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2008.07.13
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カテゴリ:哲学・思想
よたよたあひるさん  

 本当にお疲れ様でした。あなた自身の直感や体験を「議論の言葉(論理言語)」で表現していく大変な努力 に敬意を表します。前回の記事よりもわかりやすく納得しやすい内容にまとめておられると思います。

>(おしゃべりの言葉は)読み手と書き手の関係性で読み取りに大きな差ができてしまいます。
 一般的な「教訓」を引き出す上で、前回記事の表現よりも説得力を感じます。

>今回の一連の「議論」がすれ違っていったのは、当初は「その表現は関係性の異なる場では理解されないはずで、立場を明らかにしているものの発言としては不適切」という強い危機感を持った方の批判が、うまく伝わらなかったということに始まっていたと私は考えています。

>この当初の批判が、「記事に書かれた内容そのもの」だけでなく、「記事を書いた人の立場を考えた上での発言が持つ意味」というメタ・メッセージに対する批判、だったために、「記事を書いた人への批判・・立場を含む人格攻撃と言ってもいいでしょう・・」として受け止められてしまった、ということが原因なのではないでしょうか。

 この点についてもそう思います。「おしゃべり言葉」を発信する個人(または共有する集団)が、「外からの批判」に対してどのように反応しやすいか というこのたびの指摘は前回かかれていた主張と比較しても「より広い観点から留意点を示唆したもの」であると考えます。

 「力点」を修正しつつまとめておられるような印象はありますが、あなたが「すれ違い」といわれた意味がある程度わかったように思います。
 ただ、それでも違和感は残るのです。

 実はあなたの言われる「議論の言葉」と「おしゃべりの言葉」についての説明は「だいたい想像していたとおり」だったのです。が、そこから「引き出すべき教訓」については、別の観点から明確にする必要がありはしないか、ということを感じています。

 というのは、あなたが力点を置いて展開しておられるのは 「批判する側が配慮すべき事項」「“おしゃべりの言葉を使っている個人”に対して“届く言葉を”を発していくための留意点」であるように見えるのです。

 そして、確かにそのこと自体はとても大切なのですが、わたしは 「おしゃべりの言葉」をブログ上で発信する場合の留意点、そしてそれが「批判」を受けた場合の留意点こそ多くのブロガーが共有すべき重要なポイントであるように思うのです。

 もっともあなたの意図は、例えば次の文からも伺えるように、それをも含めて「教訓」にすることだったと思われます。
「立場が発するメタ・メッセージ」は、「おしゃべりの言葉」の場での意見交換を行うときに(そして場の外へ発信するブログの場合)大きな影響力を及ぼします。〔( )内は引用者〕

 ただ、不充分になっている印象は受けます。連載の「大作」を書かれるに当たってあらゆる観点を充分展開することは難しいですし、以下に書くようなことはあなたが直接「回答」しておられる「まずろさんやPsycheさん」にとっては「分かり切っていること」だからかもしれませんが・・・。

 あなたはブログ上の言葉について分類しておられます。(作成された図「よたよた仮説 ブログの言葉」は秀逸だと思いますね。)ただ「関係性に依存したおしゃべりの言葉」が使われる典型的なケースはブログ上というよりも「よく知った人間同士の日常のやりとり」でしょう。 

 そこでのコミュニケーション手段は文字ではなく「音声言語」であり、さらに表情や身振り、音調・沈黙などの「副言語的要素」が重要ですね。そこでは例えば「正しい言葉」が発せられなくてもコミュニケーションが成立してしまったり「周りの表情から空気を読む」ことが求められたり、するわけです。

 さて、それに対して「文字言語」の場合ですが、例えば発刊される書籍であればそのような「言語場=コミュニケーションの場」から独立しているわけですが、ブログ上では「そのような場」が成立してしまうのですね。(確かにそれがいいところでもあります。)

 しかし、「おしゃべりの言葉」をブログ上で発する場合、「これくらいいっても大丈夫」とか「大体わかってもらえる」とか「互いに頷きあう関係だから批判など受けない」といった日常的な仲良しグループのコミュニケーションにしばしば見られる「関係性に依存した甘え」の意識を持ったまま、不特定多数に「問題となるメッセージ」を発信してしまうことがしばしば起こりえます。

 そして、不特定多数に発信しているにもかかわらず、発信責任を問わない空気を共有してしまうわけです。(ブログ上のコメントにあった「このブログはほのぼのとした気分にさせられる」「空気を読んで・・・」といった趣旨の発言、批判的書き込みが「浮いている」といった発言。また、「このブログのメッセージには論理的な批判はなじまない」といった趣旨の発言等)

 私自身が思い起こすのは、普段心地よい関係を作っている「私的グループ」が、「外からの(別の生徒による)批判」や「教職員の指導」に対して過敏に反応・反発し、「論理的」な言葉をなかなか受け入れられない、といった体験です。本人たちはそれこそ「上からの目線」を感じる傾向が強いので「伝わる言葉」を発することが相当に難しい。

 しかしながら、「子どもと大人(保護者や教職員)の関係」であればともかく、大人どうしの世界であれば、あなたのブログにも複数の人が書き込んでいるように「責任が問われるのは当然」なのです。心地のよいコミュニケーションの最中に「批判」を受けた場合にも、言わば「シフトチェンジ」して「批判に対して誠実に応答したり討論していくこと」ことは大切だと考えます。 

 「このたびの混乱」を契機に多くのブロガーが共有すべき教訓を考える場合、むしろそちらに力点を置くことが大切だと思うのです。

(なお「総括」の観点とは違いますが、「Authorまずろ」のブログでしばしば見られる「随筆風の美しい文章」は示された表の中に位置づけにくいのでは? と思っています。できればその点も含めて書いてみたい気持ちもあります。)

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Last updated  2020.11.29 19:54:35
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記事ありがとうございました。   よたよたあひる さん
記事とトラックバック、ありがとうございました。
この間、考えを整理するために、しょうさんのブログは何度かご訪問させていただき、ミルの言葉も何度も読みました。
それでも、なかなか書ききれなかったこと、考えきれなかったことをこちらで見せていただいたと思います。トラックバックだけでなく、記事のリンクと本文の引用をさせていただきます。 (2008.07.13 12:41:14)

Re:記事ありがとうございました。(07/13)   shchan_3 さん
よたよたあひるさん
 
 実は私も先日、まずろさんのブログのコメント欄で「ある保護者」によって厳しいご指摘を受け“降参”いたしました。
http://maslow.blog115.fc2.com/blog-entry-75.html#comment132
 記事にせよコメントにせよ「自分自身の関心」に応じて力点が変わっていきます。それを自覚しつつ「バランスのとれた言説」を心がけていくことは大切なのですが、本当に難しいことですね。
 まさに、「自分自身の問題」であると思いました。
 ただ、Psycheさんもあなたの言われた「話し言葉」を用いる個人(又はグループ)を「批判」をしていくことに伴う困難さを体験されたわけですし、その現実から出発しつつ誠意を持って「届く言葉」を模索・発信してこられたまずろさんの姿勢を認めておられるはずです。
 だとすれば、(昨日の時点ではともかく)あなたの意図を全く理解できない人だとは思えないのです。 (2008.07.13 14:49:21)

コメントありがとうございました   Psyche さん
コメントありがとうございました。
しょうさんの考察に関しては、おっしゃるとおりだと思います。
まったく異論はありません。

「おしゃべり言葉」と「議論の言葉」についての線引きが
明確なものではないとのお考えは私の予想通りでした。
そうであれば「おしゃべりの言葉だから」と理由づけることにより
「議論の言葉」とすずめさんを対極にに位置させ
彼女を擁護する理由として持ち出すのは適切ではないと感じたからです。

「おしゃべり言葉」であろうと「議論の言葉」であろうと
不特定多数の人間に発信していることは変わりません。
身内同士でおしゃべりしたければmixiなどの閉鎖空間で語り合えます。

