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戦場の薔薇

戦場の薔薇

第八話「傍若無人」

三大大国が一国、チュウキュウ。
私が太守として治めているゲンシュウとは、まるで比べ物にならない程大きな国。
経済的にも人心的にも豊かなこの大国は、国土の三分の一を森林が占める緑の国。
建物の様式は、千年以上も昔の中国の宮廷を彷彿させる物で、伝統のような何かを感じる。
街を行き交う人々の表情も柔らかだ。
とてもじゃないけど、戦争をしている国とは思えない。

「イイ国だね、ココ」

と、楽観的な一言。
けど、隣を歩くローレンスの表情は堅い。

「…表面上は、ですが…」

表面上?
ローレンスの言葉に、私は訝しんだ表情で小首を傾げる。

「徹底した報道規制を敷き、国民に対して国内外の情報を偽っているのですよ。そうでなければ、国内各地で頻発している紛争状況をこんなにも笑って見過ごせはしないでしょう」

報道規制…。
つまり、国民には語れない事実を隠してるって事?
そっか…。そうじゃなかったら、ローレンスの言う通り、各地の惨状を知った上で平穏な暮らしなんて出来ないよね。
ココに至る道中で、チュウキュウの国境付近から幾つか黒煙の上がる廃墟を目の当たりにして来た。
あの光景を思い出せば、「イイ国」なんて言葉は思い付かない。

「…この先で、ヴァン達と合流する予定です。そこに、迎えの飛行艇が用意されているとの事。くれぐれも、油断なさらないように」

「う、うん」

私は、思わず息を呑んで返事をした。
緊張しているんだ。
だって、同盟締結の為にやって来たとはいえ、ここは未だ敵国。
小国とはいえ、私は一国を預かる太守なんだから、何時、何処で、誰に命を狙われるかも知れない。
ドラグ・ドゥーラに乗って何時間もの間、空の旅を満喫してしまった私は、ハッキリ言って旅行感覚に陥ってしまっていた。
だから、もう一度、気を引き締め直す。

チュウキュウ帝都フーロン軍港。

そこにドラグ・ドゥーラを停泊させ、私とローレンス、そして、サラとユイの四人は軍港の入国口を目指していた。
ここを出れば、ずっと前にテレビで見たような、外交官と総理大臣の挨拶と握手~みたいな事をするんだろうけど…。億劫だった。
ニコニコ作り笑顔で形式的な挨拶。そんな事、出来るのかが不安だったから。
作り笑顔なんて、正直知らないんだから仕方が無いでしょ?
変に強張った笑顔なんて浮かべたら、それこそ外交に支障をきたすもの。

「頑張らなきゃ…っ」

握り拳にキュッと力を込め、決意を新たに、私は歩き出す。
…だけど、軍港を出て直ぐに、状況が一変した。

「あ…アレ??」

本当は、大歓迎~♪って感じを期待してたのに、そこには待っててくれた人なんて誰一人居なかったから。
それどころか、私達の事を無視して兵隊さん達が奔走してる。

「どういう事?」

話が違ってる。そんな疑問をぶつけようと、ローレンスの方を振り返った私が見たのは、表情を強張らせて遠くを見詰める彼女の姿だった。
ううん、ローレンスだけじゃない。サラもユイも、酷く驚いた様子で同じ方向を向いたまま固まってしまってる。
そんな状況で、彼女達が何を見ているのか気にならないワケがない。
私は、無意識に同じ方向を見上げた。

「っ!!」

声にならなかった。
軍港を出て、直ぐそこ。
慌しく大通りを駆け抜けるチュウキュウ軍兵士達のずっと向こうで、巨大な建物の天辺から黒煙が噴出していたんだから。
火事…?
ううん、ちょっと違うみたい。
だって、壁に空けられた大きな穴から煙が噴出しているんだから。
ただの火事では、あんな大穴が空く事は無いと思う。
じゃあ、なんで…?

「あの煙…宮廷内部に爆発物でも仕掛けられたのか?」

そうか!
きっと、ローレンスの言ったその言葉が正しい。
内部からの爆発でも起こらない限り、あんな風な穴の空き方だってしないもの。
でも…宮廷?
しかも、てっぺん辺りっていう事は、私もあの場所で会合を行う予定だったって事?

