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カテゴリ:イベント
く トーク&ミュージックライブ ルーツミュージックを現代の若いバンドに伝える会 〜日本のスタジアムライブの変遷を語る〜 開催日 : 2020年01月22日 開場時間 : 17:00 開演時間 : 18:00 会場 : 赤羽ReNY alpha 昨日はこちらのイベントに参加してきました。 出演 トークライブ ・シミズオクト代表取締役会長 清水卓治 ・湯川れい子 ・ダイアモンド☆ユカイ ・エナツの祟り 江夏亜祐 ミュージックライブ ・ダイアモンド☆ユカイ ・エナツの祟り すっごいメンバーですよね🎶🎶 去年、湯川れい子先生と共演させていただき 貴重なお話を直に聞けた私としては 何がなんでも行かなくちゃと 早々にチケット予約していましたー。 当日は娘とランチしてから赤羽の駅から徒歩5分くらい?のビルへ。 四時半ごろに到着。 階段にけっこう並んでいました。 私たちのあとにも大勢、見たことある秀樹ファンの方ばかり。 中は自由席で横に長い感じの客席でした。 3列目の真ん中辺りをゲット、友人グループでずらっと横並び。 最初に女性の方がイベントの説明と出演者の紹介を。 2部構成で1部はトークショー。 2020年はオリンピックに取り組むというシミズオクトの清水卓治さん 17年間全米トップ40のDJを勤め、エルヴィスやビートルズを広め数々のヒット曲の作詞家でもある湯川れい子さん RED WARRIORSのボーカル、ソロデビュー30周年、舞台映画にも出演のダイアモンド☆ユカイさん ビートたけしさんに名付けてもらったバンドの名前を「エナツの祟り」に変更、年200のライブプロデュースをしているエナツさん。 4名が横並びにお座りになり、トークのスタート。 湯川れい子先生、秀樹の写真集「HIDEKI forever blue」をお手に持ってらっしゃる! スタジアムライブの変遷について、 まず最初がタイガース グランド・ファンク・レイルロード それから、ELP、外タレのライブが続きました。 清水:実際に仕事をしていた、汽車がばく進するような音で豪雨の中雷の中で。 湯川:その中にいて、初めてあのすごい音響を聴いた。 清水:リハーサルは、静かな音だったんだけど本番では爆音だったのでビックリした。 湯川:入れなかったお客様が、金網を壊して入ってきて大変だった。 清水:(雨だからやらないと思っていたけど)球場から呼び出し食らったら あの大音響でビックリ 湯川:警察も出るほどの大騒ぎ、それまではロックというのはなくロックンロールでみんなで口ずさめた音楽だったのが、、69のウッドストックから変わってきて、 72年のグランド・ファンク・レイルロードが(球場で)初めてだった。 その日しかなくて今夜ダメになったら、赤字になるから、雷に対抗できる音にしろと言った。 ユカイ:あの頃は感電死した人もいました。 清水:夏の野球のオールスターの間に、後楽園と甲子園でやるはずだった、前の年に東名が出来たので、1日で機材が運べた。 ユカイ:PAが初めてできたとき、レッド・ツェッペリンのドラムを聴いてビックリした。 湯川:あの頃のスピーカーも初めてで、ビックリした。 ユカイ:レッド・ツェッペリンが初めて武道館で前年にやって、初めて爆音を教えた。 清水:後楽園は、みんなで揺れると遠くの方まで揺れる。 (エナツさんどうですかと振られて) エナツ:まだ、生まれてないですからね~ 湯川:武道館、武道のための神聖なものをあんな野蛮なビートルズなんてと言われた。 70年代について、 1974年に初の大阪球場ライブを行いそれから10年間 後楽園でも4回 西城秀樹さんがライブをしています スタジアムライブ映像、ローラを歌う場面が流れる。 エナツ:ドラムを動かすシステムを自分のライブでやったけど、あの当時にもう使われていた。 清水:毎年やりました、一の宮はじめと一緒に。歌いながら踊るのが今は当たり前だけど、当時は三波春夫とか東海林太郎とか直立で歌っていて、踊る人がいなかった。 湯川:秀樹さんは広島にレッド・ツェッペリンが来たとき、ライブのあとにお店でライブをやったのを生で見て、ロバートプラントの影響を受けている。 ユカイ:フェイセスを見に来て、その時永ちゃんも世良さんも来ていたんだけど マイクスタンドを見て、日本では初めてマイクアクションをやった。 湯川:紅白のときにこのローラを怪傑ゾロの衣装で歌って、そのときにスモークを炊いていた。日本では初めてで、CO2のガスボンベをアメリカから取り寄せてやった。 ここから誰の発言か不明に😅😅書くのが追い付かなくて💦💦 ペンライトの呼び掛けも秀樹さんがやった。今はサイリウムとか呼ばれているけどその時は懐中電灯が始まりだった。 77年にELOが大型ヘリで宇宙船を運んできたときにビックリしたのに、そのかなりまえにクレーンに乗ってライブやってるのがすごい。