公に記事をUPするのは仲間内でUPするよりも
カタルシス効果(鬱積した感情や葛藤を表現することにより発散すること)が高い。
それが閉鎖空間ではなく公に発信する多くのブロガーの心理なのだと考えるのですが
それならば自分のエゴによる公空間でのおしゃべりなのですから
批判されたときに「おしゃべり言葉」を持ち出すのは不適切かと思われます。
私はこれについて、非常にシンプルな問題と思います。 (2008.07.13 16:21:55)

Re:コメントありがとうございました(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん
>コメントありがとうございました。
>しょうさんの考察に関しては、おっしゃるとおりだと思います。
>まったく異論はありません。

 ご訪問ありがとうございます。よたよたあひるさんの「振り返り」が不充分なものだったのではないか、という点は私も感じたところですが、「総括」は複数の人間が論議しながら「妥当な結論」を見いだしていく、ということでも充分意味があるのではないでしょうか。
 もう一つ、事実認識(彼女が議論に割って入った)に関して若干疑問がありましたので、あなたのブログのコメント欄に書き込ませていただきました。 (2008.07.13 21:36:56)

事実確認について   Psyche さん
>よたよたあひるさんの「振り返り」が不充分なものだったのではないか、という点は私も感じたところですが、「総括」は複数の人間が論議しながら「妥当な結論」を見いだしていく、ということでも充分意味があるのではないでしょうか。

彼女の「振り返り」が不十分というより
妥当な指摘ではないというのが私の考えです。
複数の人間が論議して妥当な結論を導くことについては非常に共感しますし
またその考えに基づき私は記事により意見を述べております。

事実認識については今までのやり取りを確認した後、
説明させていただきます。
ただ、それを説明するとなると
彼女の立ち振る舞いに言及することになるので
これ以上傷口が広がってしまうことは懸念するところですが。 (2008.07.14 00:13:19)

Re:事実確認について(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん
>彼女の立ち振る舞いに言及することになるので
>これ以上傷口が広がってしまうことは懸念するところですが。

なるほど、彼女自身の“告白”「ネチケットの問題について考えたいということが主でした。(・・・)どうであったかの振り返りを、一方への情緒的関係が強い立場で行ったことが不適切であった・・・。」に絡めて追及せざるを得ないということでしょうか。
 確かにそれは私も望むところではありません。
 私自身は、よたよたあひるさんの言説に「 」のような問題があったにせよ彼女の一連の文章に学べたり刺激を受けた部分が多いのです。(kurazohさんも似通った印象を持たれたようですね)確かにそのなかには「妥当な主張」と「そうでないもの(特に後半)」があったとは思いますが、彼女の問題提起とそれに絡むやりとりは決して無意味でなかったのでは? というのが私の実感なのです。「学びを深め、共有していくような“振り返り”」は難しいでしょうか? (2008.07.14 01:01:58)

無題   Psyche さん
>「学びを深め、共有していくような“振り返り”」は難しいでしょうか?

「学びを深め、共有していくような“振り返り”」を目指すのであれば
まず互いが中立の立場を意識して意見を述べなければなりません。
また、自分への援護に対しての不当な義理立てであったり
すずめさんへの擁護のための「振り返り」は慎むべきです。

後者については、「よたよたあひるさん」も認めておられますし
それはただの「弁護の理論」であり、「振り返り」とは言えません。
もちろん中立的立場から擁護することについては何ら問題を感じません。

しかしそれができていないにもかかわらず
「学びを深め、共有していくような“振り返り”」を私に求めてくるというのは
甚だ都合が良すぎるように聞こえるのです。
それについては、私の受け取り方がズレているのでしょうか。
もちろん、しょうさんがおっしゃる内容は理解できますが……。


私の事実誤認についてしょうさんが指摘された後
私は上記について具体的にまとめようかと思いました。
しかし、考えをまとめていくうちに
これ以上続けると彼女の傷口が広がると考えたため
先ほどのコメントを入れさせてもらったのです。

私の考え、理解していただけましたでしょうか? (2008.07.14 01:53:17)

Re:無題(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん
>「学びを深め、共有していくような“振り返り”」を目指すのであれば
>すずめさんへの擁護のための「振り返り」は慎むべきです。
>これ以上続けると彼女の傷口が広がると考えたため先ほどのコメントを入れさせてもらったのです。

了解いたしました。「回答」を公開されることは求めません。 (2008.07.14 04:26:28)

無題   Psyche さん
>「学びを深め、共有していくような“振り返り”」を目指すのであれば
>まず互いが中立の立場を意識して意見を述べなければなりません。
>また、自分への援護に対しての不当な義理立てであったり
>すずめさんへの擁護のための「振り返り」は慎むべきです。

・・・・・・

>しかしそれができていないにもかかわらず
>「学びを深め、共有していくような“振り返り”」を私に求めてくるというのは
>甚だ都合が良すぎるように聞こえるのです。
>それについては、私の受け取り方がズレているのでしょうか。


これについての回答はいただけないのでしょうか? (2008.07.14 05:25:58)

Re:無題(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん
>「学びを深め、共有していくような“振り返り”」を目指すのであれば
>まず互いが中立の立場を意識して意見を述べなければなりません。
>すずめさんへの擁護のための「振り返り」は慎むべきです。
 あなたのブログにもコメントさせていただきましたが、よたよたあひるさんが「最初にすれ違いがあったのではないか」という「直感」にこだわったことが「適切な振り返り」を妨げた原因であると思います。「この直感」にはたしかに無自覚のまま「特別な関心」が忍び込んでしまうことがあります。
>しかしそれができていないにもかかわらず「学びを深め、共有していくような“振り返り”」を私に求めてくるというのは甚だ都合が良すぎるように聞こえるのです。

 あなたに求めるのは確かに「虫のいいこと」だと思いますので、撤回いたします。「傷口を広げるかもしれない」というあなたのコメントを見て、正直「事実認識についての回答」をなお求めるかどうか迷いつつ、あのようなことを書いてしまいました。言い訳になるので前回は「回答」を躊躇したのです。 (2008.07.14 06:47:10)

続きです   shchan_3 さん
 「振り返り」にからみますが、よたよたあひるさんの「失敗」は私自身の問題でもあるのです。
 まずろさんのコメント欄
http://maslow.blog115.fc2.com/blog-entry-75.html#comment132
で、私は「ある保護者」から長文の批判(2回目のもの)をいただくまでは「ほぼ妥当なコメント」をしているつもりだったのです。
 しかし、明らかに「自分自身の関心」に応じて発信する論点を「限定」していることがよく自覚できたので「降参」したわけです。
 自分自身の「直感」の中に忍び込んでいる「偏見や特別な関心」に指摘された後で気づくということはよくあることだと思います。(おそらく彼女の場合もそうではないかと感じたのです。)
 記事にせよコメントにせよ「自分自身の関心」に応じて力点が変わっていきます。それを自覚しつつ「バランスのとれた言説」を心がけていくことは、このたびの一連を通して「ブロガーの教訓」として確認できる点だと思います。
 彼女の場合も「特別な関心」が忍び込んでいたことは問題ですが、一連の文章の中には私自身学べることや考えさせられることがいくつもありました。 (2008.07.14 06:55:37)

無題   Psyche さん
納得いたしました。
回答ありがとうございます。 (2008.07.14 13:44:02)

拝読いたしました   まずろ さん
非常に共感できる記事でした。
私も同じような方向性の内容ですが関連記事を書かせていただきました。

トラックバックがまたできなかったため、URLを置かせていただきます。

http://maslow.blog115.fc2.com/blog-entry-85.html (2008.07.14 20:50:41)

Re:拝読いたしました(07/13)   shchan_3 さん
まずろさん
>非常に共感できる記事でした。
 ご訪問、コメントありがとうございます。共感していただき、嬉しく思います。
>私も同じような方向性の内容ですが関連記事を書かせていただきました。
 早速、読ませていただきます。
>トラックバックがまたできなかったため、URLを置かせていただきます。
 ありがとうございます。実は、私もうまくいかなかったのです。楽天ブログと相性がよくないのでしょうかね。 (2008.07.14 22:34:24)

