感じ考えたこと。
昨日の出来事に関することにもうひとつ追加。あたしは、正直に言うと、昨日まで、どこかで吐ける人のことをある意味で羨んでた。それはやはり自分が自分ではコントロール不可の過食に悩まされるようになってからだと思う。あたしは嘔吐なしの過食だったので、当然食べたら食べるだけ、太った。自分の痩せ願望とのせめぎ合いで、相当苦しんだ時期もあった。嘔吐にも何度もチャレンジしたけど、詰め込んでも詰め込んでも、やっぱり吐けなかった。そんな中で、すきなもの、どんだけ食べても、吐けたら、リセットできるからいいやん。なかったことにして、次の瞬間には、シャワー浴びて、おしゃれして、街に出れるやん。そんな嫉妬や羨望にも似た感情があったことを認めなければならない。だけど、自分が泣きながら吐いている最中、そんな考えがいかに無神経で信じられないくらい失礼なものかということに気づいた。あんな苦しいことを、自ら誘発してやらなければならないほど、追い込まれて身動きが取れないんや。そうでもしないと保てない、精神や、理想や、社会に、がんじがらめに拘束されてるんや。社会や文化の中でつくられた「やせている」ことをよしとする風潮、自分をそれ以外の方法で発散、表現できないことの苦しさ、そして「嘔吐する自分」は、あたしたちの尊厳や自分肯定感を打ち砕くには十分な行為やと思う。人間の基本的欲求である、「食べること」や「食べる自分」にうまく向き合えないことは、あたしが思っている以上に、複雑で深刻な問題なのだと改めて思った。あたしは自分の摂食の問題が、少なからず軽減できたと感じることが今できるけれど、そのために他の人やその症状に対しても、軽視したり鈍感になっていた部分はあったかもしれない。しかし、今日そういう経験と実感を通して、あたしがであった摂食の問題を抱えた人たちのことを、今までとは異なる方法で、感じた。そういう意味でも、今回のことは、あたしにとって大きかった。今後にきちんと生かしたいです。