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私的BeijingLife

私的BeijingLife

タイ人のルームメイト Maria

大好きな友達、Maria(仮名).

当時中国雲南省で留学生活を送っていた私。

最初の数ヶ月は学生寮に住んでいたのだが、そこへルームメイトとしてやってきたのがMaria.

雲南省に似合わないきれいな身なりと大きな目が印象的だった。

2日前に着いたばかりで隣の部屋に住んでいたのだけど一人が怖くて移動させてもらったの、よろしくね!と彼女。

タイ人の彼女はタイ南部出身の華僑でご実家は宝石店を営むお嬢様だった。おじい様が中国の海南島出身。

小さいころからインターナショナルスクールに通い、シンガポールで1年英語を勉強した後、アメリカで2年間宝石鑑定の勉強をしていたとき
スイス人の彼と出会い大恋愛の末、結婚

スイスに10年住んでいたが彼と離婚することとなり
そのことを両親にも話せずにいた彼女は中国語学習の名目で
雲南省に滞在することに。

私達は驚くほど気があった。お互いの恋愛話、家族のこと、勉強のこと
何時間でも話に花が咲くことがあった。

お互い下手な中国語だったけど、相手の言いたいことが自然と理解できるようになっていた。

彼女はすごく努力家で、中国語もめきめきと上達していって
私よりうまくなっていった。

私も負けじと勉強に熱が入った。

しばらくして寮を出てアパートを借りるときもルームメートは彼女しかいないと思って彼女を誘った。

寮をでてアパートで生活するようになって
彼女がよくタイ料理を作ってくれた。彼女の料理の腕前はすばらしく
私は本場のタイ料理をたっぷり堪能させてもらった。

彼女は私が作る日本のカレーと味噌汁が大好きだった。
あ、あと日本のおかきも。


彼女は明るくて、頭がよくて、面白くて積極的で人の気持ちのわかる人だった。「たくさんの友達はいらない、1人の仲良しがいればそれでいい」
とよく言ってた。

「shandi、あなた中国語もいいけど、英語を勉強しに行きなさい。英語はできなきゃだめよ、イギリスはすばらしかったわよ」
とも。

そうして彼女との楽しい日々は過ぎていったのだが

ある日彼女がすごい形相をしてベッドに横たわっていた。
ただならぬ雰囲気に何があったのかと聞くと、
青ざめた顔で「私国に帰る」と彼女。

留学に来た人ならだれでも、ある一定期間を過ぎた後、今後の身のふりかたを考える時期が来る。

彼女がその時期非常に悩んでいたのは知っていた。

「両親も若くはないし、私のことを心配している。これ以上老いた両親に心配もかけたくないし、私も再婚をあきらめたくない。雲南省にいても先が
見えない」

留学生ならいつかは離れ離れになる日がくる。そう分かっていても、ショックだった。

面白いことも悲しいことも一緒に笑って泣いてやってきたMariaだったから。

その後数日後に帰国の飛行機の便を予約した彼女。

何事も行動が早い。

悲しくなるからぜったい空港に見送りにこなくていい!って彼女は言ったけど私はどうしても行くと言い張った。

春休みに彼女に会いにタイに行くよと約束して、見送った。

数ヶ月後。私はタイのバンコクの公衆電話の前にいた。

Mariaに教えてもらった番号をプッシュする。

教えてもらったところにMariaはいなかったが彼女の携帯をご家族の方から
ゲットした。

どきどきしながら番号をプッシュする。

Hello?

懐かしい彼女の声。

その後私達が電話で大盛り上がりして周囲のタイ人にびっくりされたことは
言うまでもない。

バンコクではショッピングに食べ歩き。たくさんおしゃべりしてたくさん笑った。数日間バンコクの中心部にある3階建ての彼女のお家(そこは別荘のようなもので彼女の実家は南部にある)でお世話になった。

実はその後私が雲南省滞在中に一度彼女は私のアパートに戻ってくる。
再開の喜びもつかの間、私は予定していたインド旅行へ旅立ったのだが
その後。

旅行を終えてMariaに旅の報告をするのを楽しみにしていた私を
待っていたのは
空っぽになったアパートメントだった。

そこには彼女の置手紙が。

「実はボーイフレンドの子供ができてしまったので帰国します。」と。

そこには私への謝罪と彼女の連絡先ほか、伝達事項が事細かに書かれていた。
きちんとしている彼女らしい。

彼女が帰ってしまったのはさみしかったが、彼女が赤ちゃんを産む決断を
してくれたことがうれしかった。

その後電話でMariaと話したが、子供の父親のボーイフレンドとは結婚する気はなく実家で育てるつもりだということ。お手伝いさんがいるような
家庭なので十分だし、自分も家業を手伝って昼間は店にでているから
収入もあるし、趣味のダンスに精を出しているとのことだった。

彼女らしく、たくましいなあと思い、彼女が元気そうでうれしかった。

その直後私は大連に移動し、今ではアメリカにやってきて
Mariaのことを折りにつけ思い出しながらも連絡を取れずにいる。

一度手紙を書いたけれど。無事についているか連絡が無いので分からない。

いまも彼女のことを思い出すたびに元気にしているかな
赤ちゃんは無事にうまれたかなと思ってる。

あなた絶対英語を勉強しなきゃだめよ!!

アメリカは詰まんないから行かないほうがいいよ
2年いたけど嫌いだったもの

と言っていた彼女に伝えたい

「私今アメリカにいるよ!英語の勉強に四苦八苦してるよ。」













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