しょうさん、Psycheさん、ありがとうございました   よたよたあひる さん
深夜から早朝にいたるまで、私のいたらない記事について議論していただいて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。また、いろいろとご配慮いただいて、ありがとうございました。
お二人ともご無理なさいませんよう。 (2008.07.15 01:15:57)

Re:しょうさん、Psycheさん、ありがとうございました(07/13)   shchan_3 さん
よたよたあひるさん
>深夜から早朝にいたるまで、私のいたらない記事について議論していただいて・・・
 私自身にとって意味のある「振り返り」であると考えています。

>お二人ともご無理なさいませんよう。
 よたよたあひるさんほどではありませんよ。

 大切なことは「自分自身の関心に応じて力点が変わっていくこと」を自覚しつつ「論考」を重ねていくことだろうと思いますが、考えてみれば「なんらの関心も持たないニュートラルな視点」というのは存在しないわけですから「論考」を批判する場合には「意図」ではなく「理論内容」と「実践的有効性」を検討することが必要ですね。
 例えば、「おしゃべりの言葉」と「議論の言葉」を分類することも、実践の役に立つのであれば充分に有意味だと思います。kurazohさんが「感銘を受けた」と書いておられるのは「日常の実践場面」を思い浮かべながら、いくつもの示唆が得られたと言うことでしょう。(確かに、日常の現実とブログ上のコミュニケーションとの間には質的な違いがあるとは思いますが・・・) (2008.07.15 19:03:31)

質問への回答のために・・・   kurazoh さん
ふり返りの記事をUPいたしました。
また蒸し返すようで何なのですが、1ヶ月、3ヶ月、1年・・・などのスパンでふり返りたい事件・事故というのがあるものですから。 (2008.07.16 00:30:19)

弁護の論理とニュートラルな視点   Psyche さん
>考えてみれば「なんらの関心も持たないニュートラルな視点」というのは存在しないわけですから「論考」を批判する場合には「意図」ではなく「理論内容」と「実践的有効性」を検討することが必要ですね。

>「おしゃべりの言葉」と「議論の言葉」を分類することも、実践の役に立つのであれば充分に有意味だと思います。

関心を持つことは自然なことと思いますが、
そのせいでニュートラルな視点の存在を否定して
開き直るというのは違和感を感じます。
関心は持ちつつも、思い入れや思い込みのノイズを取り払ったニュートラルな状態を
心がけることは大切な姿勢ではないでしょうか。

大事なのは「意図」ではなく「理論内容」や「実践的有効性」だといわれますが、
仲間を庇いたい意図があまりに強くなり、まず結論ありきで後付けの論法を捻り出すことに
私は無理があると言っているのです。

いくら理論内容や実践的有効性が高いと見えたとしても
(この場合はどちらも高いとはお世辞にもいえませんが)
後付けで捻じ曲げられた論法自体が問題なのです。 (2008.07.17 02:56:22)

Re:弁護の論理とニュートラルな視点(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん
>関心を持つことは自然なことと思いますが、そのせいでニュートラルな視点の存在を否定して開き直るというのは違和感を感じます。
 私は最初に「大切なことは“自分自身の関心に応じて力点が変わっていくこと”を自覚しつつ“論考”を重ねていくことだ」と述べています。それは、「論考をするに際して何らかの関心から出発することは当然であるが、理論そのものにバランスの悪さや不整合を生み出さないように気をつける必要がある」ということを意味しています。
>関心は持ちつつも、思い入れや思い込みのノイズを取り払ったニュートラルな状態を心がけることは大切な姿勢ではないでしょうか。
 いわれることを否定するつもりはありません。妥当性を持つ(説得力のある)理論を創り出していくためには、「当初の関心を言わば“かっこに入れる”ことが必要でしょう。
>後付けで捻じ曲げられた論法自体が問題・・・
 私は上の記事でも述べていますが、「論法がねじ曲がっている」とは考えていません。 
(よやよたあひるさんの記事)この当初の批判が、「記事に書かれた内容そのもの」だけでなく、「記事を書いた人の立場を考えた上での発言が持つ意味」というメタ・メッセージに対する批判、だったために、「記事を書いた人への批判・・立場を含む人格攻撃と言ってもいいでしょう・・・」として受け止められてしまった、ということが原因なのではないでしょうか。
 この記述を私は「おしゃべり言葉」を発信する個人(または共有する集団)が、「外からの批判」をどのように受け止めやすいかという事実を示したものと理解し、前回かかれていた主張と比較して「より広い観点から(届く言葉を発していくための)留意点を示唆したもの」であると考えました。
たしかに全体を通してバランスの悪さ、不充分さを感じるところはありますが、これ自体は一定の妥当性を持った指摘であると考えています。 (2008.07.17 22:54:33)

続きです   shchan_3 さん
>大事なのは「意図」ではなく「理論内容」や「実践的有効性」だといわれますが、
 例えばあなたの「反論記事」を読むと、「自分の批判は妥当である」と主張しようとしておられること(つまり意図)は明らかですが、だからといってそれを「自己弁護のための論法」と断定すべきではないでしょう。仮に「反論記事」への反批判を行う場合、あなたの意図ではなく「理論内容」そのものを検討することが大切だと考えるものです。

 ただ、ひとつ申し上げておきたいことは、「自らの主張の妥当性」を主張・確認したいあまりよたよたあひるさんの記事に対してあなたが最初に書き込まれた内容を私は是認することはできません。現時点における見解をお聞かせください。

>いくら理論内容や実践的有効性が高いと見えたとしても
>(この場合はどちらも高いとはお世辞にもいえませんが)

 判断するためには「理論内容」そのもののていねいな検討が必要でしょう。わたしの上記ブログ記事は基本的に「おしゃべりの言葉」と「議論の言葉」を区別することには一定の意味がある、という立場で構成しています。 (2008.07.17 22:55:41)

Re:続きです   よたよたあひる さん
shchan_3さん

 私は、コメント欄を通してみなさんとやりとりをしながら記事を書かせていただいているうちに、自分の考え方の「軸足」、しょうさんの言葉でいうと「力点」のおきどころはどんどん変わってきています。その中で変わらずに考え続けているところ、「行き違い」「すれ違い」について、しばらく時間をおいてからまとめていきたいと思います。

 娘も夏休みに入り、ちょっと落ち着いたようですし、自分の中のモヤモヤも少しすっきりとしてきましたが、まだ未整理のものが残っている中で、記事にすると、またみなさんに迷惑をかけるような記事になってしまうといけませんし、とりあえず、今はゆっくりペースで、自分に求められた説明にできる範囲で責任をもって応えていくことしかできません。私もこの間、ずいぶんいろいろなことを学ばせていただいたと思います。

 ネットのやりとりだとどうしても答えを急いでしまいがちですが、ゆっくりペースで考えていくと、見落としていたことが自分でもわかるような気がしてきました。

 しょうさんも学校が夏休みになったとはいえ、生徒の夏休み期間だからこその忙しさがあるかと思います。どうぞお大事になさってください。 (2008.07.19 02:04:51)

説明させていただきます   Psyche さん
まずしょうさんに申し上げたいことは
「自分の批判が妥当である」と述べることが目的ではありません。
私は自分より優れた意見があればそちらを選択いたしますし
自分に嘘をついてまで自分の正当性に固執するつもりもありません。
ですから「学びを深め、共有していくような“振り返り”」については
私は同意する立場を取っております。

しかし以前に申し上げたとおり
共に妥当な意見を模索していくためには
フェアな立場から意見を書こうと努めることは必要な姿勢であり
それは私にとって最も大切なことなのです。

