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カテゴリ:真我
みなさん、実にいろいろなことが起きてそれに反応して、そして善悪とか気分の良し悪しとか、感情を経験して味わっていますね。 それが生きていることです。 スピリチュアルとか哲学とか心理学とか宗教とかいろいろあるけれど、みんないかにして幸せであるかを求めて、心理とは何かとか、何故生きているのかとか、うまく生きるにはどうした心構えとか気づきとかが得られるのかとか、神はいるのかとか、自分は神だとか、真我に目覚めるとか、チャネリングとか、エゴの脱却とか解脱、悟り、解放とかアセンションとか もう山ほどのアプローチや手法、テクニック、瞑想も含め飽きるほどありますよね 私は誰でここはどこという感覚に少し似ていませんか? 結局、今目の前にある問題とか借金だとか、生きずらさとか、比較競争の世界でごちゃごちゃやっていることも、死んだら何もないというところに行きつくと、すべては虚しいというか、空に還る、そして輪廻転生でやり直すとか、宇宙の高次の存在に至るとか まあ、どうでも良いのではないでしょうか、というのが本書の言いたいことです。 だからどうしたという視点に立つと言う方が恰好がつくのかもしれません。 なんでこんなことを発信しているかはどうでもよいのですが、読者がこれを手に取って読んでくださることが必然として発生することが面白いなということだけです。 評価は気にしませんし、役に立とうがどうでもよいので自己満足に近いかもしれません。 それでいいのです。 言いたいことは、今のままで自分を許してください。 余計なことで問題をつくらないでというお願いなのかもしれません。 自動書記的に出てくるイメージを発信したら、くだらないことが減って、楽な世界の波動で満たされてくるような気がするから書いています。
したがって本書はテクニックとか考え方の整理とか真理の追究とかとは関係ありません。 読んでくれて何か楽になればそれだけでいいのです。 共感してくれようが反発してくれようが批判してくれようがどうでも良いのです。 何かのためになるとかでもなく、何かを批判したり是正したりする気も毛頭ありません。 お笑いや落語のようなボケ突っ込みや落ちもないかもしれませんが、ゆるやかな安らぎとか緊張からの解放とかにつながるかもしれません。
目的がないので行く先も わかりませんが、とにかく生きています。時間も空間も幻想ですが、感じている自己の存在がこれを書いているということ 存在としての気づいている何かはエネルギーとしていまここにある それだけです。あるからある それだけのこと それならそのまんまそうしていればいい それを言いたい。 理論とか概念とか書けばたくさん書けるし納得して腑に落ちている真理もあるにはあるが。 だからどうしたということ なぜならきりがない、わかるまでにわかったとしてもだからどうしたというところに必ず行きついちゃうから。 それなら、疲れるからそんな探求はいらないと思いませんか? 常識を捨ててもちゃんとなるようにンっているから安心してください!! 安心できないから自己保全、自己防衛のたまえにお金を貯蓄したり、何かを我慢したり、やりたくないこともあえて頑張ってやり切ったり。それでストレスがたまって病気になったりしている。本当にシンプルにそうなっているのです。 つかれるのでそんなことで悩んでいる人たちを救うことや、カウンセリング、コーチング、ヒーリング、セラピー何でもできますが、きりがないのでまとめて本書で気づく人が増えたら余計な相談が減るかなと少しだけ期待しているかな。。。ということかもしれない すべてに意味や目的をつけなくてもいいので 、それらもどうでも良いというスタンスです。 少しむじょんしているかもしれませんがそれはそれでOKとしてしまいましょうというのが本書の主張です。 何でもOK、全肯定 受容、共感、一致、ロジャーズさんも言ってます。 自己概念の影とか 偽善者的な行動は人の目を気にした行動、評価が気になるのはなぜでしょうか? 生きやすいように、嫌われないように、村八分にされないようにとかいわれのない恐れがあるのです。仕事しないと食っていけないとか、長い物には巻かれろとか苦労は勝手でもしろとか、マーいろいろな様々なマインドコントロールの常識が蔓延している。 いまだに残っている。 これでは自由な発想もできない。生気苦しくしているのはそれなのだ みんな、いい加減コントロールから外れろと言いたいのです。 確かに自分の本能にしたがったらとんでもないことになると思い込んでいますよね。 何か制限や自己を律しないとだめだみたいな思い込みありませんか?? それらは根拠のない洗脳です。 いますぐ取り外しましょう やりたいようにやりたいときにやりたいことをやればいいのです。 本音に気が付くとき あなたは、いろいろな出来事や人間関係や言葉の暴力とか誤解とか情報操作、やっかみ妬み憎しみ、恐れ、不安、失望などいやなことやネガティブな感情を催しそうな事象に本音で対応しているかと考えてみてください。どれだけ言いたいことを我慢しているかの方がわかりやすいかもしえません。 抑圧はそのままストレスになります。そこから体調不良や鬱や嫌な気持ちが発生し、しまいには病気となって表現されます。 望んでそうなったのならば仕方ありませんが、決して望んで病気を求めている人はいないと思います。無意識でそのような表現として発生していることを感じてみてください。 自業自得といえばそうです。自分が自分の現実を創造しています。 本音で付き合える人は何人いますか?? 家族に本音で退治しているでしょうか??? 本当はこうあってほしいとかこうしたかったのに、我慢して頑張っているのにわかってくれないとか、一番近しい人たちとでさへ抑圧したり我慢したり、見ないふりをしたりしていませんか?? しかもそうすることが常識だと自分を説得してりしていませんか?
