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テーマ:子どもと教育問題(292)
カテゴリ:日本のこれから(学力低下)
NHK「日本の、これから」の次回3月8日(土)テーマは「学力」だそうです。
NHKは、多くの人たちを対象に「アンケート調査」を行うようですが、私のような教職員からの意見も大切と考えて、アンケートに答えることとしました。項目は多いので、一つひとつ質問項目と「私の回答」を紹介します。(このたびが第4回) 〔アンケートの項目〕 “ゆとり教育”についてお聞きします いわゆる“ゆとり教育”の柱として2002年度、総合的な学習の時間が導入されました。 しかし、今年3月に発表される新しい学習指導要領では、その総合的な学習の時間が減らされ、 逆に、数学や理科など主要科目の授業時間が増やされる見込みです。 こうした、いわゆる“ゆとり教育からの転換”が、学力向上につながると思いますか? (総合的な学習の時間・・・体験的な学習を通じ、自ら学び自ら考える力を養うのが目的で、 それぞれの学校が独自に行っている授業。) 〔私の回答〕 基本的に思わない なぜそう思うのか、ご自身の体験などをふまえ、詳しくお聞かせください。 今後、学力が低下する可能性がある大きな要因としては、子どもたちの「勉強嫌い」が明らかにある。「学力低下」と大騒ぎする大人をよそに子どもたちは勉強に「嫌気がさす」「うんざりしている」状況なのだ。 「総合的な学習の時間」は子どもたちの自然な知的好奇心を高めていく大切な試みであったと思われる。その時間が削られて教科の時間が増えても「知的好奇心」がどんどん伸びていくとは思えない。 ただし、文部科学省としては「総合的な学習の時間の発想を教科の中に取り入れて」PISA的な問題解決能力をつけていく、という考えのようである。しかし、それが充分現場に受け止められるかどうか。それに加えて「総合的な学習の時間」にしてもその成果が限定的であったのは、人員等の条件整備がなかったという問題がある。 体験や観察・実験を通して学んだり、「科学」の本質について創造的な活動や思考をとおして理解していくような授業は従来型のものと比較して準備においても実践においてもはるかに労力を要する。 人員増、時間数軽減などの条件整備をまったくせず、余裕もなくさまざまな問題に振り回されている「現場教職員の善意と頑張り」だけで成果があがるはずがない。すでに、限界が来ているのである。 教育という営みにはじっくり教材等を準備するゆとりや日々子どもたちと向き合うときの「心のゆとり」が大切だ、(「総合的な学習の時間」や「その趣旨を活かした授業」の成果を挙げるためにも)と言うことをなぜ文部科学省が理解できなかったのか不思議である。 ただし、2008年度の教育予算は若干だが増えそうなので、有効に活用すれば上記の学習が成果を挙げていく可能性はある。 なお、私の前任校(W 高校)で実施していた「総合的な学習の時間」の大まかな内容はこちらです。 次へ (教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…) ↑ ランキング(日本ブログ村)はこちらです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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「総合的な学習の時間」、私はいい取り組みだと思ってきたのですが、うちの娘は好きではありません。理由は「発表が嫌」・・ort・・でも、だからこそ、母としては「総合的な学習」期待をしていました。お友達との共同研究はそれなりに楽しそうでよかったです。
保護者としてみていて、小学校の「総合」は、いろいろ面白い取り組みをしているものの、肝心な「テーマを絞り込む」ことや「調べ学習」の「調べ方」が、うまくできていない印象がありました。行事とリンクしている活動はなかなかいいんですが、個々人でテーマを決めて調べ学習を進めていく課題が、夏休みの宿題として出てきたのもちょっと困りました。 (2008.01.30 19:12:51)
コメントありがとうございました。
