000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

<川柳ブログ> Brog the SENRYU

<川柳ブログ> Brog the SENRYU

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

あんぐる5541

あんぐる5541

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

 お邪魔虫@ 番傘は川柳界のどうしょうもない化石 川柳界が衰退しているのは一にも二にも番…
 直クリ@ 即クリマン金! だぁー帰宅!!2日くらいマン禁されてま…
 モンボル@ 3回が限界っすw まっさか初めてが3 Pになるとはなぁw…
 ゆういち@ プロの仕業??? さっきマッサージしてもらってきたYO!…
 こっぷ@ これなんてプ レ イだよwwwww なんかティ ン コに小麦粉と水混ぜたのベ…

お気に入りブログ

謹賀新年 松尾ルル君さん

☆☆謹賀新年☆☆ 47弦の詩人さん

三日月の夜にはミル… 桃花茶さん
九州発見塾ブログ「美… 九州発見さん
エイジングケア、し… scm5151さん
2008.08.18
XML
カテゴリ:川柳千夜一夜

 仕事の内容も量も正念場ですが、気分転換に一日、国会図書館に行ってきました。

 かつて、川柳総合辞典が編集されていた25年前には、毎日のように通ったところですが、私にとって、日ごろ手にできない史料を見ることによって、とてもしっとりと川柳と触れ合える時間が持てるのは、今も変らない心地でした。

 初代川柳評の万句合を借り出し、しばらくその木版の濃淡を堪能し、読みにくい文字に心を寄せてみました。確かに、私たちの先人が、同じ十七音の中に、社会を見ていたことが感じられて、自分もその250年の流れの中に居ることを確認しました。

 本当の目的は、昭和まで継続されてきた十三世川柳の「真編柳多留」を系統的に見ることでした。こちらには、初編から三十五編まで欠けずに残っています。

      「真編柳多留 初編.jpg

 記録を見ると、十三世川柳自身が国会図書館へ寄贈していたことがわかります。

 昭和2年に刊行されはじめた「真編柳多留」は、初代川柳時代の「誹風柳多留」を再現する和本形式で刊行がはじまっています。
 刊行は、昭和15年まで続きますが、内容は月例会の句報ばかりで、毎年行われる1月の歳旦会(今日でいう新年句会)、10月の柳祖忌(または川柳忌)句会、年末の忘年句会というメリハリはありますが、これもいわゆる句会報です。

 句の内容は、「時事」などよいう題も出されていますが、ほとんどが字結びの題詠で、一句一句みてみると、当時の新川柳の作品、特に伝統川柳派の作品とほとんど変りません。

 興味深いのは、「○○居士追福狂句合」といった仲間の追悼会で、主幹クラスばかりでなく、少し古い仲間は、みなこの形で追悼しています。

 昭和12年ごろから戦争が国家的目的となると、句の内容も線辞職になります。これも一般の川柳界と同じで、東京柳風会というグループは「狂句合」という名称ではありましたが、私たちの川柳と同じことをしていたことが良くわかります。

 ただ、「宗家十三世有為堂川柳」などと大上段に構えた「立評」、その次の「副評」、さらに自ら商品を携えて選者として出る「志評」、「楽評」など選においてはピラミッド構造ができていたようです。

 たしかに、宗家という格式、「誹風柳多留」を模した「真編柳多留」の形式などは面白いと思いますが、営々と句会だけを行い、楽屋落ちのピラミッド組織の中で遊んでいるだけでは、どうしても川柳の社会性は得られませんでした。
 十世川柳以降、新川柳の台頭に際して、川柳の本流であった柳風会が、単なる一吟社になりさがり、ついには社会から忘れられて、形式だけ昭和15年まで保ったというのは、とても淋しいことです。

 私たちの川柳も、社会の中で認知されなければ、単に句会遊びをしているに過ぎません。

 「真編柳多留」を見て、つくづく社会とのつながりなくして、文芸は生かされないと思いました。

 社会との繋がりって何だって?

 もちろん、読者を社会の中に得ることです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.08.18 21:15:16
コメント(2) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X