「う…っ」

爆発に巻き込まれた自分を想像して、身震いしてしまった。
実は、ドラグ・ドゥーラの故障が原因で、一時間程到着が遅れてしまっていたのだ。
もし、故障が無く、定刻通りに到着を果たしていたなら、今頃私は…。
一瞬、元の世界に居た頃、テレビで見た爆破テロ事件を思い浮かべてた。
救急車で運ばれて行く幾人もの死傷者。
その場の誰もが恐怖と怒り、そして悲しみに表情を歪ませ、嘆き、嗚咽を上げる。
今、この瞬間も、目の前の現場では同じような事態に巻き込まれた人々が苦しみに喘いでいるんだろう。
これもまた、戦争の形の一つなんだろうか…。

「助けたい…」

素直な気持ちだった。
正直に、何故かそう思えた。
私の力が何かの役に立てるかも知れない。
そう考えたら、居ても立っても居られなかったんだ。

「ひ、姫っ!?」

ローレンスやユイ、サラの制止を振り切り、私は駆け出していた。
道なんてわからない。
だけど、黒煙吹き上がる頭上の宮廷を見上げ、ただひたすらに走り続けた。
整備舗装された街路。
普段は笑顔の絶えない賑やかな繁華街なのだろう。
まるで、中華街のような景色に、何時もの私なら空腹を刺激されるのだろうが、今は立ち込めるきな臭さで胸が苦しい。
それに…、何故だろう?
私は何かに導かれるように、迷う事無く宮廷の前まで辿り着いていた。

「ハァ…ハァ…ッ」

肩で息をして、それでも辺りを見回す。
武装した兵士達が口々に指示内容を叫び、右往左往に走り抜ける。
宮廷の出入り口からは、次々と運び出される負傷者達。
門兵なんて立っていない。
現場は騒然とし、混乱の渦中に在った。

「もっと向こう…。誰かが…呼んでる?」

声が聞こえたりとか、そういうワケじゃない。
ただ、漠然と、そんな気がしただけ。
だけど、確信を以って一歩を踏み出せるほど、確かな気持ちだった。
自身の靴音が石畳を鳴らし、駆け抜ける。
ここは、一国を治める君主の居城。だけど、混沌の只中にある今は、侵入者である私を呼び止める者さえいない。
私が住んでるお城とは作りもまるで違う。でも、やっぱり外敵から君主を守る為の工夫が幾つも施されてる。
普通なら、道案内も無しでは抜けられないような迷路。
三国志の世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚に陥りながらも、私は一つの意志に誘われてそこへ至っていた…。

「っ!!」

蝶番の外れた左右の扉。
壊れてしまって、既にその意味を成さないモノの向こうに、私は見ていた。

「ケッ、こんなヤツがチュウキュウの皇帝様だぁ?温くて欠伸が出るぜ…」

「が…かはっ!!」

リャン・クーファ。
白髪の五十代半ばといった感じの、初老の男性。
その顔に刻まれた年輪は、普段なら威厳を感じさせるのだろう。
でも今は、苦悶の表情を、よりリアルに映し出す要因以外の何物でもなくなっていた。
彼の胸板を貫く巨大な大剣の白刃。
そこから溢れ出し、流れる夥しい量の鮮血は白い床を真っ赤に染め上げていた。

「はぁ~…つまんねぇなぁ。肝心の「お姫様」は見付からねぇし。期待してた「武帝」ってのも、こんな老い耄れじゃあなぁ…」

「ゼ、ゼノン、ゲイルハート…ッ、貴公、自分が何をしたか…解っておるのか…っ!?」

「ぁあ?」

リャン・クーファは、自身に剣を突き立てた大男に向かって、苦しみながらもそう尋ねていた。
すると、ゼノンと呼ばれた大男は、高慢な態度で威圧的に返事を返すと、その突き立てられた切っ先を一気に引き抜く。

「ぐっは…っ」

同時に噴出す血飛沫。
リャン・クーファの身体は、支えを失ってドサッと床に倒れ込んだ。

「ワシが、討たれれば…、息子が…、チュウキュウの民が、黙ってはおらん…ぞ…っ!?」

「国際問題ってか?ハハッ!面白ぇじゃねぇか。大いに結構なこったぜ」

「な、にぃっ?」

「そうなりゃ、好都合ってな。俺は、戦を楽しめりゃ~それでいいんだよ」

「ぐ…くっ」

何てヤツなの…。
人殺しを何とも思ってないんだ。この人は。
自分が傷付けた相手を前に、憎らしい程嬉しそうに笑ってる。
何がそんなに楽しいの?
何をそんなに喜んでいるの?
人が死ぬ事が、そんなに嬉しい事なのっ!?

「さてっと…。死に損ない相手にお喋りも飽きたな。そろそろ死ねや…」

「っ!?」

身の丈をも超える大剣を振り上げ、リャン・クーファにトドメを刺そうとゼノンは笑みを浮かべる。
許せない…。
そんな事、させてたまるもんかっ!