一方を擁護することを意図して述べるのではなく
情などを抜いて自分はどう考えるのかを述べる。
これは相手と対等に意見を述べ合う上において
非常に大切なことなのではありませんか?
ですから以前しょうさんに対しても
「私にだけ一方的に求めるのはどうなのか?」と言ったのです。
何事においても私はフェアに意見を述べ合いたいし、また自分もそうありたいのです。



さて、よたよたあひるさんの意見の有用性については
私のブログの「総括者の意図とトリック」という記事にて
説明させていただきました。

彼女は今回のすれ違いの原因として
「おしゃべり言葉」と「議論の言葉」によるものであると
仮説を記事にて述べられました。

しかしその線引きは何かと問われれば
まったく明確ではなく、しかも境目すらない。
これは仮説としては失敗であると言わざるを得ません。
そこに致命的な欠陥を感じるのです。

彼女はグラフを示されたわけですが
その段階で説は崩れていると考えます。
なぜなら、彼女の説は両者の扱いが
両極の関係にあるとするものであるからです。 (2008.07.19 02:27:52)

Re:説明させていただきます(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん
>「自分の批判が妥当である」と述べることが目的ではありません。

なるほど、あなたの意図を「断定」すべきではないでしょう。それならば同様によたよたあひるさんの意図も「断定」すべきではありません。彼女は「当初のすれちがいの原因はなにか」という関心を持って一般的な教訓を引き出せないか、という趣旨で記事をかかれたはずです。「すずめさんへの情」が論旨に影響した可能性はあるということを彼女は正直に認めておられますが、「すずめさんの擁護が目的であった」とは一言も言っておられなかったはずです。
あなたの批判記事は「断定」から出発しているように読め、少なくとも私はあまり説得力を感じていません。
むしろ、自分の論旨や「よたよたあひるさんの記事」の読み取りの中に「自己を正当化したい気持ちが影響していないか」を問うべきでありましょう。

わたしがあなたに質問したことは一つだけです。
 「自らの主張の妥当性」を主張・確認することが目的であったかどうかはさておき、よたよたあひるさんの記事に対してあなたが最初に書き込まれた内容はあまりにも配慮に欠けているのではないかと感じたのですが、いかがですか。厳しい状況の中、力を振り絞って「あの記事」を書かれたこと、その後も現実の事情で心身ともに厳しい状況であったことは鈍感な私にも想像できたのですが・・・。現時点での見解をお聞かせください。

>しかしその線引きは何かと問われれば
まったく明確ではなく、しかも境目すらない。
これは仮説としては失敗であると言わざるを得ません。
そこに致命的な欠陥を感じるのです。 

私は異なる見解を持っていますので、考えをまとめてあなたのブログ記事に書き込ませていただきます。
(2008.07.19 22:18:05)

無題   Psyche さん
>よたよたあひるさんの記事に対してあなたが最初に書き込まれた内容はあまりにも配慮に欠けているのではないかと感じたのですが、いかがですか。

配慮に欠けているというのは

 はじめまして。
 kurazohさんのブログでは何度かすれ違っていましたね。
 トラックバックから来ました。

 死亡事故まで起こしてしまった教員の
 危機意識不足であったのは明らかです。
 そして今回の議論の発端を考えますと
 児童ひとりが亡くなっている記事を取り上げ
 その考察が親や子どもへの責任転嫁であったというのも
 また浅はかであったと言えるでしょう。
 疑問的な意見が多いのも頷ける話でした。

 首をかしげる程度であれば
 ちょっとした指摘で済む話でも
 程度が酷くなると批判にまでなります。
 それを誹謗中傷と言えば排除できると考えるのは
 優しく指摘してほしいと言っているようなものですね。

このコメントでよろしいでしょうか?
どこが配慮に欠けていたのか具体的に教えていただけますでしょうか。 (2008.07.24 23:39:06)

Re:無題(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん
>このコメントでよろしいでしょうか?
>どこが配慮に欠けていたのか具体的に教えていただけますでしょうか。

いいえ、それではありません。
 よたよたあひるさんの7月11日の記事(関係性への依存「議論」と「おしゃべり」その3)に対する次のコメントです。
>リアルが忙しいのは分かりますが
>他の記事が今後いくつもアップしている中で
>お返事がもらえない(最初に割って入ったのはあ>なたでしょう?)のは
>誠意に欠ける行為ではないでしょうか。
>1度、ご自分をも振り返っていただきたく思います。

 よたよたあひるさんの今の状況は、私の7月22日の記事に対する彼女のコメントからもわかりますね。

>しばらくPCによるネットは封印しておくつもりです。自分と家族の生活リズムをととのえ、ちょっと建て直しをしなくちゃならないので、元気になったらまたコメントします。記事はこれからも携帯から読ませていただきますね。

 私は、あなたの上記のコメントには、問題があると感じましたが、何も問題ないと思われるのでしたら、これ以上申し上げることはありません。 (2008.07.25 00:16:17)

無題   Psyche さん
彼女はリアルに大変なのだから
「相手の立場にたって考えろ」という意味でしょうか。

自分は相手を批判しながら説明を求められるとリアルに忙しいと言い
(リアルが忙しいと言われれば誰もが反論できません)
しかしながら他の記事はUPするというのであれば
それこそ批判した相手への配慮に欠けた行為であるかと思います。
しょうさんは思わないのでしょうか。

あなたは以前保護者の方にバランスの問題を指摘されていたようですが
どうして私にのみ求めてくるのでしょう?
このようなことは今回が初めてではないように思います。 (2008.07.25 00:41:15)

気になることがあったのです   shchan_3 さん
Psycheさん

 すみません。一部読み違いがあったようです。
>他の記事が今後いくつもアップしている中で・・・
というあなたのコメントについては
>(他の批判)記事が今後いくつもアップしていく中で・・・
と解釈し読んでおりました。

 仮によたよたあひるさんの記事が(特に長文である場合はなおさらですが)いくつもアップしていく中で・・・ ということであればあなたの言われることもわかります。

 ただ、どこかに「多少配慮も必要だったかな」という気持ちはほしいと思いますね。
 「体や家族を大切にしていただきたいとは思いますが、多少遅くなってもぜひご返答を・・・」といったコメントであれば私も上記のような質問はしなかったでしょう。

 リアルは言い訳にならないにならないというあなたのコメントを読んで「人間の弱さを認めず(正論で)とことん追いつめていく人なのだろうか」と感じたのは事実です。

(それでもあなたの「厳しいコメント」に応えて彼女は一生懸命返答されていたと思いますが・・・) (2008.07.25 18:15:28)

続きです   shchan_3 さん
>あなたは以前保護者の方にバランスの問題を指摘されていたようですが
>どうして私にのみ求めてくるのでしょう?
>このようなことは今回が初めてではないように思います。

 バランスの問題についてですが、一連の問題について私は以下の記事に見解を述べました。
6.28 ブログでの意見交換とJSミルの『自由論』
7.13 ブログでの発信責任と「批判される側」の姿勢
7.22 おしゃべりの言葉・議論の言葉 1
7.24 おしゃべりの言葉・議論の言葉 2

 一連の記事は「批判した側の責任」やあなたの責任だけを追及する文章ですか? そんなにバランスの悪いものになっているでしょうか?
 わたしは、よたよたあひるさんや(もちろんすずめさんに対しても)必要だと思われる批判はしてきたはずです。

 ただ、上記の疑問も含めてあなたの記事やコメントの中に気になる点があったことは確かです。
 「最初から記事作成者の意図を断定すべきか?」 「理論は理論としてきちんと検討すべきでは?」といった点、すでにコメントさせていただきましたが、バランスの悪い(フェアでない)批判だからあまり受け止める気になれない、ということでしたらなるべく遠慮させていただきます。 (2008.07.25 18:18:12)

記事がバランスが悪いのではありません   Psyche さん
「多少配慮が必要」と言うのであれば
どうして私にばかり配慮を求めるのでしょうか。
私はコメント欄にてよたよたあひるさんに対し
「精神的に厳しいなら無理をされる必要はありません。 」
と申しております。