> 保護者としてみていて、小学校の「総合」は、いろいろ面白い取り組みをしているものの、肝心な「テーマを絞り込む」ことや「調べ学習」の「調べ方」が、うまくできていない印象がありました。 「総合学習」は相当に時間を取って充分に構想を練り、条件整備を含む準備を整えていかなければ、なかなか思うような「成果」が得られない分野だと思います。前任校(I高校)では、「大テーマ」を決めて「体験学習」中心のものを企画・実施いたしました。よろしければ、ご覧ください。http://sky.geocities.jp/shchan_3/ikoukousougou.htm 小学校の「調べ学習」⇒「発表」に近いものは、上記ページの末尾に掲載した「総合研究」がありますが、選択であったため(少人数の)10数名の生徒が対象でした。それでも「発表準備」のために休憩時間や放課後に指導したりしています。「体験学習」ともなれば一クラスに2~3名は必要ですね。教育委員会とも交渉しました。「個人の努力」だけでない「条件整備」は不可欠だと感じています。 (2008.01.31 12:29:58)
ゆとり教育が目指したものは、ただの時間と内容の削減ではなくて、ゆとりの中で「・・・という力をつけること」でした。「 」にあてはまる言葉がわからずに現行の指導要領を語る人が多すぎますね。特に教師に多かった。研究推進校の発表を見ても、「これはおかしい」という取り組みが多かったのです。結局、教師の力量がこれほど露呈する指導時間というのはかつてないものだった。この問題(子どもにとっては被害)を教科内に限定するために、「 」の力の育成を教科に移行させる、というのが、次の学習指導要領でしょう。
(2008.02.01 20:05:57)
kurazohさん
>ゆとり教育が目指したものは、ただの時間と内容の削減ではなくて、ゆとりの中で「・・・という力をつけること」でした。「 」にあてはまる言葉がわからずに現行の指導要領を語る人が多すぎますね。(…)結局、教師の力量がこれほど露呈する指導時間というのはかつてないものだった。この問題(子どもにとっては被害)を教科内に限定するために、「 」の力の育成を教科に移行させる、というのが、次の学習指導要領でしょう。 「総合学習」の目的をていねいに確認・共有し、「ていねいに構想・準備をすすめていく条件整備」ができていれば、もっと広く成果を挙げた可能性はあると考えています。そのことは『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』の中で福田誠治氏も指摘しています。結局、「個別的科学」や「教科」のあり方(「具体的生活・経験」のなかでの「具体的思考」から乖離した「無力な知」に陥っていた)を問い直す意味があったということでしょう。これについては「総合学習とサルトル思想」にまとめておきました。(やや哲学的な文体ですが) http://sky.geocities.jp/shchan_3/sougou.html 「教科教育」のなかでも「そのような問い直し」を行うことは大切だと考えています。竹内常一の『教育を変える』はお勧めですよ。 (2008.02.02 22:32:25)
shchan_3さん
生活科をはじめ、小学校ではご提供された理念を実現させるように教育課程が組まれていますね。小学校は指導要領や教科書を見ればわかるように「ゆとり」だけらです。6年生に大仏の手のひらを模造紙で書かせたりしているくらいですから。 ただ、中学校・高校になると、やはり内容勝負という面が出てきます。 総合については、中学校でも高校でも、完全実施される前に「移行期間」があったはずです。中学校では現行の学習指導要領は平成10年12月に出されています。予算化は十分ではありませんでしたが、2年間の準備を経て、地域人材の協力も得て、成果が出せました。異動した後も協力者との交流が続いていますが、「担当者」ではなく「学校」に愛着を持ってもらえるような運営が求められるところです。 (2008.02.04 01:50:58)
kurazohさん
>総合については、中学校でも高校でも、完全実施される前に「移行期間」があったはずです。中学校では現行の学習指導要領は平成10年12月に出されています。予算化は十分ではありませんでしたが、2年間の準備を経て、地域人材の協力も得て、成果が出せました。 「よたよたあひるさん」への返信(上記)にも書きましたが前任校では「1年前倒しの実施」を私自身が提案し、時間をかけて実践の構想を練りました。内容は日記の本文にリンクを張っています。(⇒「総合的な学習の時間」の大まかな内容)。 大変幸いだったのは県教委にご理解いただいて、人員増の配慮(暗黙のですが)をいただいたことです。一定の「成果」が生まれる大切な条件の一つであったと思います。ただ、県教委の「善意」ではなく文部科学省が最初から考えることだったのではないか、とも思います。 (2008.02.04 18:43:20) |