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2008.03.21
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カテゴリ:悲鳴をあげる学校
小野田さんの提起

 大阪大学大学院教授小野田正利さんは『悲鳴をあげる学校―親の“イチャモン”から“結びあい”へ 』(旬報社)の著者です。この中では親の学校に対するチャモン(無理難題要求)が主なテーマとなっています。

 さて、「モンスターペアレント」などという言葉がいつから使われだしたのでしょうか。私自身はこの言葉に対して強い違和感を感じますが、小野田氏もこの言葉(あるいはその背後にある発想)に異議を申し立てています。

 ここでは、何回かにわたって『悲鳴をあげる学校』の最終章を引用しながら私なりのコメントをしたいと思います。

〈引用〉

1 保護者のみなさんへのお願い

 保護者のみなさんに一つ言いたいことがあります。
 それは、じつは今、学校現場は、受け身に回っているところがあります。保護者としての「思い」は、思いっきりそれぞれの先生に言うべきだと思います。そして、その言い方は、オブラートで包むということもときには必要かもしれませんが「ホンネはこれよ」と言っていただけませんか。

 「そこまでせんとあかんのかい、わしらは?」と思われるかもしれませんが、ぜひ、それはしてください。この部分の歩み寄りがないと、なかなか今の多忙で、忙殺されている学校現場からいくと、「思い」を受け止め損ねる場合が多くあるからです。

 この部分が大切と思います。私たちが、やはり人と人が結びあうときに、「本当のことを言うけどね、私、こう思うの……」と、言ってはいけない一線を超えてはいけませんが、そういうところをわきまえたうえで、言っていく必要があると思うのです。そして学校の先生方は、ぜひそういうことのウラ、ホンネは何か、この部分をきちんと見てほしいと思うのです。

 こうした問題は、個別レベルで、またささいなものはたくさんあります。
 「小野田先生。ほんまに私、小学校の教師を二〇年やってるけど、困ったわー。ある保護者の人は、『宿題が多すぎるから減らせ』と言ってくる。ある保護者の人は、『少なすぎるから、もっと出せ』と言ってくる。どうせえちゅうんでしょう」と聞かれることがよくあります。私は、笑いながらこう答えます。

 「どっちも本当です。要は、宿題が多い少ないということが本質的な問題ではなくて、子どもの教育のことで悩んでいる保護者がいて、そのことをきっかけとして、それであんたと話がしたいんだこういうメッセージとして、それは解釈しないといけないんだ」

 さらにこじれていったケースの場合のいくつかを見ていきますと、当事者は、学校教職員と保護者というかたちになりがちですが、そのなかで肝心の子どもは置き去りにされてしまうことがあります。

 私は教育の最大の顧客、つまりだれに対して責任を負うべきかといえば、それは「子ども」だと思っています。その点をまちがえてはいけないということも重ねて言っています。  

 なんだかんだとトラブルが起きてきますと、どう保護者に納得してもらうかということがつねに先になりがちですが、そのまえに、その子どもが、つまり肝心な子どもが、そのことで今、どういう状態に置かれているかということを、きちっと見据える。この点だけは、教師の側も親の側も、まちがえたらあかんのです。ここはすごく大事なことです。

〈コメント〉

 「モンスターペアレント」という言葉はそれ自体「連携すべき保護者と教職員」を対立させる危険性を持った言葉ですね。

 『悲鳴をあげる学校』の最終章で小野田教授は「学校への要求」をほどほどにしておくようにいっているわけではありません。保護者に対しては「子どものためにも」どのように要求していくといいのか、という点を訴えておられるのです。

 そして教職員に対しては過剰に防衛的になったり「無理難題」と切り捨てるのではなく「イチャモン」と思える言葉の中にも「保護者の真剣な教育要求が含まれていること」を受け止めていこう、と呼びかけます。
 
 教職員と保護者の対立の中で肝心の子どもが置き去りにされてはならない、と訴えているわけで全くもっともな主張だと思うのです。ただ、それが難しい現状があるとすれば、それを乗り越えていくことは保護者・教職員にとって大切な課題であるといえるでしょう。


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Last updated  2019.03.23 20:10:21
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