しかし、相手への批判を続けるなら説明をすべきであり
それができないというのであれば批判は収めるべきというのが
相手に対する配慮であり、マナーであると思うのです。
批判するだけして、去っていこうとする姿勢をいうのです。



あなたの一連の記事については
私は(最新の物は読み込めておりませんが)同意しているではありませんか。
それはこの記事での私の最初のコメントでも述べているはずです。
記事ではバランスの悪さは感じておりません。

ただ、私が申しているのは
あなたのコメント欄でのバランスの悪さです。
1つ目はあなたが保護者の方に指摘された点。
もう1つは今回私が指摘しているように
「よたよたあひる」さんへの配慮に傾いている点です。


「フェアでない批判は受け止められないのか?」については
まずあなたが「学びを深め、共有していくような“振り返り”」
を私に求めたことを思い出していただきたい。
虫のいいこととしてその後撤回されましたが
基本的にはあなたも私もそれが必要なことであると
認識しているはずです。

だからこそバランスの悪い批判については
私は今後もそれを指摘し修正していただくつもりですし
私もそれに応じるつもりです。
複数の人間が論議しながら妥当な結論を見出していくという
あなたの考えには同意しているのです。
批判を相手に届ける大切さは、あなたが述べられたのではないですか。 (2008.07.26 18:56:33)

続きです   Psyche さん
よたよたあひるさんの意図を断定すべきでないという指摘については

 >「議論」を納めたいという意図があったことは確かにそうだろうと思います(7月13日)

 >「常連としての情」があったことも否定いたしません。(7月13日)

 >当初の記事では、それが「常連としての情」が前面に出るすずめ先生擁護となっていました。
 >その「情」の部分は変わっておりません。(7月16日)


議論を収めたい意図があり
そこに常連としての情があったとすれば
それは「弁護の論理」であると解釈するのが自然なのではないでしょうか。
それではしょうさんに問いたいのですが
「意図を断定すべきではない」と言うならば
他にどのような解釈をあなたはなさるのでしょう。

彼女も「すずめ先生擁護となった」と認めておられます。
結果的にそういう風に見えてしまったように表現されていますが
出発点が擁護の気持ちであれば、
しかも情の部分は今も揺らいでいないということであれば
徹頭徹尾すずめさん擁護の立場と思われます。


中立の立場のように見せながら振り返りをすると言い
議論の流れを変えることにより批判者を一旦黙らせ
フタを開けてみれば非常にすずめさん側に非常に傾いた内容であった。
議論を収めたい彼女の意図は本人が認めるところであり
これは確信的であったと思われます。

傾いたままで批判するだけ批判しながら
リアルの忙しさを持ち出し去っていく姿勢も確信的であったと
疑われても仕方がない結果だと思えます。

それをあなたが「よたよたあひるさん」に対する情に傾いたコメントをなさるので
コメントにおけるバランスの悪さを感じずにはおれないのです。 (2008.07.26 19:00:46)

無題   Psyche さん
大切なことなので記事でもアップさせていただきました。
あなたの記事でのバランス感覚と考察の深さにおいては
ここに最初に来たときから私は敬服しています。
それは理解していただきたいのです。 (2008.07.26 19:24:20)

Re:記事がバランスが悪いのではありません(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん

>複数の人間が論議しながら妥当な結論を見出していくという
>あなたの考えには同意しているのです。
>批判を相手に届ける大切さは、あなたが述べられたのではないですか。

 了解いたしました。ともに「意味ある振り返りを目指していく」という観点で、応えさせていただきます。

 まず、「意図を断定すべきか」という点についてですが、このたびのあなたのコメントの中にも「これはどうか」と思える部分があります。

>それをあなたが「よたよたあひるさん」に対する情に傾いたコメントをなさるので
>コメントにおけるバランスの悪さを感じずにはおれないのです。

 上記の表現は一見軟らかいようで、一つの断定が含まれています。「私(Psyucheさん)の目から見れば情に傾いたコメントであるように見える」と言われるべきでしょう。それは、同じことではありません。

 他者の意図や心の問題は、「外から断定すべきではない」というのが私の考えです。

 まず、あなたのコメントに配慮を求めた件ですが、私自身のこれまでの人生経験の中で「人間の弱さを受け止めることの大切さ」は一つの命題(場合によりますが)となっています。

 従って、よたよたあひるさんであろうとなかろうと、「リアルが本当に大変なのででコメントも遅れがちになると思います」というのは全く許容範囲です。

 それに対し「リアルは言い訳にならない」と追い打ちをかける姿勢には、やはり配慮を求めたい気持ちが残っています。

 後で触れておられる「精神的に厳しいなら無理をされる必要はありません。」については全く違和感なく支持をさせていただけるのですが。 (2008.07.26 21:35:25)

Re:続きです(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん

>議論の流れを変えることにより批判者を一旦黙らせ
>フタを開けてみれば非常にすずめさん側に非常に傾いた内容であった。
>議論を収めたい彼女の意図は本人が認めるところでありこれは確信的であったと思われます。
>傾いたままで批判するだけ批判しながら
>リアルの忙しさを持ち出し去っていく姿勢も確信的であったと疑われても仕方がない結果だと思えます。

 結局、彼女の立ち振る舞いについて言及されているわけですが、ここは冷静に振り返ってみましょう。

 問題の記事に対する一連の激しいやりとりが「一応収束に向かった」のは何日でしたか?
 6月30日の「お騒がせしてすみません」「一連のコメントに関して」という記事だったと思います。それまでによたよたあひるさんが書かれた記事は6月28日『杉並区立第十小学校の児童転落事故について』
6月29日『教職員の心のケアと「同僚性」児童転落死事故について その2』

 その内容自体は、事件そのものを振り返りつつ「明らかに人災である」と位置づけるとともに「現場の教職員に対するケアの緊急性」を訴えたもので何ら問題はなかったのではないでしょうか。

 事件を冷静に捉え直すことを促した記事について「批判者を黙らせる」という「意図」や「悪意」をそこから読み取るべきでしょうか。

 彼女が『ブログの言葉・「議論」と「おしゃべり」その1』をアップされたのは7月3日(つまり激しやりとりが一応の収束を見た後の段階)だったわけです。

 上記の点だけを取ってみても、あなたの「意味づけ」には疑問を挟む余地があるのではないでしょうか。
 「一連の激しいやりとりをきっかけに教訓を引き出そうとした」という彼女の意図がウソだなどと断定する根拠はないのではありませんか? (2008.07.26 22:10:49)

Re:続きです(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん

>あなたのコメント欄でのバランスの悪さです。
>1つ目はあなたが保護者の方に指摘された点

 上記にも書かせていただいたように、私自身はバランスの悪いコメントをしているつもりはありませんし、「批判の作法が大切だ」ということ自体、自己否定する気はありません。
 
 ただ、問題の記事に対する批判の意味は、7月22日の記事にも書いたように1、「批判することによって容認できないという立場を明らかにすること」、2、「相手にわかってもらう(通じる言葉を発する)こと」です。

 1、の観点ではあなたの「厳しいコメント」にも充分な意義があるでしょう(その点では保護者が言われたこともわかります)が、2、を追及するためにはやはり「批判の作法」が重要であると考えています。
 
 その中で特に「他者の心の問題である“意図”については断定せず、言説の内容そのものについてきちんと評価・批判する」ということが私自身もっとも大切にしたいと思っている点です。

 私の7月22日の記事は、特によたよたあひるさんの提示した理論内容を批判的に検討しましたが、意図を断定して「これは○○さん擁護のねじ曲がった理論だ」という批判はしていませんし、すべきではないと考えています。このような「批判の仕方」が妥当であるのか「甘い」のか、本当は私とあなただけではなく「複数の方に検討していただけたら」とも考えています。

 明日から、長期の出張にでますので、取り急ぎいくつかの点について書かせていただきました。 (2008.07.26 22:39:51)

