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2008.09.09
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カテゴリ:特別支援教育

『この子らを世の光に』(NHK出版)の引用・紹介を続ける。

 近江学園は、知的障害児対策から出発し、重症心身障害児も普通児と同じ発達の道を通り、どんなにわずかでもその中で豊かさをつくるのだということ、治療や指導はそれへの働きかけで、その評価が指導者との間に発達的共感を呼びおこし、次の指導技術を呼び起こし、すべての人の発達保障の基礎が生まれてくるとした。(167頁)

 もちろん、この発達保障という考え方には思想的背景もあり、スイスの教育家ペスタロッチ以来の教育学の伝統に加え、科学的社会主義を唱えたドイツのK.マルクスやF.エンゲルスによる人間の「全面発達」の実現という理想主義的な教育観の影響も少なくないと思われる。(169頁)
 
 (・・・)さて、発達保障の考え方に関して、最後にどうしても追加して述べておかなければならないことがある。それは、人間の精神発達を、例えば知能指数(IQ)のように一元的に年齢とともに縦軸の発達をすると理解してはならず、年齢に応じて横軸の発達があるという発見についてである。(169頁)

 糸賀は次のように述べている。「(・・・)人間の精神発達というものは、年月とともにしだいに上へ伸びていくばかりでなく、あらゆる発達段階で豊かな内容をもつようにひろがっていくものだということも証明された。(・・・)縦軸の発達はほとんど絶望的であっても、横軸の発達は無限といってもよい。」

 (・・・)この横軸の発達については、糸賀はさらにいろいろと述べているが、一言でいえば「この横の広がり(発達)とは何かといえば、かけがえのないその人の個性です」と結論づけている。(170頁)

 糸賀の「この子らを世の光に」は聖書の「人の光」、「世の光」に端を発した理念である明らかにキリスト教的表現であり、近江学園発足後の初期に生まれた福祉理念であった。一方「発達保障」はこの理念に基づきつつも、近江学園におけるより具体的な福祉実践によって肉づけされ誕生したものであり、その後の療育実践に科学的検討を加えた人権保障的な社会思想(新たな福祉思想)となっており、内実もはるかに豊富になっている。

 この点では、糸賀の青年期の哲学論文において、神学→宗教哲学(あるいは宗教→哲学)の関係が想起されていいだろう。(つまり、直接的な体験である宗教を反省によって捉えなおし、深化させたものが哲学ないし宗教哲学という関係:引用者)

(・・・)糸賀の福祉思想はこの両者の関係(・・・)を障害者福祉で再現させたものではなかろうか。つまり「この子らを世の光に」が神学(ないし宗教)の位置に、「発達保障の考え方」が宗教哲学(ないし哲学)の位置に、といった具体的関係(・・・)にあるわけである。(以上171頁)

(・・・)こうした点から見ると、糸賀の福祉思想において「この子らを世の光」から「発達保障の考え方」へはまさに円熟の度合いが増したものと位置づけることができる。
(172頁)

〔コメント〕
 
 糸賀は「卒業論文」で、ヘーゲル等のドイツ観念論を援用しつつ、宗教哲学を「宗教的体験の反省的自己理解」だと説明している。これとの類比で「発達保障」も捉えるべきではないか、というのが著者の見解である。

 つまり、「この子らを世の光に」「この子らが真に輝ける社会に」ということを目指しつつ、 「“確信”を実践的に発展させ、“反省”によって捉えなおしたもの」(理論化したもの)が「発達保障」の思想だったと考えられるのである。

 大切なことは、糸賀の実践が彼自身の「哲学」、「確信」から出発したと同時に、その「哲学」、「確信」が逆に施設内外における旺盛な実践によって深められたこと、さらに、それが21世紀に残すべき「先駆的な提言」となったことである。

 ドイツのK.マルクスやF.エンゲルスによる人間の“全面発達”の実現という理想主義的な教育観の影響も少なくない」ということであるが、糸賀自身の言葉:「横軸の発達は無限(である)」 「この横の広がり(発達)とは何かといえば、かけがえのないその人の個性(である)」からもわかるように、そのような教育観が実践を通して具体化され、限りなく豊かにされているのではないだろうか。 
                                         続く 


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