強くにぎられる。 『…せめてもの手向けじゃ。母である妾のこの手で、葬ってくれよう…』 『クッ…ここまでかっ』 無抵抗な私の頭上に、金色の刃が振り下ろされる。 脳裏に蘇るのは、己が犯した罪の数々…。 だが、贖罪するには、少しばかり遅過ぎたやもしれん。…と、そう自らを哂った時だった。 『止せ、ショウコッ!!!!』 『っ!?』 それは、ヴァンハルトの声だった。 驚いたかのようにビクッと一度だけ身震いしたヴァルシードの刃は、ディン・ベルグの…私の左袈裟に僅かに食い込んだ状態で止められていた。 『グッ!』 肩から溢れ、腕を伝って流れ、指先から滴る紅い鮮血。 だが、痛み以上の呑み込めない事態に、私は顔を訝しめた。 『…そんなの…お前じゃないだろっ!』 『な…なに…っ!?』 オレの言葉一つ一つに細かく反応し、ヴァルシードの身体がギシギシと軋む。 だから確信出来た。 アレはショウコであって、ショウコではないんだと。 『…そんな風に操られて…、そんな風に勝手に戦われて、お前、それで勝ったって言えるのかっ!?』 『き…さま…ッ、ショウコは…私…だっ』 混乱している。それは、彼女の言動から手に取るように伝わって来た。 だから、オレは叫び続けた。 呼び掛け続けたんだ。 「…暗い…」 誰かが、私の事を呼んだ気がした。 「…寒い…」 だけど、身体の自由が利かない。 「…寂しいよ…」 言い知れない孤独感が、私を萎縮させる。 でも、気のせいなんかじゃなかった。 『ショウコッ!!!!』 「!?」 ヴァンの声だ。 何処かで、ヴァンが私を呼んでる。 「ヴァン…?何処にいるの…っ?」 凍えるような身体を自らの腕で抱き抱え、持ち上げ、辺りを見回す。 でも、そこにあるのは、ただの暗い世界。 自分の目が開かれているのかどうかさえ実感出来ない、そんな世界。 それでも、私は捜し求めた。 『う…ぐぅっ!?』 ヴァルシードの中。別人のようなショウコの表情が苦悶に歪む。 『…何があったかは判らない。けど、そんなのお前らしくないだろう?…聞かせてくれよ。ちゃんと、お前の声でっ!!』 また聞こえた…。 私を求めてくれてる、大切な人の声…。 初めて出来た、ホントの友達の声…。 求めてくれてる…。 なのに、私は…、こんな所で…こんな人に取り込まれて…。 「誰なのっ!?」 「っ!」 徐々に意識がハッキリとしてきた。 暗闇の中。そこに、確かに感じた気配を、私は懸命に探す。 「答えてっ!!」 闇の向こうに叫ぶ。 そこに感じた気配には、覚えがあったから。 この数ヶ月、微かだけどずっと感じていたモノだったから。 …すると、思ったよりも早く、反応は返ってきた。 「…そうか…。あの男の声が…」 「…?」 目の前に薄っすらと浮かび上がる人影。 見覚えのあるシルエット…。 でも、何処で見たの…? そう感じていた私は、明確になって行くその容に息を呑んだ。 「っ!?」 「…フッ、何を驚いておる。妾は御主じゃ、サナダ・ショウコ…」 目の前…そう、一メートルくらいの先。 そこに立っていたのは、私と瓜二つの別人だった。 別人…。うん、そう言い切れる。 だってその人は、目の色が私とは違う翡翠みたいで、古い日本画に描かれる天女のような衣装を身に纏っていたから。 「…違う。貴方は、誰…?」 彼女は私だと言った。でも、そうじゃない。 確かに、彼女は私なんだけど、私とは違う存在だって気付いたから。 「…フフフ、察しの良い娘じゃ。確かに…妾を定義するのは、過去の御霊。そなたという概念とは遠く近しい存在に過ぎぬのだからのぉ…」 私とこの人は、似てるけど別の人間。 そう言って、彼女は笑った。 「…そうさな…。卑弥呼…と、そう名乗れば、覚えもあるのかの…?」 「え………」 一瞬、身体が固まった。 卑弥呼って、そう名乗ったから。 「ちょっ、卑弥呼って、あの邪馬台国の…卑弥呼さんですかっ!?」 我ながら、バカっぽい返事だったと思う。 でも、他に卑弥呼なんて名前の有名人、知らなかったんだもん。 「そうじゃ。他に誰がおる?」 「わぁ~…」 一瞬、サイン下さいって…言いそうになっちゃったけど、そこはあえて呑み込んで、先ずは事の経緯を尋ねないと。 