お邪魔します   ルナ さん
こちらで私のことが出ているようなので、私の見解を説明してもよろしいでしょうか。まず私が感じるのは、どうしてここまでモメているのかということです。

1つは、よたよたあひるさんがすずめ先生を庇われたときの態度によるものが考えられます。私は以前まずろさんのブログでも書いたように、すずめ先生の記事の内容は保護者の立場から見て明らかに心情を逆なでするようなものでありました。ですから、これを容認することを私は到底できません。そこでよたよたあひるさんが現れてすずめ先生を庇うような論理を展開されたわけですが、そこで論理的にすずめ先生を庇おうとしたことが原因だったのではないかと思います。だって、明らかにすずめ先生のおっしゃる内容は不適切だったと思っていますから。ウカツで済ませるあたりが常連の情なんだなと、横から見ていて感じました。

少し話は変わりますが、田代まさしさんが出所されるときの話です。友人の美川憲一さんは、報道陣から田代さんについて聞かれたときに「許してあげてほしいわ」と言ったのです。そのときの美川さんの態度は<この人のやったことは悪いことだけれど、本当はいい人なのよ。罪を償ったんだから許してあげて>といったもので、それを見ていて私は美川さんの気持ちが痛いほど伝わってきました。美川さんは、本当に田代さんを大切に思っているんだなぁ・・・と。このとき論理的に彼を庇おうとすれば、きっと相手と対立していたのじゃないかと思います。美川さんの擁護が成功したのは、論理ではなく情に訴えかけるものだったからと感じました。論理で説明することは相手を否定することにつながりますし、反発を受ける(しかも相手の方が正論なわけです)のは目に見えています。 (2008.07.26 23:16:06)

続きです   ルナ さん
すずめ先生は等身大でブログを書かれているところが魅力なのだと思います。それは私も感じますよ。でもだからって、情ではなく論理で弁護しようとするのはどうなのかなってずっと感じていました。

すずめ先生の意図がはっきりしないのに、こんなことを私が言うのは許されないのでしょうか。しかし肝心のすずめ先生は黙ったままで、よたよたあひるさんも彼女の記事の内容について振り返るつもりはないとおっしゃっています。そのあたりをクリアにする意思はないのに、断定するなっていうのが私はおかしいと感じました。私は批判者の立場の方と同じような立ち位置に今のところ立っています。 (2008.07.26 23:16:22)

続きです2   ルナ さん
ここまでモメている2つ目の原因としては、よたよたあひるさんの発言の曖昧さが考えられるんじゃないかと思っています。たとえば

>「議論」を納めたいという意図があったことは確かにそうだろうと思います

についてです。どうして「そうだろう」なんですか?自分の意図、意思ははっきりと発言すべきと思います。擁護するかどうかの意図についてモメているようですが、彼女がはっきり発言しなかったことが原因なんだと私は思います。

>批判している方の言葉を「人格攻撃」と結論づけているのではなく、「機能してしまいやすい」と結論づけているのです。

「機能してしまいやすい」という意味が理解できないのです。人格攻撃なら人格攻撃、違うならその理由をちゃんと説明すればいいでしょう。「機能してしまいやすい」というのはあくまでも「読み手」が中心で、それも疑問です。彼女はいつも肝心なところは曖昧な表現にしている。これは逃げ道を作っているんじゃないかと私は考えていますし、それをPsycheさんも追い詰めようとするので、余計に泥沼化しているのだと思います。 (2008.07.26 23:39:16)

続きです3   ルナ さん
よたよたあひるさんは、「批判は相手に届かなければ意味がない」と言っています。それは私も理解できます。でも、同じ言葉であっても届くかどうかは相手にもよりますし、相手が未熟な場合は諭すように言わなければなりません。でも、それって社会人であり中堅に位置するすずめ先生に対してそこまで配慮するのはおかしいと思いますし、それはすずめ先生が批判内容に向き合う姿勢を身につけることがもっとも大切なことだと思います。そして、すずめ先生を正面から批判されたのは、公立の先生ではなく塾の先生のPsycheさんとまずろさん(まずろさんの職業は私は知りませんが・・・)だったのが非常に悲しかったです。配慮に欠ける程度じゃないと思いましたし、やっぱり同じ公立の先生が「それは違うよ」と言ってほしかったというのが私の心情です。Kurazohさんがすずめ先生に対して批判していたのは、私は心が救われたような気がします。 (2008.07.26 23:39:35)

これで最後です   ルナ さん
私は、「批判しっぱなしで自分の言いたいことだけ言って去っていく」よたよたあひるさんの態度はどうかと思います。それだったら最初から言うなって思いますよ、普通は。

もちろん現実世界を優先すると言われれば、飲み込まざるを得ません。そして、現実世界が大切なのは彼女だけでなく、しょうさんもPsycheさんも他の方も一緒です。それが分かれば簡単に忙しいなんて言えませんし、忙しいと言うのであれば私なら最初から言いませんよ、絶対。

Psycheさんにおっしゃるしょうさんのコメントは妥当だと思います。でもそれなら、よたよたあひるさんにも言うべきです。「配慮が足りないんじゃないか?」と。批判されるPsycheさんが納得できない気持ち、私も理解できますから。それがPsycheさんがおっしゃるバランスの悪さじゃないんでしょうか。

しょうさんがよたよたあひるさんを庇う(記事では不十分と指摘しているけど)のは、見ていてそう感じます。でも、やっぱりもう言い争いはやめてほしいです。

Psycheさんが別のブログで、「戦争に正義はあるのだろうが、どんな戦争もひとたび始まれば時間と共に腐っていく。」とおっしゃっていました。ホントそのとおりだと思いますし、分かっているならPsycheさんもそろそろいい加減にすべきなんじゃないでしょうか。ここでのコメントは、これをもって最後にしたいと思います。 (2008.07.26 23:52:32)

Re:これで最後です(07/13)   しょう さん
ルナさん

 出張先から書き込ませていただいています。長文のご意見ありがとうございました。ともかく、あなたがどのように感じられたかについては受け止めさせていただきます。
 Psycheさんとのやり取りを延々と続けるだけでなく第三者のご意見を頂ければと考えておりましたので、本当にありがたいです。
 (部分的な)反論などをすぐにお返しすることは、控えておきます。ルナさんなど第三者のご意見を頂いて、すこしじっくりと考えつつ今後に活かしていくのがよいかと思います。
 私自身にとって「意味ある振り返り」にしていくという意味で他の方のご意見も書き込みは歓迎いたします。  (2008.07.27 23:13:17)

横レスですが・・よたよたあひるです   よたよたあひる さん
Psycheさん、ルナさん、

私は、「批判するだけして去っていく」つもりはないです。必要な説明はさせていただくつもりですが、なかなかきちんとかけないことをご挨拶したまでです。時間がかかって申し訳ありません。 (2008.07.28 20:55:08)

真面目だね    いちろう さん
よたよたあひるさん、

>私は、「批判するだけして去っていく」つもりはないです。

そんなに真面目に対応する必要ないと思うよ。
特に忘却くん(Psyche)なんて、
反対意見は削除するし、書き込み制限するし、
その程度の人間に真面目に対応しなくていいんじゃないの?
ルナさんは、不思議ちゃんだし。
でも、ここへ来たら、
だんご3兄弟を歌いたくなった。

このコメントの削除は御自由にどうぞ。 (2008.07.28 21:20:48)

ずいぶん長いやりとりですね   mazuro さん
しょうさん、お声をかけていただきありがとうございます。
最近は多忙で、自分のブログへの返答が精一杯になっておりました。
今、まだ帰宅しておりませんが、率直な感想を一言だけとりあえず置かせていただきます。

まずここまで熱い意見交換はお互いに真剣に考えるからですね。
すばらしいと思います。
しかし少し一段引いて、視野を広げて見られると違う風景がお互いの立ち位置からも広がってくるかもしれません。

