山口早苗さんの句集 「風の葉抄」 刊行
山口早苗さんの句集「風の葉抄」が刊行されました。 あざやかな演出家―言葉という役者を意のままに― 尾 藤 三 柳 この作者の遠い時代の川柳歴は知らない。特に知る必要もない。けんらんたる「いま」がすべてを覆い尽くしてなお余りあるからである。 作句歴二〇年、齢古稀(ということを今回はじめて知って驚いたのだが)という節目は、これまでの集積を世に問うまさに最適の機会だろう。 彼女の予備的経歴はすでに一九八〇年代から地元の千葉や神戸の「ふあうすと」誌上で活躍が開始されていたらしいが、「早苗」という名が反復して私の耳に入るようになったのは、ここ十年来の句会場裡においてである。伝統的な句会でも、新しい傾向の句会でも入選率の高い彼女の名と、やや特殊な発想とが私の耳を離れなくなり、作家的な興味を抱いた。私は日常句会での成績というものを余り信用しないが、彼女の作品そのものに、ある種の執着を感じていたのである。そんな矢先、二〇〇一年五月発行の「川柳公論」(二六巻第二号)《めやなぎ》欄に、初めて彼女の一〇章が寄せられ、そのうち五章が掲載、一章が◎印推薦になっている。 片耳を落してからの風通し「『片耳を』は、耳から注がれる世の中の毒との対決」と私の短評が付してある。これが、ナマの早苗作品との最初の出会いだ。それから二年連続で彼女は〈めやなぎ準賞〉となり、三年目に自動的に《かわやなぎ》作家になった。その間、強く印象に残っている作品に、 サーベルが父の骨盤から抜けぬなどという句もあった。現在は社中の貴重なエディターである。 まず、彼女は器用である。というより、並々ならぬ魔術師である。テクニックが特にものをいう課題吟互選・互評《蒼塔集》 (本誌) の2006年度賞を獲得したばかりか、毎年上位の定連であることでも、それは窺えよう。 彼女は、あざやかな演出家である。どんな風景でも、ぬかりなく描き出してみせる。彼女によって演出される客観的風景は、ユーモアでも、不条理でも、アイロニーでも、ゆくところ可ならざるはなき趣である。 そして、彼女は、最後の一つのものを決して見せようとしない。見事な言語操作の皮膜に覆われた素顔は、絶対覘かせることがない。もちろん演出者が舞台へ顔をさらしては艶消しだが、この徹底した覆面の客観性は、思えば川柳の歴史的本性とはいうものの、現代川柳の暴露的な自己表出にどっぷり漬かっていると、もう少し作者自身の顔を見せてはくれないかと呟きたくもなろう。しかし、作者の本体は、最後まで屈折した言語構造のあわいから探り出すより方法が無い。 作者自身も己を知っており、そんな自分に対して時には自己嫌悪に陥るのか、思わず本音を洩らしたような一句もある。 口から生まれて転がっているわたし 「父のこと」「母のこと」を読むと、彼女の成長期は時代背景を含めて決して平坦なものではない。だが、彼女の特異なモノの見方や、屈折した思考経路を、そうした生活環境と無理に結び付けても始まるまい。しかし、それが彼女の天性だとしたら、彼女は初めから川柳の目を持って生まれたか、でなければ『屁っこき嫁』(「父のこと」参照)のDNAでもあろうか。彼女の作品はまさに多面体である。その面すべてにわたって鑑賞するには、個々の例句だけでも紙幅がつきてしまう。で、ここではその「時事川柳」について触れておきたい。 彼女の川柳は、時事から始まったという。そして現在、川柳フォーラム時事のれっきとした正会員で、本格的に取り組んでいる。 マニフェストでは防げない障子穴 2004 マニフェストという言葉が使い始められた頃の句。把握が的確であり、比喩のうまさが、辛辣な批評を呼び起こす。 非戦闘地域へ豆を撒きにいく 2004 自衛隊のイラク派遣。あの小泉首相が徹底的に拘った清算はまだついていない。これも目に見える比喩が絶妙。 もんじゅから打たれ強さを教えられ 2005 一九八五年のガス漏れ事故をめぐっての行政訴訟が二〇年ぶりで逆転勝訴となった福井県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」――まさに二枚腰ともいうべきその打たれ強さはどうだ。文殊の知恵というが、むしろ見習うべきは、この粘り腰ではないかという皮肉。 義理チョコの数で占う次期総理 2006総理就任前の阿部人気は並ぶものがない勢いだった。でも、それだけでは日本の舵取りは出来なかった。軽いタッチ。 宮崎で一番受けるバラエティ 2007 官製談合で政治不信がひろがる宮崎県知事選で、元お笑いタレントのそのまんま東(東国原英夫)氏(四九)が当選。テレビによる抜群の知名度がものをいった。 領収書五枚絆創膏五枚 2007 疑惑渦中で自殺した松岡利勝農水相の後を継いだばかりの赤城徳彦氏が、今度は事務所費の架空計上で追及を受けたが、領収書はついに示さなかった。釈明の記者会見では顔中に絆創膏を貼って現われ、テレビ視聴者をおどろかせた。一句全体が漢字で、対句構成になっているのがおもしろい。 中国の花輪も届く芥川 2008 第一三九回芥川賞は、中国人楊逸さんが母国語で書いた「時が滲む朝」が受賞、日本語以外の外国作家の初の受賞として話題になった。花輪は母国中国からのお祝い。 (秋彼岸あけの日に 朱雀洞で)