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カテゴリ:ソウル恩平ニュータウン
もうソウルに住み始めて14年ほど経ちますが、一つの謎がありました。 市内のバスでよく見かけた行き先に「記者村」という表示がありました。「記者村」。なんだろう、この村。一度はどんなところか行ってみたいとは思っていたのですが、バスの終点で遠そうだったので行けず仕舞で、ずっと謎でした。 韓国が朴正煕政権下で輸出ドライブの高度成長に入った60年代にどうも新聞社などの記者のために作った町らしいという話はうすうす知ることとはなったのですが詳しい由来はよくわかりませんでした。 恩平ニュータウンに居を構えようと不動産屋さんを回り始めたとき、この「記者村」がニュータウンの東側のはずれにあることを知りました。引っ越したあと散歩しに行くと、いまでは記者村へ入る交差点に名前が残っているのと、大きな「記者村教会」の建物のみで後はすべて建物が再開発のため壊されコンクリートの破片が残る丘になっていました。 よく知らなかったのですが、取り壊しが始まる数年前までは昔の韓国の町並みを残す場所として韓国映画やテレビドラマのロケ地としてよく利用されていたとのこと。そういえば、と思うような場所がありますね。 韓国のブログなどで「記者村」ができた経緯を見るとこんな感じでした。 1969年に家を持たない記者のために韓国記者協会が福利厚生の一環として、当時京畿道高陽郡新道面津寛外里(現在のソウル特別市恩平区津寛洞)の国有地約5万5000坪を造成(記者協会が福利厚生で住宅開発をするのもすごい話ですが・・・)、周辺の畑の地価より30%ほど安い価格(周辺の畑が当時坪3000ウォンだったところを、坪2000ウォン)で払い下げ、約450戸の記者が入居したことに由来するとのこと。 (当初、当時のソウル市長がこの場所ではなく、いまや超一等地の江南区ノンヒョン洞の土地を紹介したしたそうなのですが、「こんな土地に住めるか」という記者たちの声で津寛洞に「記者村」を作ったとか。江南区だっただとんでもない大金持ちに記者の方々なっていたのにね、と思うのは余計なお世話?!) 60年代から70年代といえば朴正煕政権によるいわゆる「軍事独裁政権」下での高度経済成長時期で、結構韓国政府がマスコミを抑えるためにいろいろと水面下で出入記者に寸志を出したり国内外のマスコミに結構対マスコミ懐柔政策もしていた時期。(ほかにも90年代ぐらいまで結構韓国のマスコミ関係者はいろいろな恩恵がありました。縁故入社とか子供の教育費を全額負担してくれるなどなど)「記者村」造成のために格安で国有地払い下げたこの一件も結構当時問題になったというのも、一般庶民からするとうなずけます。 真横に恩平ニュータウンが造成されることになり、この地域もそのひとつとして(3-2地区)開発されることになったのですが、建物を壊した後はまだ開発が進んでいません。 ここ数日の報道を見たら、どうもここは北漢山の麓ということもあり自然公園化することにしたとのこと。旧記者村から1キロほど北に行った一戸建ての開発予定地域も、よくわからないのですが、韓屋(韓国伝統家屋)の集落を作って観光客を呼び込むことに計画変更したそうです。 さてさて数年後「記者村」はどんな感じになるんでしょう。興味深深です。 もし韓国語がわかる方はこちらの韓国の方のブログをみると当時の様子や由来、取り壊し前の町の様子がわかります。 http://www.calitosway.net/3585 http://nefinita.com/entry/%EA%B8%B0%EC%9E%90%EC%B4%8C?TSSESSIONnefinitacom=5f41e7743a7138e43feb33431af42847 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年06月11日 17時31分26秒
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