まずしょうさんはpsycheさんに対して思われていることは

「自らの主張の妥当性」を主張・確認することを目的として、よたよたあひるさんへの厳しい態度は常軌を逸している(オーバーな表現かもしれません)。もっと他人への優しさや配慮を心がけるべき

そして (2008.07.28 21:38:07)

すみません。途中でした。   まずろ さん
すみません、途中なのに送信してしまいました。
大変失礼いたしました。汗

続きです。

そしてPsycheさんはよたよたあひるさんに対し、

すずめさん擁護の立場を最初匂わせずに「振り返り」記事を書くと言って議論の流れを中断し、すずめさん擁護のための振り返り記事をあげるだけあげ、議論を終結させて自らも忙しいということを大義名分に去っていこうとしている、と思い(実際はよたよたあひるさんは去るつもりではないと明記しておられます)

お互いに相手への思い込みや性急さが、熱心な議論を空回りさせているような残念さを感じます。

とても急いでおられる、焦っておられる印象があるのです。

いや、私自身も偉そうにはいえません。
私もきっとこの中に入れば自信ありませんから。 笑
そして、そもそもの原点からずいぶん軸足がぶれているのは気になります。

帰宅したらそれも踏まえた短い(長いものを書く元気がないもので 笑)記事を手がけたいと思います。

僭越すみません。取り急ぎ。 (2008.07.28 21:56:02)

無題   Psyche さん
申し訳ありませんが
どうもかみ合っていないように感じます。
まずは私の疑問にお返事をいただきたく思います。


 議論を収めたい意図があり
 そこに常連としての情があったとすれば
 それは「弁護の論理」であると解釈するのが自然なのではないでしょうか。
 それではしょうさんに問いたいのですが
 「意図を断定すべきではない」と言うならば
 他にどのような解釈をあなたはなさるのでしょう。

 彼女も「すずめ先生擁護となった」と認めておられます。
 結果的にそういう風に見えてしまったように表現されていますが
 出発点が擁護の気持ちであれば、
 しかも情の部分は今も揺らいでいないということであれば
 徹頭徹尾すずめさん擁護の立場と思われます。

 中立の立場のように見せながら振り返りをすると言い
 議論の流れを変えることにより批判者を一旦黙らせ
 フタを開けてみれば非常にすずめさん側に非常に傾いた内容であった。
 議論を収めたい彼女の意図は本人が認めるところであり
 これは確信的であったと思われます。


なお配慮に関しては
一方にのみ求めることを問題としたわけで
しょうさんがよたよたあひるさんに配慮するのみであれば
何ら問題であるとは考えておりません。 (2008.07.29 01:10:35)

よたよたあひるさんへ   Psyche さん
よたよたあひるさんへ

「リアルでの忙しさ」を持ち出すのでしたら
(少なくともその期間は)「批判をすべきではない」と思います。
それこそ「批判をする上でのマナー」であり
あなたが関心をもたれている「ネチケット」なのではないでしょうか。

リアルの忙しさについては終始述べているように
「一定の理解」はしておりますのでご安心ください。 (2008.07.29 01:18:55)

Re:無題   shchan_3 さん
Psycheさん

 この件については7月28日「ブログコミュニケーションの“作法”」のコメント欄で回答いたします。 (2008.07.29 06:15:07)

Re:真面目だね (07/13)   shchan_3 さん
いちろうさん 

>でも、ここへ来たら、
>だんご3兄弟を歌いたくなった。

 だんご3兄弟 懐かしいですね 一度聞けば覚えてしまう単純な歌。
 3兄弟がまとめて「固くなりました」チャンチャン とならないよう、少し頭の体操をしながらいきます。

 もしかしてこのコメント欄、50を記録するかも。 (2008.07.29 06:21:25)

Re:ずいぶん長いやりとりですね(07/13)   shchan_3 さん
mazuroさん

 適切なご感想・コメントありがとうございます。あわてて書き込まれて“汗”とかいておられますが、心のゆとりを取り戻しながら「振り返り」をするのに大変役立ちますよ(笑) (2008.07.29 06:29:35)

Re:よたよたあひるさんへ(07/13)   shchan_3 さん
Psycheさん コメントを入れられるなら・・・ 

>「リアルでの忙しさ」を持ち出すのでしたら
>(少なくともその期間は)「批判をすべきではない」と思います。
 
 「一つの考え方」ではありますが、コメントはこれだけでいいのですか?

>リアルの忙しさを持ち出し去っていく姿勢も確信的であったと疑われても仕方がない結果だと思えます。

 私が問題にしたあなたのコメントは「批判だけして逃げようとしている」という限りなく断定に近い憶測に基づいていたわけですよね。

 その意図を、上記コメントでよたよたあひるさんは明確に否定しておられるわけです。

 「あなたの意図はそうだったのですか」「誤解があったようです」といったコメントは当然だと思うのは私だけでしょうか。

 これを書くかどうか、正直迷ったのですが“情”などとは別の次元で「コミュニケーションにおいて大切なこと」だと考えます。
 あなたが受け止めてくださることを願っています。 (2008.08.02 23:31:45)

無題   Psyche さん
よたよたあひるさんから説明された意図については
私の中でも未だに疑問が残るものとなっておりますが
真実は別として「彼女がそのように説明している」という事実は了解いたしました。
証言が100%真実であると証明することは不可能ですし
振る舞いや発言も総合的に考え妥当な考えを導くことの方が
私は有意義であると考えております。
ですからこれ以上は特に申すことはありません。

しかし私にそうおっしゃるのでしたら
あなたは「情は1%あった」とおっしゃいました。
複数の方から指摘されておきながら「1%」というのは
私としては非常に納得のできない回答ではありますが
情を認められたあなたは何か私に言うべきことはないのでしょうか。 (2008.08.03 01:43:23)

無題   Psyche さん
私は彼女のこれまでの振る舞いについて
非常に偏りがあると述べてきました。
そして今回急にリアルの忙しさを持ち出し
ネットから距離を置くとしたのは
すずめさんの批判を矛先を変えて
つまり軸足をブレさせてそれが成功したあとです。
ですから私は上記のような疑問を持ちました。

>私自身のパソコンでのネット利用は封印しておくつもりですから、次のお返事はかなり先になってしまうかと思います。

「ネット利用は封印」「お返事はかなり先」との言葉は
それこそ質問を封じ込める効果が働くものでしょう。
ですから上記のような疑問が出てきたわけで
誤解のある発言を受けてではありますが
「批判した責任は理解し説明責任を果す」と言うのであれば
特に問題視するつもりはございません。

ただ他の記事を上げながらの上記発言は
事実上去ろうとしおり責任を感じていないのではと思われても
仕方のないものではないでしょうか。

私の表現の強さから謝罪を求められていると感じられているのかもしれませんが
私は謝罪は必要としておりません。
ただ、偏りを認識し態度を改めていただきたいと願うのみです。 (2008.08.03 02:20:29)

8月3日(1)   shchan_3 さん
Psycheさん

>真実は別として「彼女がそのように説明している」という事実は了解いたしました。
>証言が100%真実であると証明することは不可能ですし(・・・)ですからこれ以上は特に申すことはありません。

 さまざまな状況から「疑わしい」と思いはあるけれども「断定は保留」されると言うことですね。これは「部分的な合意」であるとは思いますが、私にとっては「限りなく貴重な合意」です。
 疑わしい状況はある(ように思われる)が、「断定」は保留すると言う態度は、例えば日常、子どもや生徒に接する場合においても、通常の人間関係においても「本当に大切なこと」であると考えています。

 失礼ながら正直な話、「受け止めていただけるのか(無駄ではないのか)」という気持ちを打ち消しつつコメントさせていただいておりました。「色眼鏡」をかけていたことについてお詫び申し上げます。

>あなたは「情は1%あった」とおっしゃいました。情を認められたあなたは何か私に言うべきことはないのでしょうか。

言葉足らずのようですが、この場合「1%の情はあなたへの批判の論旨を左右するものではありません(情によって批判などしていませんよ)」ということを申し上げておきたいと思います。