どうして、そんな人が私にそっくりな姿をしてるのか。 どうして、私の前にそんな人が立ってるのか。 「それを聞いてどうする?」 「へっ!?」 素っ頓狂な返事。 でも、心を読まれてたって、直ぐに気付けた。 卑弥呼さんって言えば、占術で国を治めた有名な女王様。 だから、他人の心を読めるなんて…お手の物? そう思ったから…。 「…戯け…」 「うっ」 「如何に占術に長けた妾とて、人心を読むなど不可能じゃ」 お、怒られた…。 「じゃあ、どうして…」 そう言い掛けた私に、卑弥呼さんは理屈を説明してくれた。 今から遡る事、数百年前。 占術で国を支配していた彼女は、その特異稀な能力で人々を導き、善政にて国を富ませていた。 でも、その能力故に、彼女には他人に明かせない秘密も隠し持っていた。 霊的力の強かった彼女は、何年経ってもその若さを損なう事が無く、遂には人前に姿を現す事さえ出来なくなった。 でも、彼女もやっぱり女だったみたい。ある時、好きな男の人が出来ちゃって、夜な夜なその人と密会してたんだって。 けど…それが仇になってしまったみたい。 その男の人は、彼女が勝てないと読んだ戦を無理に起こさせてしまって、遂には彼女自身をもその手にかけた。 結局、恋に見る目が曇ってしまった為に、自分の未来を読み取る事が出来なかったらしい。 私の学んだ歴史とはまるで違う真実。 でも、その無念からか、この世界へと落とされた彼女は、その強大な占術と霊的能力を使って、自身が滅んでも生まれ変われるように転生の術をその身に施したらしい。 けど… 「それが誤りだったのかも知れんのぉ…」 「あぅ…」 転生の術は未完成で、別人格の宿る肉体に自身の魂が二重封印されてしまったんだって。 つまり、私という人間の身体に、私と卑弥呼っていう二つの魂が宿ってしまったみたい。 だから、思ってる事も読み取られちゃって…。 でも、現世に居た頃の私には、そんな兆候はなかった。 おそらく、この世界に私が現れた事で、転生の術が完了したんだと思う。 そして、彼女の持ち物だったヴァルシードに乗り込んだ事で、二重封印が解けて… 「妾が表に出られるようになった訳じゃ」 …だって。 いよいよって感じでファンタジーな気配。 でも、じゃあ私って…。 「心配せずとも良い。直に、妾の存在は御主の中へと溶け込み、消え失せるじゃろうからの…」 「え…それって普通、逆なんじゃ…?」 一つの身体に二つの魂。 良く聞く話しだと、それは矛盾している事らしいから、どちらか強い魂に、もう一方の魂は飲み込まれてしまう。そんな話しじゃなかったっけ? 「その通り。既に、妾の魂は御主に喰われ始めておるでのぉ」 「えぇーっ!?」 それって、つまり私の方が強かったって事? 「いや…むしろ、あの男のせいじゃろう。それに応えようとする御主の気持ちが、妾の強き魂をも呑み込んでしまったようじゃな…」 そう言うと、卑弥呼さんは少し悲しそうに微笑んだ。 「まぁ、良いわ。妾とて一国を治めた女王。引き際は心得ておる」 「ごめんなさい…。でも、私には、待っててくれる人が居るから…」 ちょっと悪い気がしたのは事実。 私の存在が、彼女の存在を消してしまうんだから。 でも、彼女は晴々とした笑顔でそれに答えてくれた。 「人…ではなく、人達…じゃろう?」 うん…。そうだ。 私だって、今はこの人と同じ、一国の女王。 私を慕ってついて来てくれる人は一人じゃないんだ。 「うん…。そうですね…」 彼女に甘えてみよう。そう思えたから、心から笑う事が出来た。 「さて…そろそろ時間のようじゃな。妾は消えるとしよう」 「卑弥呼さん…」 「…そう暗い顔をするでない。妾とて、完全に消滅する訳ではないのじゃ」 …そう。私達は、一つになるんだ。 ホントの意味で、溶け合う事になるんだから。 「御主の中で今一度、青春という物を謳歌してみるも悪くない。…フフフッ」 「青春て…」 言葉使いが古い…なんて言ったら、怒られそう。 「戯け!聞こえておるわっ」 「はぅっ!!」 忘れてた…。心は共有してるって事。 「まったく、先が思い遣られるわ…」 笑いながらそう告げた彼女の身体が、微かに薄っすらとしてきた。 「ホントに…ごめんなさい」 「ふん、妾を負かした女が何を惰弱な…。