「ハァァーーーーーーーーーーッ!!」

「んっ!?」

外れかけた扉を蹴破り、私は腰の太刀を引き抜いて、ゼノンに向かって斬りかかった。
途端、私に気付いた彼は、振り上げた大剣を眼前に戻し、それを盾に私の斬撃を弾く。

「やらせないわっ」

「ヒュ~、アブネェ、アブネェ」

不意打ちのつもりだった。だけど、彼は悠々とそれを防ぎ、また憎らしい笑みを浮かべる。

「気付いちゃいたが、まさか女だったとはなぁ。だが、いい腕してるじゃねぇか」

余裕綽々って感じ。
悔しい。
コッチは真剣に組み合ってるっていうのに、まるでビクともしないなんて…っ。

「…それに、良く見りゃなかなかイイ女じゃねぇか。お前、名前は?」

コ、コイツ、いったい、何処見て喋ってんの!?

「この…っ、変なトコ見るなぁーーーーっ!!」

打ち付けた太刀を一度引き、鋭く突き出してスケベ男の頸根を狙う一撃。
しかし、それをサッとバックステップで交わし、ゼノンは空いた片手で自身の顎を摩りながらイヤラシイ顔で笑った。

「おぉ~おぉ~、可愛いねぇ、耳まで真っ赤にしちまって。…どっかの好色女とはエライ違いだな」

完全に私をナメ切ってる態度と言動。
それが余計に腹立たしくて、私は挑発されてしまう。
無意識に身体が強張って、剣をにぎる腕も緊張してしまっていた。
だけど、それに気付けなくて、興奮した私は熱くなった頭のまま、我武者羅に太刀を振り回してしまった。

「このっ!このぉっ!!」

「おいおい、そんなんじゃ、当たるもんも当たらねぇぜ?ハッハハハハハ」

あんな大きな身体で、あんな大きな剣を持ってて、どうしてこうも簡単に交わされてしまうの!?
あぁ~ムカつくっ!
こんなヤツ、さっさと死んじゃえばいいのにっ!!

「ふん、まるでなっちゃいねぇな」

「っ!」

力一杯に振り下ろした私の太刀を、ゼノンが切り上げ気味の横薙ぎに振り払った大剣で弾き飛ばしてしまった。
鋭い金属音と共鳴する室内。
痺れた私の手から離れた白刃は、高々と宙を舞って床に突き立てられた。

「あぅっ」

太刀を弾かれた衝撃で、私は突き飛ばされたような形から床に尻餅をついてしまう。
そして、初めて冷静に周囲の状況を把握出来た。
ゼノンの立つ更に向こう。その壁には大きな穴が空いていて、周りには、砕け散った木片に未だ炎が燻っていた。
熱気がチリチリと肌を刺す感じもある。
白いと思われた床にも、黒く焼け焦げて変色した部分が多く見られた。
三十畳程の広さがあるその部屋は、恐らく、先程地上から見上げていた宮廷の炎上部分に当たるのだろう。
そして、リャン・クーファは、その場に居合わせてしまったんだ。
直ぐ真横で横たわる彼の焼けた服装から、それが窺えた。

「殺すにゃちと惜しいな…。お前、俺の女にならねぇか?」

「ふざけないで…。そんなの、絶対イヤ」

即答で返す。
すると、ゼノンは残念そうに頭を抱え、大剣の切っ先を私の喉下に突き付ける。

「まぁ、力尽くってのも…悪かねぇか」

「………っ」

イヤラシく口端を吊り上げ、大剣の切っ先を頸根から徐々に下方へと下げて行くゼノン。
直後、ビリッと嫌な音が耳を打つと同時に、私の服の胸元が大きく引き裂かれた。

「んだよ…。少しくらい泣いて見せろって。可愛げねぇぜ?」

絶対に嫌だった。
声を出してしまえば、途端に泣き出してしまいそうなほど恐かったから。
そうじゃなくても、恐怖で身体が強張って、指先一つ動かす事が出来なかった。
こんなヤツに何かされるなんて、想像しただけでも虫唾が走る。
イヤ…。
誰か、助けて…っ。
声にならない声で、私は懇願するように瞼をギュッと閉じた。
その瞬間だった。

「野蛮な…」

「っ!?」

ヒュンっと風を切る音に、私は瞼を開いた。
咄嗟に反応し、防御の為に立てられたゼノンの腕に、鋭い小刀のような物が突き刺さる。

「…痛ぇじゃねぇか…。何処のどいつだ?」

その突き刺さった小刀を、まるで躊躇する事無く口で銜えて抜き去り、吐き捨てるゼノン。
その目は、部屋の入り口の方へと真っ直ぐに向けられていた。

「彼女は、「我が国」チュウキュウの客人。これ以上の手出しは見過せないのですよ」

「…イーシャ・クーファ…か。フッ、面白くなってきた」

イーシャ?
この人が、チュウキュウ皇帝リャン・クーファの…。
私やリャン・クーファと同じ黒髪。それに、綺麗な顔立ちだけど、多分アジア系。
背丈はヴァンと同じくらいかな…。
だけど、目付きや顔の造りは凄くシャープ。
女の子にはモテそうだけど、タイプが全然違う。

