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韓国ソウル便り 私の韓国レポート番外編

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2017.05.15
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自宅でAppleTVで映画をチェックしていたら「この世界の片隅に」が配信されていることが分かりました。
実は前回日本に行った時に映画館チェックでまだ上映していることが分かったのですが、日程上難しく、断念した経緯がありました。
ですから、早速購入しテレビで観ておりました。
(すぐに見れるこの手のサービスは便利で、だんだん国境を意識しなくなります)

尋常ならぬ評判に結構期待していたのですが「すごい!」「感動した」みたいなのが思ったほどなくて、ただただ淡々と観て、終わりました。

評判や感想、その他記事はネットで事前にチェックしていて、正直理解できず、これは観て確かめるしかないと思っていました。

でも、観てもわからなかったんですよね。なんなんでしょう?

しかし丹念と当時の庶民の日常を描き、死と背中合わせだった非日常もリアルに描き、後世のイメージやイデオロギーのフィルタを極力取り除く努力でリアルさを追求した作品から初めて見えてこと感じることは確かにあるだろうなと。こういう作家の努力は、もちろん賞賛に値するし、イデオロギー以上に深い理解が可能になるだろうと思いましたし、感じたのは事実です。

現代とは違う当時の人の恋愛観、人生観、結婚観、今の人には違和感はあるでしょうが、肯定も否定もせずに描いています。普通に観たら、働き手として結婚させられただけのように映りますが、そういう面も必ずしもそうとも言えない面も描いてます。幼いながらほぼ見も知らないような他人とも言える家で一所懸命家事に専念する、不満は言わないがストレスで脱毛症になる、そういうことが全て普通だった周りの人のリアクション、現代人の視点で解釈したような当時なら不自然なことを強調する表現もない、この描き方は好感が持てます。

逆に空襲という非日常もリアルに描かれました。焼夷弾の形や対空砲の破片が飛び散る事実、色のついた対空砲の爆炎、紫電改のエンジン音や、砲撃の音、防空壕での様子、呉市で見られた原爆の閃光に衝撃波、これらが変なBGM付きで不安感を強調することもなく、日常の連続としてただ淡々と描かれていたのも素晴らしい表現だったと思います。

そんな作品をなんとも感じなかったって、どういうことなんでしょうか?
みなさん、どんな風に感じたんでしょうか?僕の謎は深まります。

しばらくした後に今は亡きお袋と観たらどうだったんだろうと思いましたね。その後、どんなことが語れるのだろうかと。

おそらく、日本人の多くが経験した日本史上最大の惨事だったことが、多くを語ることもなく、傷を負って生き残った人が黙々と日本の復興を成し遂げてきたわけです。
日本にとって、あのことは何だったのか、本当に考え尽くして、納得できているのか、それとも当時の体験者は自分一代で墓場に持っていくつもりだったのか、それはどうなんでしょう?

お袋も空襲のことを語ったことがありましたが、子供だった僕はあまり深く考えることもありませんでした。防空壕で隣にいた人が亡くなったとかの話、当時はその重さにも気づきませんでした。
改めて調べてみると確かにお袋のいた静岡で昭和20年6月20日未明に大空襲があり、市内は焦土化しています。あの映画で語られていたことは、僕の親の世代にとってはリアルなことだったわけです。お袋は晴美ちゃんの世代だったでしょうから。

映画「君の名は。」の新海誠監督の手法は、現在の日常なリアルとファンタジーという非日常をシームレスに描いて、現代に生きる若い観客の共感を取り込んでいく描き方です。

それに対して「この世界の片隅に」では過去の日常、でもある世代にとってはあくまでも実際に経験した事実であり、戦争という非日常もやはり経験した事実、そんな観客にはどのように感じられるのか僕ら若造には到底わからないことなのかもしれません。

かつての韓国ドラマで三人の若者が植民地時代の徴兵から韓国戦争に到るまで歴史に翻弄されていく姿を描いた傑作がありました。放映当時の韓国として日本の描き方がニュートラルで画期的であったのを覚えています。(もちろん問題がないとは言えません)
僕なんかはやたらその重さを共感して観ておりました。悲劇として発散して描かれていたからわかりやすかったのかもしれません。

でも「この世界の片隅に」は悲劇を悲劇ではなく当たり前の日常の一つとして描いています。あの時は、目の前の人が目の前で本当に死んでいったのですが、一人二人ではなくみんながそうだったから嘆いてばかりはいられなかった。

最後におぞましいくらいの悲劇の孤児を普通に連れて帰り、一緒に暮らします。そのことに込められた思いを誰もセリフにはしません。あれがこの映画の救いだったのでしょうか?
やっぱり僕らには到底わからない映画です。それは当時を経験された方に語っていただきたいと思いますし、お話を聞かせていただきたいと思います。





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最終更新日  2017.05.15 09:54:32
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