(ここ、違うかも😅) 湯川:今見た映像はローラだったけれど、ほとんどオープニングは洋楽だった。 藤丸さんがギターを弾いて あの爆音の中、ぴったり合っていた。 清水:ゴンドラの中には一人、乗っていて支えていた。ステージと、上の方で時間差があって合わせるのが難しかった。 秀樹を一番熱心に見に来ていたのがジャニーさんで、たのきんを作っていた。 次にキャンディーズ、ピンクレディーの話に。 キャンディーズのさよならコンサートの映像が映る。 ピンクレディーが出てきて、その頃のキャンディーズは大変だった。人も集まらなかった。 だけど解散ということで、人が集まって開催できた。 エナツ:あの飛んでるのは何ですか?紙テープをファンが投げるんですか(○_○)!! 清水:この時、人工芝で初めてライブをした、それまでは下がぐちゃぐちゃで大変だった。 湯川:80年代、サイモン&ガーファンクルが82年に、マイケル・ジャクソンもライブをやった。 (映像が流れる) サイモン&ガーファンクルは曲が流せるがマイケルは片付けの映像で、版権の関係で流せないと説明。 湯川:サイモン&ガーファンクルは81年に50万人集め、82年には後楽園で雨の中、「明日に架ける橋」を聴いたときにはすごく感動した。 87年にマドンナが来てライクアヴァージンを歌っていた、3か月後の9月にはマイケルが3日間やった。 それがBADツアーの初日で、ずーっとやって、最終日にまた日本に。その時は屋根がかかってドームになっていた。 MM旋風と呼ばれた。 ユカイ:88年89年に西武球場でライブをやった、客席が遠くてよく見えなかったがペンライトがきれいで野外でよかった。 湯川:ドームは音が悪い ユカイ:プリンスが来たときに、音がよくなったという噂。自分でドラムの音等をいじった。それで良くなった。 湯川:プリンスは天才。 清水:音は永遠の課題ですね。 湯川:武道館、音が良くなるのに10年かかった。チープ・トリック、ボブ・ディラン、最初はひどかった。 清水:昔はコーンスピーカーだったのに今のはスピーカーの中にアンプが入っていて、ずらして調節している。昔はディレクターが立っていて、調節していた。 エナツ:客席と舞台では、この距離でも音がずれる。 湯川:秀樹さんは3万も4万も集めて10年はすごい。 感電も心配しながら。 清水:予算が厳しかった、当時はチケットが2800円くらいで。チケット作るのも今では印刷でできるけど、昔はゴム印で押して作るので大変だった。 儲からなくて厳しかった。 湯川:今は大きなアメリカのプロモーターとかが主流でキョードー東京とかがアーティストを呼べない チケットもコンピューターで取らなければならない、昔なら徹夜で並んだりすればなんとか取れた。 ユカイ:アメリカがCDが売れないからライブの時代になった。 湯川:CDが売れないから今は、ジャニーズが表紙を変えて売ったり、坂もの(乃木坂とか欅坂のこと)は投票券を入れたりしてパッケージ売り。 音楽そのものは売れていない。 音楽が衰退している。 会場にお客様が来るようにして、グッズを売らないと生きていけない。 清水:秀樹は、アメリカの音楽を本当によく勉強していた。 アメリカツアーをさせてあげたかった。 ここで、トークショーの部は終了でした。 2部のスタートまで休憩です。 なんて盛りだくさんなお話、本当に納得の内容。 清水さんと湯川さんが 秀樹のことを語ってくれることに涙出ました。 最後の方、音楽が衰退しているとの言葉。 音楽のアーティストが、音楽ではなくグッズ商人になってると。 話の内容がとても濃かったので聞きもらしや聞き間違い、メモできなかった箇所などたくさんありました。 また洋楽に疎いのでアーティストの名前や器材の名前、たぶんこれかな?と思って書いてます。 間違っていたら教えてください。 ※訂正箇所 PLO?と書いていたところは、ELOというグループだそうです! コーンスピーカーとは、トウモロコシではなく円錐のコーンだそうです コーンと聞いてトウモロコシと思い込んでしまったみたいです ごめんなさい!! 長いので一旦ここまででアップします! ずーっと放置で申し訳ありません💦 どうもアメブロの方が使いやすいというか 反応も早くてついついそっちばかりなのですが、 レポなどはやはりこちらに保存したいので 新年の挨拶も書いてないのにこちらにアップしました。 こちらのblogも、今年も今後もよろしくお願いいたします。 2018年の秀樹のオフィシャルコメントより… この記事が良かったらこちらのクリックよろしくお願いします! ランキング上がると励みになります\(^^)/ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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