「チュウキュウの若頭…。クッククク…腕が立つって専らの噂じゃねぇか。いいねぇ、やれるんだろう?手前ぇ」

「ご所望とあらば…お相手しますよ」

ゼノンはイヤラシイ笑い。
対して、イーシャは冷たい微笑。
互いに笑みを浮かべ、得物を手に腹を探り合ってる。
見ていて解る。
二人とも…

「無茶苦茶、強い…っ」

私がつい口から漏らしたその言葉を皮切りに、両者は武器を構えて飛び出した。

「オラァーーーーーーッ!!」

「ハッ!!」

ぶつかり合うと同時に耳を突く金属の衝突音。
その衝撃波だけで、私の前髪は逆立つ程揺れる。

「やるねぇ…。俺様の剣をそんな細身の剣で受け止めるたぁな」

「生れ付き器用でしてね。力だけの剣など、易々と見切れるのですよ」

「言ってくれるじゃねぇか…ぁあっ!!?」

大気を砕くような轟音と共に、振り払われたゼノンの大剣。しかし、それを流れる水のような動きで華麗に受け流し、細身の長剣で鋭く突き込むイーシャ。
一進一退の目まぐるしい攻防に、私は目を奪われてしまった。

「んの野郎!ちょこまか飛び回りやがって。ハエか手前ぇはっ!?」

「おやおや、酷い言い草だ…。猪のような方に言われたくはありませんねっ」

一分?それとも、一時間?
時間の感覚を失う程、私は二人の剣舞に見入ってしまっていた。
気付けば、回りはヤケに騒がしくなっていて、人だかりが出来てしまっている。
きっと、騒動を聞き付けた守衛達が集まって来たんだ。

「チッ、これ以上は鎧甲機が必要になるか…っ」

「止めておきなさい。幾ら貴方でも、今のチュウキュウをたった一人で落とす事など出来ませんよ」

そう言うと、イーシャは私の方に目を向けた。
それは、ゼノンに私の存在を語る為だったんだと思う。

「…オイオイ、冗談だろっ?その女が、例の「お姫様」だってぇのか!?」

「少しばかり御転婆が過ぎるようですが…アイドルとしては申し分ない。そうは思いませんか?」

突然、剣を引き、私を視点に置いて語り始める二人。

「はぁ~ん…、確かに。あの好色ジジイが好みそうな女だ」

「お噂はかねがね…。ですが、お渡しする訳にはいきません。父リャン・クーファ亡き今、この国の象徴と成り代われるのは、彼女しか居ないのですからね」

え…?
どういう事??
リャン・クーファは、危険な状態とはいえ、まだ息がある。
それに、私がこの国の象徴?
ゼノンの言う好色ジジイっていう人の事も良く解らないけど、何を言ってるの?この人達。

「…そういう事かよ。大したタマだぜ、手前ぇ。実の親父を自分の手も汚さずに始末したってワケか」

「人聞きの悪い…。私は、こうして父上をお助けしに参上したではありませんか。…ただ、少し遅過ぎただけの事ですよ」

ゼノンの言葉で、ようやくピンときた。
最低だ、この人達。
無慈悲に人殺しを楽しむ悪党と、野心の為には父親の命さえ厭わない悪魔のような男。
そして、両者に言える事は…

