2006/01/09(月)20:43
人は出会う。
フェリーは早朝6時に宮崎港到着。
まだ陽が昇らず真っ暗な港に降りてゆく。
宮崎から高速を走らせて都城へ、
そこから一般道で大隈半島の真ん中にある田舎村へ墓参りに行く。
神も仏も観音様も全く信じない私だけど、
ご先祖様や若くして他界した叔父への感謝気持ちだけは人並み以上にもっている。(つもり・笑)
その後、桜島を眺めながら錦江湾沿いをゆっくり走る。
暮れの大雪で白く化粧をほどこした桜島はとても優雅で美しかった。
名物の加治木饅頭(全国的には無名だが)などをほおばりながら
どこで昼飯を食べようか迷っている時に
たまたま、次男のミルクの時間だと言うので、
国道から見知らぬ田舎道に入って路肩に車を駐車したのだが・・・・・・・・
反対側の歩道を歩いている人に「何か」を感じた・・・・・・・・・・・・・
が、次の瞬間、とっさに車を飛び降りていた。
脳みその中の古い記憶の断片が一瞬にして繋がったのだ
ダッシュで走り寄り「すみません。S先生ですよね」と問いかける。
「ええ、そうですが。どちら様でしょうか・・・・・・・・」とのご返答。
「やっぱりそうですか。K中学3年の時に受け持って頂いたKです」
「おー、Kか。お前こんなトコロで何してるんだ」
中学3年の時の担任S先生との偶然の再会だった。
卒業式以来1度もお会いしていなかったので、約25年ぶりの再会だ。
全くの偶然で入った見知らぬ土地だったので、
全く予期せぬ25年ぶりの出会いだったのだが、
S先生の特徴ある歩き方が、自分の中の記憶の断片を刺激したようだ。
先生も、たまたまその町に移り住んでいて、
定年後の今、日課のウォーキングの途中だったとのことだった。
嬉しかったのは、たった1年間の担任だったにもかかわらず
自分のフルネームや進学先、恥ずかしい武勇伝(笑)なども覚えていてくださったこと。
学校の先生って凄いんだなあと感動した。
S先生がおっしゃるには、
3年生の時に担任した生徒や、顧問した部活の部員だった生徒については、
だいたい覚えているとのことだった。
どうやら進路の問題などがあり、関わり方が他の学年とは違うのが理由らしい。
それにしても25年ぶりの再会には感動した。
道端でついつい30分以上も話し込んでしまった。
住所などもお聞きしたので、今後はたまに葉書などを出そうと思っている。
先生も「東京の方に行ったら必ず電話するから案内してくれ」と言ってくださり、
とても嬉しかった・・・・・・・・
その後、昼食をすませて実家に到着。
まずは無事に着いたので、親父殿も安心し喜んでくれた。
なんせ末っ子の自分が既に40歳に手が届くので
4ヶ月の次男は、75歳の父にとっておそらく最後の孫になる。
75歳の祖父と4ヶ月前に生まれたばかりの孫の初顔会わせ(出会い)だ。
最後の孫を父の手に抱かせることが出来て、なんだかホッと安心した。
いつまでも元気で長生きして欲しいと願いつつ・・・・・・・・・・・・・
帰省2日目、鹿児島での初日はこんな感じでした。
全ての出来事は必然だと言う。そして運命だとも言う。
いろんな偶然が重なり合って、出会い、別れ、そして稀に再会することもある。
全てが偶然の重なり合いではあるが、その全てが必然だと言うコトだろう。
何だか、そんなコトを感じた25年ぶりのS先生との再会であり、
75歳の父と、生まれたばかりの次男との初顔合わせの瞬間であった。