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2008.03.22
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カテゴリ:悲鳴をあげる学校
小野田さん(小野田教授)の提起 2

(最終章の引用 続き)

2、トラブル=子どもの成長の課題

 たとえば、子どもがむかついて下に落ちていた石をひろって窓ガラスになげたとします。ガシヤーン、と窓ガラスが割れます。あるいは子どもどうしのちょっとした口げんか腹をたて、ガラスが入ったドアを思いっきり「バーン」と蹴った拍子にガラスが割れたとします。

 どこのだれがやったかはすでにわかりますので、学校側は、当然のことながら保護者を呼び出し、コトの経過を説明します。そしてそのあとにはかならず「すいません、お父さん、全額とはいいませんが、ガラス代半額弁償していただけないでしょうか」ときり出した途端、
 「そこに石ころがあったのが悪い!」
 「蹴ったから割れるようなガラスのほうが問題だ!」と。

 こう開きなおるケースがたまにあります。あきらかにその言葉はイチヤモンとうつるでしょう。こういわれてしまうと教育委員会、学校側は開いた口がふさがらない、という状況になってしまいます。

 だけどもなぜ、お父さんはこういう言い方をするのでしょうか。
 じつは、子どもにとってみれば、ひとつのトラブルです。しかし、同時に石を投げるなり、ドアを蹴るなりのわけがあると思います。

 小学校二年生ぐらいであれば、石を投げたり、蹴ったりすればガラスが割れることはじゅうぶんわかっています。わかっていて、なぜ、やるのでしょうか。大事なことがらは、このなぜ、やるのか、ということです。なんで、ということにポイントがあります。

 たとえば、「家でお父ちゃん、お母ちゃんがいつもケンカばかりしている。僕が学校にいる間にお母ちゃん、荷物まとめて、家でていってしまうかもしれない」。そんな不安のなかで思わず石を投げるということはいくらでもあると思います。

 土・日に朝昼晩と三つ弁当をもって朝、八時から学習塾通いさせられるなかで「ほんま、ぼくのやりたいことはそんなことやない」と思いながら、友だちとのちょっとしたいさかいから思わずムカッときてドアを蹴る。そういうことが背景にあるのではないでしょうか。

 つまりトラブルはけっして悪いことではないのです。トラブル自体が子どもの発信している成長の課題、あるいはSOSなのです。

 ところが、子育ての孤立化が進むなかにあって、このトラブルが、しかも学校は解決をいそぐあまり、説明のしかたによっては、子どもの成長の課題というよりは、イコールわが子への批判としてしか聞こえない。そしてそれはとりもなおさず、親である私への非難ということでつながってしまうということがあります。

 私はイチヤモン研究を続けるなかでつくづく思うのですが、大事なことがらは親を追い詰めないということです。どういうかたちで子どもが発信している成長課題を受けとめ、いっしょに考えることができるかどうか。 

 そのチャンスをどのようにつくれるかということが大事なのです。もちろん、石を投げたほうが悪いです。割れるのはあたりまえだとムチャをいった親、本人だって、たいていわかっているはずですし、いったあとに「ムチャをいった、まずい」とだいたい思っています。

 「ムチャをいった」という自覚をくすぐりながら、どういうかたちでいっしょに考えあうベクトルをつくつていけるか。このことが大事だと思います。

〈コメント〉

 私自身の実感でもあるのですが、「子どもの問題点」を指摘した時にクレームをつける保護者というのは「もしかしたら自分の育て方がが悪かったかもしれない。しかし、そう思いたくない。」という二つの思いが葛藤している場合が多いと思います。

 水谷修氏も指摘していますが、保護者が心の余裕を持ちにくくなっている状況の中、保護者を責めて追い込まないようにする、ということは大切なことだと思います。小野田教授の上記の文章も非常に大切な視点を提示しているように思うのです。


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Last updated  2019.03.23 20:09:40
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