「私を、利用したかっただけって事…?」

私という存在を手に入れる為に、目の前に横たわるこの人は犠牲に…。
未だ息のあるリャン・クーファを見詰め、私は私の存在意義に疑問を感じていた。

「ごめんなさい…。こんな事になるなんて…」

罪の意識からだろうか。
私は、彼の胸から溢れ出す鮮血を汚らわしいとは思えず、抱き上げ、ただただ許しを請う事しか出来なかった。

「ごめんなさい…っ、ごめんなさい…っ」

何時しか、私の目には涙が溢れていた。
そんな私の頬に、冷たい指先が触れる。

「…一国家の君主たる者が、そう容易く、涙を流す物ではない…」

「リャンさん…?」

血の気が引き、氷のように冷たい筈の彼の指先。
だけど、私の頬に触れたそれは、何故か暖かく感じられた。

「何時か…、こうなる事は解っていた…。いや、こうあって欲しいと、望んでいたのかも知れん…」

「どうして…、なんで、そんな事っ」

私には、彼が何を望んでいたのかが理解出来なかった。
だけど、彼が本当にそう望んでいたのだと、その力無い微笑みは語っているようだった。

「我が子の成長を喜ばぬ親など在るものか…。息子は…イーシャは、ワシを超えたのだ…」

その言葉が、彼の想いの全てを語ってくれていた。
子は何時か、親を超えて行くもの。
そして、それがどんな形であれ、彼にとっては喜ばしい事だったんだ。
だけど…

「こんなの…、間違ってるよ…」

一粒。そして、二粒。
私の頬を伝う涙が、リャン・クーファの真っ赤な服を濡らした。

「優し過ぎるというのは、君主として、時に仇となろうぞ…?だが、だからこそ、そなたに託す事が出来るというものか…」

「………?」

涙に暮れる私の首に、リャンは自身の胸元を飾っていたネックレスを預けて続けた。

「これは…?」

「我が国、チュウキュウ皇族に伝わる秘宝…。千年王より給わりし、その命の欠片…」

何を…言ってるの?
これが、卑弥呼さんの物…?
自分の首にかけらたネックレスのヘッドを手に取り、私はジッとそれを見詰めた。
凄く綺麗…。
白銀の装飾に小指の先くらいの小さな宝石。
ダイヤモンドとかクリスタルみたいな、透明感のある白い結晶。
だけど、反射する輝きは七色で、温もりのような物さえ感じる首飾りだった。

「そなたなら、あのお方の御霊を解放出来よう…。チュウキュウを…マリア様を、頼む…」

「え…?」

その言葉を最後に、リャンさんの身体から力が抜け、まるで糸の切れた操り人形のように、床に崩れ落ちた。

「リャンさん…?リャンさんっ!?」

「………」

幾度呼び掛けようと、彼が再び瞼を開く事などなかった。
ヒトの死。
私の手の中で息絶えたリャン・クーファ。
思考が混濁とし、私は、無意識に涙を流し続けていた。

「お逝きになられましたか、父上は」

「イーシャ…、貴方って人は…っ」

確かに、この人が殺したワケじゃない。
だけど、この人には、彼を救うだけの時間も力量もあった筈だ。
なのに、そうはしなかった…。
それが、許せなかった。

「実のお父さんなんでしょう!?どうして…っ!!」

涙ながらに、そう尋ねた私を、彼は冷たい視線で見下ろしながら微笑んだ。

「判りませんか?時代は、父上ではなく、私と貴女を望んでおられるのですよ」

「そんなの…判りたくもない!」

実の父親を殺してまで、彼が手に入れたかった物っていったい何なの?
富?名声?権力?
そんな物の為に、この腕の中の彼は死ななければならなかったの?
判らない…。
分からないよっ!

「お姫様よぉ。コイツがやった事を否定するのか?」

「ゼノン…ゲイルハート?」

剣を収め、ゆっくりと歩み寄って来るゼノン。
彼は、先程までとは一転した穏やかな表情で、私に言葉を語った。

「俺達クウェルノ・ヴェーレに落とされた人間には、誰しも少なからず持っている想念ってもんがある。ソイツぁ復讐だったり、野望だったり、人それぞれだ」

前に、ヴァンから聞いた事のある話しだった。
生前の未練が、私達をこの世界に留めているのだと。
だけど、それが何だって言うの?

「小難しい事は判らねぇ。だがな、その男の顔に、未練はあるのか…?」

リャンの顔に…未練?
…ううん。この人は、イーシャの成長を心から喜んで息絶えた。
その満足気な死に顔から、それは痛いほど強く伝わって来る。

「少なくとも、コイツは満足して死んだ筈だ。…武帝とまで謳われたこの男。どんな死に方でも、息子の成長した姿を前に死ねたなら、本望だったんだろうぜ」

そういう物なの?
私には、やっぱり未だ理解出来ない…。
それが男の人の美学だって言うのなら、私には、この先もきっと、理解出来ないんだと思うけど…。

「…あ~ぁ、興がが殺がれちまった。勝負は預けるぜぇ、イーシャ・クーファ」

「ほぉ…。逃げるのですか?ゼノン・ゲイルハート」

イーシャと私に背を向けて歩き出したゼノンに、イーシャは挑発的な態度で呼び掛ける。
しかし、ゼノンは足を止めず、上半身だけを半分捻るような体勢で、片手をヒラヒラと振りながら応えた。

「悪ぃな、安い挑発に乗ってやれる程、俺も暇じゃねぇんだ♪」

「フッ、気紛れな方だ…」

ですが、流石はグランスレイの四柱将を名乗る程の男…。
この程度の挑発では、引き際を見誤りはしませんか。
食えないお方だ。

「待って!」

「ん?」

咄嗟に、私は呼び止めていた。
この男の言動に、どうしても気になる部分が有ったから。

「貴方も、私を利用しようと考えていたの?」

「ん~…いや、俺は別に、何とも思っちゃいねぇがな。ウチの太守様が、アンタをご所望なんだとさ」

グランスレイ太守…ドルマ・レ・ウル・グランスレイ。
その人も、私を何かに利用しようと考えているっていうの?
私に、いったいどんな価値が…。

「ここらで御暇させて貰うぜ~。じゃあなっ」

「あっ」

私が手を伸ばし切る前に、ゼノンは自らが空けた壁の大穴から軽々と外界に身を投げ出していた。
その直後、巨大な黒い影が大穴から差し込む光を遮って、直ぐに消え去る。
恐らくは、彼が前もって用意していた鎧甲機か何かだろう。
それに乗って、早々にこの場を離れたんだ。

