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2008.11.08
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『競争しても学力行き止まり』の著者福田誠治氏はかなりの期間フィンランドの教育を研究してきた人物で、サブタイトル「イギリス教育の失敗とフィンランドの成功」からも福田氏の立場はうかがえます。

 「最初は、イギリスの教育を分析することに主眼をおいて書き始めた。だが、日本の教育のいく末が見えてくるのが最大の目的という助言を受け止め、表現方法に悩みながらやっとの思いで書き上げた」(228頁)と福田氏は述べています。

 当面、前半の「イギリス教育の分析」に関する記述の紹介を続けます。

 1988年教育法は、教育の原理(哲学)から教育制度、授業方法にいたるまで、イギリスの教育を根本から変えてしまった。 第一部のうち第1章は、「国家カリキュラム」と「全国学力テスト」の実施が規定されている。

 イギリスの教育はこれまでは分権的であり、教科書検定はなく、また国家には統一的な教育到達度を示す学習指導要領もなかった。しかし、この法律によって、外部から教育目的が設定され、学校の作業内容が規定され、外部機関によって作業の成果が測定され、評価される仕組みが整った。(60頁)

 第2章は(・・・)親や生徒を教育の「消費者」と定義して、「学校選択の自由」を保障するとした。また、学校は権利の保障主体ではなく、競争主体として再編成され、「学校の企業化」が促進される。(61頁)

 1988年教育法のもう一つの重点は、学校選択制度である。市場原理に当てはめれば、教育は商品、親子は消費者、学校は店舗、教師は売り子となる。(62頁)

 上記のように「学校の企業化(教育の市場化)」、「学校選択制度」がイギリス教育改革の大きな特徴であると言えます。そして、「全国学力テスト」の実施と「結果公表」も採り入れながら「改革」を推進することによって一定の「成果」?を挙げていることも確かです。

 イギリスが特に重視しているTIMSS(『国際数学・理科教育動向調査』)では表2-5で見る限り 小学校4年生の「学力」(国際比較)は大きく伸びています。
イギリス1
(『競争しても学力行き止まり』97頁)
 しかしながら、表2-6や表5-2をみると8年生(中学校2年)になれば伸びは止まってしまうのです。

表2-6 TIMSSにみる数学の成績(中学2年生)
最近3回の調査に連続して参加した18カ国の比較
イギリス2
(『競争しても学力行き止まり』97頁)

 「国を挙げて必死になってテスト勉強したわりには、効果はほとんどなかったのだ。」 (98頁)

 「『公共政策研究所』報告書は、(・・・)政府機関の『普通教育会議(GTC)』によって認定されたものである。(・・・)この報告書は、現行のテスト体制が、狭い学習、薄っぺらな学習、テスト問題の『山かけ』、社会的な責任と自己の学習を結びつけられないという『困難回避型教育』をもたらし、教育に否定的な結果を引き起こしていると批判した。

 つまり、今のイギリス教育はテストの点にならないようなことは教えない、子どもたちは難しいことを考え抜いて学ぶというようなことをしなくなった、と報告書が指摘しているわけだ。(103頁)

〔コメントの補足〕


 小学校でかなり「成果」をあげているかにみえる「イギリスの教育」が、中学校2年生段階で頭打ちになってしまうのはなぜでしょうか。私が思うところは次の点です。

1、国を挙げてのテスト体制と「公開」による学校への圧力は、子どもたちに「テスト向けの訓練」を繰り返しさせていくような方向へと進ませることになった。

2、このような「訓練」は、小学校段階における「学力」(例えば計算力等)を高めるには一定の効果をもたらした。

3、しかし、中学校段階で頭打ちになってしまうのは、 「訓練」の繰り返しだけでは、子どもたちの「(幅広い意味での)学習意欲」を持続的に高めていくことにつながらなかったためではないか。

4、「公開」によって学校間競争が促進されていく様子は、同書を読めばよくわかる。確かに、教職員は「成果」をあげるために必死になっている。しかし、色々な工夫をしながら「楽しく充実した授業を構想し、組み立てていく」という実践は「追いまくられる状況」の中で後退しているように見える。

 このように見ていくと、中学校2年段階で生徒の学力と学習意欲が伸びていかないのは、必然の結果のように思われます。

(4に続く)

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Last updated  2019.03.30 09:39:22
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