>複数の方から指摘されておきながら「1%」というのは・・・

 私自身「感情的で情緒的な面」があることをまずろさんのコメント欄で「告白」したことがあります。誤解を招いたかもしれませんがその内実は「(私の目から見て)相手の人格を充分尊重していないかに見えた記事やコメントへの憤り」というべきものです。(その趣旨は7月28日の記事で述べました。)

 その感情と「個人への同情を混同してほしくない」と言う思いで「1%」(つまりゼロに近い)と回答いたしましたが「あなたやルナさんの目から見て不公平に見えた」と言うことについては受け止めさせていただきます。 (2008.08.03 19:56:21)

8月3日(2)   shchan_3 さん
 ただ、これも申し上げておきたいのですが私は7月22日の記事で、よたよたあひるさんに対する根本的な疑問を提示しています。

>出発点において彼女なりの「一つの判断(ジャッジ)」がすべり込んでいると感じるのは私だけでないでしょう。すなわちそれは、最初の時点で「すれ違い」ないし「誤読」があったのではないかという判断であり、そのために「感情的な議論」になってしまったのではないか、という判断です。

 この記事に対して本人からコメントがあり、それが妥当でないと私なりに判断した場合は、当然批判的なやり取りをさせていただくことになるでしょう。

 ところで、私自身は必ずしも感情を否定的に捕らえていません。あなた自身、「事故」に関わる「“すずめさん”の記事」へのコメントで憤りをにじませておられましたが、私はそのような感情を否定的に見るべきではないと考えています。 

 さて、あなたへのコメントで私自身が「バランスが悪かった」と自己反省している点は、私が「他の人を批判していない」事よりもあなた自身の言説に関する「積極的な面をほとんど言葉にしなかった」と言うことです。

 「厳しい批判」によって「間違っていることは間違っている」と明確に指摘することは大きな意味があります。

 「教訓は生かしてこそ教訓」で書き込まれた2番目のコメントは結果として本人が問題の本質を理解していく決定的なきっかけとなりました。
 そういったことを決して見逃していたわけではないのですが、ほとんど言葉にしていなかったことは一つの反省点だと考えています。 (2008.08.03 19:59:02)

8月3日(3)   shchan_3 さん
>「批判した責任は理解し説明責任を果す」と言うのであれば
>特に問題視するつもりはございません。

>ただ他の記事を上げながらの上記発言は
>事実上去ろうとしおり責任を感じていないのではと思われても
>仕方のないものではないでしょうか。

 私自身は、相手から意図の説明があった場合「ともかくも真実として受け止める」ほうが、相互の信頼感を高めつつ、議論を継続していくモチベーションを保っていく上で、「よりよいのではないか」と考えています。
 ただ、根拠を示して「疑問(断定ではなく)」を示す、という討論態度は否定するものではありません。 (2008.08.03 20:01:19)

無題   Psyche さん
>さまざまな状況から「疑わしい」と思いはあるけれども「断定は保留」されると言うことですね。

彼女の振る舞いを見る限り

 議論を収めたい意図があり
 そこに常連としての情があったとすれば
 それは「弁護の論理」であると解釈するのが
 自然なのではないでしょうか。

この考えは今も変わっておりません。
それはネットから距離を置くというタイミング、
彼女が導き出した結論も手法も
謙虚さで表面上は取り繕っておりますが
その本質には強引さを感じずにはおれません。

しかしそれが彼女に理解されれば
特に追求を執拗に求めるつもりはありません。
それは『よたよたあひるさんへの質問』における私のコメントを見ても
理解していただけるのではないでしょうか。
議論の軸がそこにあるわけではありません。 (2008.08.04 12:52:44)

無題2   Psyche さん
感情を否定的に捉えていないという発言については
私も否定的に捉えているわけではありません。
感情というのは人間の本質であり
それを否定することは人間の否定につながります。
ですから何度も「すずめさんへの情は理解できる」と述べております。

しかし私が問題視しているのは
情によって論理が歪められてしまうことであり
「弁護の論理」になったということなのです。

あなたは「動機は判別不可能なのだから説が妥当であれば良い」
とのお考えのようですが
私は彼女の仮説については記事にて否定しておりますし
まずろさんも同じような説明を彼女のブログにてされていたように思います。
意図を差し引いても妥当性に欠ける仮説であると考えております。

線引きを説明することが出来ないにもかかわらず
どうしてすずめさんの言葉を「グレーゾーン」と分類できたのか理解できませんが
仮にグレーゾーンであったとすれば両者の言葉に極端な差は認識できず
両者の言葉の種類を持ち出しての擁護は妥当であるとは思えません。


言葉によって解釈の幅の差が出てくると
しょうさんは私のブログにておっしゃいましたね。
たしかに現実生活でも存在するものでしょう。

しかしすずめさんの言葉は
差を明確に認めることのできないグレーゾーンのものであり
しかも私たちは「同じ日本語」を用いて会話をしていることを考えると
誤解があったとしても十分説明は可能と考えるのが当然でしょう。
それを「議論」と「おしゃべり」の言葉を持ち出し
あたかも扱いが全く異なるかのように定義することによっての擁護が
非常に違和感を感じるところなのです。
彼女のブログを見たとき
そこまでの苦しい小手先の言い訳をするほどの文体と思えません。
なにより本人がその感想として苦笑していたようです。
問題はそこまで複雑なものではなく非常にシンプルなものなのではないでしょうか。 (2008.08.04 12:54:29)

無題3   Psyche さん
> 私自身は、相手から意図の説明があった場合「ともかくも真実として受け止める」ほうが、相互の信頼感を高めつつ、議論を継続していくモチベーションを保っていく上で、「よりよいのではないか」と考えています。

場合によりますが、私は引用のような考えには基本的に疑問を感じます。
それはすずめさんを批判した際に
「そのような意図はなかった」と言われても
具体的に説明がなされていない理由から
疑問の姿勢は崩さなかったことを見てもお解かりでしょう。
本人の説明が重要であるとの認識はありますが
基本的には妥当性を考える材料の1つと考えております。


逆に私の言動を「人格攻撃」とのフレーズにて批判されたとき
私はそのような意図はないと具体的に反論したつもりですが
引用の立場を取るとすれば私の説明を無条件に受け入れるべきと言えるでしょう。
いえ、私自身は「人格攻撃をしている」との考えを
具体的説明とともにいただいたのであれば
理解されるまで誠意を持って説明していく意思は持ち合わせております。 (2008.08.04 12:54:52)

8月4日(1)   shchan_3 さん
Psycheさん

 あなたの見解については、大体理解させていただいたと思います。確かに「異なる点」もありますが、書き込んでいただいた内容で私の見解と一致するものも多くあります。

>振る舞いや発言も総合的に考え妥当な考えを導くこと

 確かに論拠を示して「疑問」を提起していくことは、有意味でしょう。

>しかし私が問題視しているのは
>情によって論理が歪められてしまうことであり

 「仮に弁護そのものが意図」ではなかったにせよ(わたしはそう受け止めていますが)、上記の点について何ら反対するものではありません。

>しかし、すずめさんの言葉は
>差を明確に認めることのできないグレーゾーンのものであり
>しかも私たちは「同じ日本語」を用いて会話をしていることを考えると
>誤解があったとしても十分説明は可能と考えるのが当然でしょう。

 この点についても反対ではありません。

>「議論」と「おしゃべり」の言葉を持ち出し
>あたかも扱いが全く異なるかのように定義することによっての擁護が
>非常に違和感を感じるところなのです。

 この擁護にも無理がある、というのが私の7月13日と7月22日の記事の結論です。

>私自身は「人格攻撃をしている」との考えを
>具体的説明とともにいただいたのであれば
>理解されるまで誠意を持って説明していく意思は持ち合わせております。

 確かに、部分的に見解は異なりますが、上記の貴方の姿勢は一貫性があると思います。 (2008.08.04 20:00:08)


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