「さて…、ゲンシュウ国太守、サナダ姫」

「…なんですか?」

父親の死を前に、まるで心を痛めた様子を見せないイーシャ。
そんな彼に声をかけられて、明るく振舞えるワケも無い。
私は、冷たい視線を彼に向け、そっけなく返事をした。

「父リャン・クーファに代わり、僭越ながら、私ことイ-シャ・クーファが同盟の儀を執り行いましょう。宜しいですか?」

この人は、自分が太守になる事以外考えていないみたい。
正直、こんな人と同盟を組むなんて考えたくなかった。
だけど、これで幾つもの無駄な紛争を抑制出来るのなら、今、私が選ぶべき道は他に無かった。
それに、もし同盟を断れば、この人は何が何でも私を手に入れようとするだろう。
最悪の場合、チュウキュウとグランスレイの両軍に攻め入られる可能性だって有り得る。
最初から、選択肢など無かったんだ…。

「判りました。同盟の件、お受けします」

「聡明なご判断ですね。痛み入ります…フフフッ」

同盟は、最悪な形で成立した。
集まった守衛達は、おそらくイーシャの忠実な手駒。
こうなるであろう事を知っていたのか、イーシャの指示が無くても各々の判断で事後処理を始めている。
でも、だからこそ、今なら彼に聞ける筈だ。
私の首にかけられた、この首飾りの事を。

「気になりますか?その首飾り…「聖母の御霊」の事が」

考えていた最中、何時の間にか手に取って見詰めてしまっていたみたい。
だから、思わぬ展開だった。
彼の方から、その話しを振ってくれるなんて思ってなかったから。

「コレ、何なんですか?リャンさんは、これが千年王から貰った物だって言ってたけど…」

「えぇ、その通り。それは、我が国の皇族にのみ伝わる秘宝中の秘宝。その宝石には、特殊なマグナが凝縮されていましてね。普通の人間には、触れる事さえ出来ない物なのですよ」

「触れる事も?」

「そうです。我等千年王の末裔たる皇族と、千年王本人にしか触れる事が出来ないのです」

千年王の末裔!?
この人達も、グランスレイのヴェイルと同じく、千年王の血を引いているっていうの??
じゃあ、ヴェイルとこの人達は…。

「ちょっと待って!だったら、グランスレイのヴェイル・ドレイクと貴方達は、親戚って事!?」

「ヴェイル…?いいえ、そのような者は、我が血族には存在しませんよ」

嘘を吐いてる雰囲気じゃない。
だったら、どういう事?
卑弥呼さんは、ヴェイルを息子って呼んでた。
なのに、同じ血族の筈のこの人は、ヴェイルの事を知らない。
うぅ~…ダメだ。頭が混乱してきた。
いったい、何がどうなってるの??

「それはともかくとして、貴女には、その「聖母の御霊」解放の儀式を行ってもらわなくてはなりません」

「開放の…儀式??」

そういえば、リャンさんも言ってた。
私なら、この首飾りを解放出来るって。
だけど、解放すると何があるの?
解放した事で、この人に何の利益があるの?
私は、いったいどうなるの?
もう、ワケが解らない…。

「先程も申し上げた通り、その首飾りの宝石には、特殊な力を持つ膨大な量のマグナが封じられているのですよ。ですから、それを開放し、貴女の力として頂くのです」

「マグナの開放…」

この人の言葉は信用出来ない。
だから、尋ねて答えが返って来たって、それを鵜呑みにする事も出来ない。
自分で確かめるしかないんだ。
悩んでたってしょうがない。

「わかったよ。じゃあ、その儀式っていうの、さっさと終わらせましょう」

「いいでしょう。では、コチラへ…」

リャンの遺体を床に横たえ、私は言われるがまま、イーシャの後をついて歩く。
宮廷に相応しい木造の赤い廊下。
その細道を抜けた先に、曼荼羅のような絵柄が刻まれた奇妙な円形の床が現れた。
イーシャはその上に乗り、私に手招きをする。
どうやら、その上に立てって事らしい。
だけど、天井も床も、その先にも道らしき物なんて続いていない。
これは、何かの装置なんだろうか…?