疲れますよね 本音を言ったらどうなるかを考えて調整して言葉を選んでいまえんか 心に蓋をして抑え込んでそれを見ないようにしているといつか爆発します。 実をいうと、周りの話のくだらなさならまだいいが、みっともない行動や見え見えのお世辞やへつらい、自己卑下した醜さ、低俗な話(噂話、悪口、愚痴など)、見え透いた嘘とか皮肉とか性格の悪さやずるさとか自己保身とか責任転嫁とか、もう見たくないものに囲まれているとしか言いようのない現実。そばに寄りたくないしましてこいつらが同じ会社の仲間なんてやってられない。鳥つくった笑顔やわがままや蔑みなどは嫌いだ 特に自己評価の低い自信のない恰好のわるさや逃げている姿勢や価値が低いことであきらめている魅力のない人は そばにいるだけでうんざりしてしまう。 近寄ってこられないが、目に入るのは避けられない。 しかし、ここでよく考えてもらいたいのです。 一人ひとりの個性があるということ、自分とは違う考えや感情や捉え方があるということが生きている醍醐味だということ。 例えば無人島でたった一人で生活するとなると、会話する人もいなく、自然を相手に何を楽しみにしていきるのか、食べることの喜びくらいか? いずれ肉体が死ぬまで共有できる他人はいない。ただ生きているだけの人生はどんなものだろう。地球の自然と海と火と土、季節の移り変わり、お金も意味がなく、財産もなく、寝て起きて食べて、排泄して 子供もいなくて、自分の変化を味わっているだけ、それはそれで気楽でいいかもしれない。 今、あなたの周りの環境において、他人がいて競い合って会社で地位を得て、それを守り維持して収入を得ている。何かの役に立っている自負ちプライドと遣り甲斐がある。 いろいろな役割を持って働いている。サービスを提供したりされたり。娯楽や旅行を楽しみ、やりたくはないことも少し我慢して、時間に拘束されて社会は京成されている。 そこで、この社会を維持し、コントロールし、発展させるために必要なことは人心のコントロールだ。一部の富裕層が利権を争い搾取しているというのが資本主義社会であり、牛耳っている一部の存在がコントロールしている。 戦争の歴史も奪い合いである。欲を満たすため、あらゆる策略で人を洗脳させている。 従順に働く人になってもらいたいのだ。文句もいわないで都合よく働く人をたくさんつくりたいのだ。均一化して疑問も持たず、言いなりになってくれる人が欲しいのだ。余計なことは考えず、言われた通りにロボットのように文句も言わないで動く労働力が欲しいのだ。 だから真理に目覚めて疑問を持ったり、目覚めて自分の独自性を発揮したり、コントロールしにくい人は排除する動きとなる。 みなさんはコントロールされてはいませんか?? 自分の意見を言えないように空気を読んでいませんか? 他社や権威が正しいと思い込んではいませんか 怒りや不満を抑え込んではいませんかということに立ち返ってみましょう。 要は、在るがままでよいということ。観念を都合よく変えてよい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年12月18日 13時20分47秒
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