仕方が無い、せめてもの手向けじゃ。受け取れ」 「え…?」 その言葉の真意を確かめる前に、私の意識が後ろから引っ張り上げられた。 「千年王の名、熨斗付けてそなたにくれてやるわっ」 声を返したい。 なのに、声はもう喉から吐き出せなくて…。 暗闇が一瞬にして晴れて、白い光りが眩しく瞼を焦がす。 『ショウコッ!!』 「は、はい!」 目が覚めて、突然名前を呼ばれた。 そりゃビックリするよ…。 『あ、あれ…?ショウコ…?』 「あはは…、ただいま…」 気付けば暗雲は晴れ、ショウコの意識も戻っていた。 アイツから感じるマグナも、何時もの優しい強さを感じさせる物になってる。 『馬鹿ヤロー…。心配させるなよ…』 「ヤローじゃないもん。女の子だもん」 なんて、ヴァンを安心させる為のツッコミ。 でも、直後に私の目が捉えたのは、有り得ない状況。 その光景が、私をホントの現実に引き戻した。 「っ!?」 『う…ぐっ』 空中。 空に浮いた私とヴァルシード。 その自身の手がにぎり締める太刀の刃が、黒騎士…ディン・ベルグの肩に深々と減り込んでいた。 『きゃっ』 慌てて引き抜いてしまった太刀。 その刃が刻んだ傷跡から、紫色の粘液が飛沫をあげて噴出した。 『がはっ!』 苦しそうに左肩を押さえるヴェイルの姿が見える。 きっと、意識を失っていた間に、卑弥呼さんがやった事なんだろう。 『ご、ごめんなさいっ』 『…どうやら…、正気に戻った…ようだな…』 苦しそうな呼吸が聞こえて来る。 そのせいか、咄嗟に謝罪の言葉を浴びせてしまった。 『…いい加減…、トドメを刺して…貰いたいの…だが…?』 『で、でも…っ』 そうだ…。これは、私の力で勝ち取った勝利なんかじゃない。 こんなの…認められない。 私は剣を退き、ディン・ベルグの肩を担いでいた。 『な…、なんのつもり…だっ!?』 その問いに、私は答える義務があった。 『さっきのは、私じゃないんです…。この世界の掟を破ったのは、私。だから、貴方の敗北じゃありません』 身勝手な話しだ。 そんな言葉と行為で許される事じゃない。 でも、放ってはおけなかった。 『貴方の…お仲間さん達の所までお連れします。それで、許されるとは…思えないけど…』 この女は、何を言っている…? 敵軍の総大将の命が、今目の前にあるのだぞ? グランスレイの四柱将。その一人を一騎討ちで討ち取ったという事実があれば、他国への力の誇示へも繋がろう。 それを助け、このまま敵軍の旗艦にまで連れて行こうなどと…。下手をすれば、己が命さえ危うい状況だ。 だというのに、この女は…。 『私に…生き恥を晒せとでも…言うのか?』 『そんな事思ってません!…ただ、納得出来ないんです。どうしても…』 『生かして帰せば…、また貴様等を襲うぞ…?』 『分かってます…。そのせいで、また多くの人達が命を失うって事も…。でも、それでも、一国の主として、自分に恥ずべき行為はとりたくないんです』 …私の…、完全なる敗北だな…。 この女…いや、彼女は、一国を治める君主として、十分な気概をしっかと持っておられる…。 たかだか一軍の将である私など、遠く及ぶものではなかったという事か…。 『あ、あの馬鹿!、また無茶苦茶な事をっ』 『…姫さん一人を危険に晒す訳にはいかんな…』 『私達も、ついてかないとっ』 『ちょ…ユイッ!?…んもうっ、姫様もユイも、無茶し過ぎっ』 『ハハハッ!いいや…ショウコらしいよ。まったく』 目の前を行くヴァルシード。 もはや一騎討ちの掟など効力を失ったも同じだ。 俺を初め、クリフと小十郎。そして、お付きのサラとユイも、その背を追い駆ける。 この事を他国の奴等がどう罵ろうと、オレ達はその「ショウコらしい行為」を胸張って誇りだと言える。 この先、何度だって同じような事がある筈だ。 それでも、俺達は、アイツに従うんだろうな…。 それがきっと、ホントの家臣ってもんなんだろう。 だからこそ、堂々と敵陣に乗り込み、ヴェイルを引き渡して、俺達は凱旋を果たしたんだ。 完全な「勝利」を手土産に…。 ジャンル別一覧
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