「………」

恐る恐る、その曼荼羅の上に足を乗せ、重心を移動させると、私の手をイーシャが強く引いた。

「キャッ」

強く引っ張られて、私は咄嗟にイーシャの身体に凭れ掛かってしまった。
見上げた先には、微笑むイーシャの顔。
恥ずかしくて、一気に顔が紅潮して行くのを感じる。
でも、本当に驚かされたのは、その次の瞬間だった。

「え…ぇえっ!?」

足の下の曼荼羅が、急に光を放ち始め、それは柱のように真上に伸びると、私達二人を包み込んでその視界を奪い去った。
そして…

「なに…、コレ…?」

数秒後、再び開けた視界には、さっきとはまるで違った別の空間が開けていた。
薄暗い部屋。
だけど、それはとても広々としていて、何処か…お寺の本堂を思わせるような荘厳な造りの一室だった。

「さぁ、奥へどうぞ」

「は、はい…っ」

見渡す限りの白銀。
私の目に焼き付いて離れない、神々しく煌く白。
ヴァルシードの装甲に良く似た…ううん、ソレそのものだったのかも知れない。
静寂の底に響く、私の足音。
その向かう先に在ったのは、一体の仏像だった。

「…あ…れ?どうして…」

なんでだろう。
その仏像を見上げていると、急に目頭が熱くなり始め、悲しくも無いのに、ポロポロと涙が零れた。
白銀の彫刻。
仏像なんて、何度も見た事があったけど、こんなの初めてだった。
…ううん、今まで見て来た、私が知る「仏像」とは、少し…何か雰囲気が違うのかも。
その仏像は、ベールのような羽衣を纏い、両腕で慈しむように小さな赤ん坊を抱き抱えていた。
そして、悲しげな表情を湛え、誰か…存在を待ち侘びているようにも感じられる。
私の時間は、この時に止まってしまっていた。
でも、そこから引き戻してくれた声が、こう告げる。

「…聖母マリア…」

「えっ?」

イーシャの声だ。
何時の間にか、私の背後にまで歩み寄っていた彼は、小さく囁くような声でその名を教えてくれた。
聖母マリア。
そっか…。だから、今まで見て来た、どんな仏像とも雰囲気が違ったんだ。
聖母マリアの像と言えば、石像というイメージがあったけど、仏像っぽく仕上げると、こうなるんだ…。
でも、だからこそ込み上げて来た疑問があった。
思い起こしたのは、リャンの最後の言葉。

(そなたなら、あのお方の御霊を解放出来よう…。チュウキュウを…マリア様を、頼む…)

この人達は、聖母マリアを崇拝していたの?
だから、こんな物が宮廷の中に奉納されているの?
でも、だったら…聖母マリアの解放って、何を意味するんだろう。
それに、先代の千年王、卑弥呼さんと、どんな関係が…。

「聖母…、マリア…、千年王…、卑弥呼…」

ぶつぶつと口に出してしまっていたらしく、私の状態を察したイーシャは、言葉を続けた。

「ご覧なさい、この方のお顔を」

祭壇の上に立つ聖母。
その顔は、慈愛に満ちていて…だけど、とても悲しそうに腕の中の幼子を見詰めている。
再び、私の頬は涙に濡れて、心まで吸い込まれてしまいそうになった。

「この方は、世界を嘆いておいでなのです。そして、その救い手たる者の再来を待ち侘びておられる」

「救い手の…再来」

真っ先に連想されたのは、救世の主とも呼ばれる千年王の名だった。
という事は、千年王の生まれ変わりと言われる私が、その救い手だって言うんだろうか。

「さぁ、お行きなさい。それが貴女の責務であり、疑念を払い去る鍵ともなるのでしょうから」

イーシャが指し示す先。
そこには、三段程の階段を上る円形の台座と中心に据えられたマリア像が在る。
歩み出て、その前に立てと言うのだろう。
判らない事は山ほどあるけど、イーシャの言葉が正しいのなら、そこで全てが明らかになる筈。
だから、私は迷う事なく、一歩を踏み出した。

「………」

一歩、二歩、階段をゆっくりと上り、その先で待つマリアの悲しげな表情を目指す。
だけど、近付く程に私の心は掻き乱されて行った。
深い悲しみの情念。と、でも言えばいいのかな。
苦しささえ伴うその感情が、きっと彼女の物なんだ。
だから余計に、私の足は急いで彼女の下を目指していた。

「おかえり…、マリア…」

祭壇の上のマリア像の前に立った私は、何故か、無意識にそんな言葉を発していた。
でも、その言葉の意味が、今、一番適切に思えたんだ。
ううん、きっと、そういう事なんだ。
だからこそ、彼女も応えてくれたんだから。

「っ!」

突如として輝き出す胸元の首飾り。
その光の眩さに瞼を閉じた私の耳を、知りえない懐かしい声が打つ。

(三千年ぶりですね…ヒミコ)

その声が発するマグナに、私は覚えがあった。
リャン・クーファの下まで、私を導いてくれたのは、この感じだったんだ。
優しくて、悲しげで、それでいて、全てを包み込んでくれるような包容力のあるマグナ。
以前、卑弥呼さんから感じたソレとは全く異質な力だった。

「マリアさん」

淡い蒼の輝きは、胸元から粒子となってマリア像へと注がれ、やがては色着き、生命の息吹を感じさせる。
マリアさんは、私の声から何かを感じたのか、少し寂しげに言葉を続けた。

(…そう。彼女は、逝ってしまったのね…)

「はい。でも今は、私の中で力を貸してくれています」

私がそう言うと、マリアさんは穏やかに、ニッコリと笑顔を見せてくれた。
何だろう…、とても、暖かい。
身体が、とかじゃなくて、心が…温かいの。

(でも、やっぱり良く似ているわ…。私も、ヒミコも、そして、貴女も…)

そう言って、彼女の顔を覆うベールが取り払われた瞬間、私はハッとした。
現れた彼女の顔は、卑弥呼…ううん、私と瓜二つだったのだから。
こんな偶然が、そうそうあるとは思えない。
きっと、何か理由がある筈なんだ…。
だけど、今はそれを考えている場合じゃない。
この「解放」が、いったい何を意味するのか。それを、真っ先に聞くべきだった。

「マリアさん、お尋ねしたい事があるんです」

そう言うと、彼女は再び優しげな笑みを湛えて応えてくれた。

(わかっています。貴女が…今後、何をすべきか。ですね?)

…同じだ。
卑弥呼さんの時と。
マリアさんには、私が考えている事が理解出来てるんだ。

(………)

彼女は、ゆっくりと瞼を閉じ、そして、私が知らなければならない事を語り始めた。

(貴女は、純血を享ける聖なる器…。その杯を満たし、飲み干し、世界と一つに解け合う者。…ショウコ。貴女は、現世へと続く階を導く、救世の主なのですよ)

聖なる器?
世界と一つに溶け合う?
現世へのキザハシを導く??
だ、駄目だ…。
さっぱり意味が解んない…。
きっと、今の私の頭上には、幾つもの?マークが浮かんでいる事だろう。
だけど、噛み砕いた説明を求められる程、時間は残されていなかった…。

「きゃうっ!!」

突然の出来事だった。
天井から叩き付けられたような強い衝撃で、私は立っている事も儘ならず、ドッカと尻餅をついてしまっていた。

「クッ、何事ですっ!?」

振り返った先では、イーシャが周囲を見回していた。
今のは、爆発?
何度か経験のある衝撃と轟音だった。
その殺伐とした状況に、マリアさんが言葉を発する。

(邪悪なマグナが…。お急ぎなさい。そして、貴女の剣を)

私の剣。それはきっと、ヴァルシードの事を指しているんだろうけど…。

「無理だよ!あの子は今、ドラグ・ドゥーラの格納庫に…っ」

尻餅をついたまま、私は彼女に叫んだ。
だって、走ったって到底間に合わない場所にあの子は居るんだから。
でも、マリアさんは穏やかな表情と言葉で私を諭す。

(忘れたのですか?貴女の剣は、如何なる時も貴女の願いを叶えてくれていた事を…)

「私の…願いを?」

(信じなさい。今の貴女なら、彼を目覚めさせる事が出来る筈です)

「ヴァルシードを…」

目覚めさせる?
あの子は、まだ眠っているっていうの?
あんなにも強い力を持っているあの子が?
だけど、確かに違う。
今の私は、何故か内から込み上げて来る力を信じられた。

「お願い…。私を導いて、ヴァルシード!!」

そう願った瞬間、首飾りを中心に溢れ出したマグナの光球は、私を包み込んで空へと舞い上がった。

「瞬間転移!?…なんという桁外れのマグナ…。アレが、人間の成せる技かっ」

目の前で起された奇跡に、私は驚嘆していた。
瞬時にして爆発的に膨れ上がったマグナ。
やはり、私の見立ては正しかったようですね…。

(貴方も、貴方の役目を果たしなさい。イーシャ・クーファ)

「はっ、必ずや、残る御霊も全て揃えてご覧にいれましょう」

(期待します。…さぁ、早く)

「…では、また何時か…我等が悲願、現世の空の下でっ」

マリア様のお姿は、淡い粉雪となって天に散って行かれた。
…急がねば。
この気配は、必ずや我が国の災厄となるだろう。
崩れ行く本堂に背を向け、私は新たな千年王の後を追うのだった…。


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