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shchan_3

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2009.03.03
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>競争に弊害はあるとおっしゃいますが、生きる力という大義名分のもと
学力低下が起こっていることも事実です。

 上記も含め、ブログ記事(「競争社会を考える」)に対してPsycheさんからご意見をいただきましたので、応答いたします。

 学力低下の原因は「生きる力」の重視や「ゆとり教育」だという主張は、さなざまな個人だけでなく、一時期はマスコミによる「キャンペーン」になった感がありますが、この「主張」が「事実」であるかどうかは、検証の必要があると思います。

 ポイントを二つに分けて考えましょう。
1、日本の子どもの学力は低下しているのか
2、「生きる力」や「ゆとり教育」は学力低下の原因になった(なる)のか


 まず 1 についてですが、そもそも「事実」として伝えられている「学力低下」そのものが疑わしいということは、ブログ記事「日本の子どもの学力低下は本当か」でも述べました。統計的に有意差のある形で「学力低下傾向」が見られるのは、私の知るかぎり「PISA2006」くらいです。

 しかしながら、たとえばPISA2006に見られる「数学的応用力」、「科学的応用力」の低下が「生きる力」や「ゆとり教育」の結果なのかといえば、そう単純にはいえません。(2について)

 まず、実施された時期が日本では1学期の期末テスト後で、質問調査の努力値(どの程度真剣にテストに取り組んだか)が主要国で最低だったことなど、順位を落とした背景には別の要素もあるようです。
神原敬夫氏の論文より)

 また、例えば理科を学ぶ動機を尋ねた「自分に役立つ」「将来の仕事の可能性を広げてくれる」という項目で日本が参加国中最下位だったことは、「学習意欲」や「得点そのもの」にマイナスの影響を与えていた可能性があります。それに対して、「ゆとり教育」の柱であった「総合的な学習の時間」は、「生活や体験と結びついた学習」をひとつの目標としていたわけで、その導入が「得点低下につながった」と単純に言うことはできないのです。

>他国から謙虚に学ぶ姿勢は同意しますが、やはり教育の中核は優秀な人材です。
>フィンランドの教員は切磋琢磨する優秀な人間こそがなりえるものと思います。
>そもそも日本とはまったく異なります。

 「地方と大都市」では事情が異なるでしょうが、日本においても教員になるためのハードルは低くないでしょう。

 仮にフィンランドの教員の多くが(教職に就く前も就いた後も)「切磋琢磨」しつつ「教育力量」を高めているとします。そのような「優秀な教員」の多い理由が特別な「遺伝的要因」でないとすれば、彼らは「育てられている」のです。そうすると、「育つような環境」をどのように創っていくか、大学も含む学校教育や「教育現場の環境」をどのように整えていくのか、が問題でしょう。

 少なくともフィンランドが行う「教員を育てる環境整備」の方向は、イギリスの「教育改革」(全国統一学力テストの実施と公開が重要な柱)と大きく異なったものであることは確かですね。

>勉強すれば順位があがる(できるようになる)ことから肯定感を得ることもありえます。

 そのような認識は、(私がブログ記事で取り上げるまでもなく)いきわたっていることだと思います。日本の教育現場のほとんどは「競争による刺激」を学習の動機づけのひとつとして用いているでしょう。(「競争による刺激を全く用いないために問題が生じた」といった話は聞いたことがありません)。

 「教育現場で現に用いている競争の刺激」を含めて、それがどのような弊害につながりうるか、また生涯学習もにらみつつ「競争以外の有効な動機づけ」をどう工夫するか、などをしっかり考えていくことは、教育に携わる者にとって非常に大切なことだと考えます。

>ネガティブキャンペーンを行うあなたの姿勢は非常にバランス感覚の欠けたものと思います。

 競争の弊害をしっかり踏まえつつ対応(個人としても社会としても)することが大切だ、という問題意識・執筆姿勢についてはコメント欄も含めて繰り返し述べてきましたが、その強い問題意識そのものが「バランス感覚に欠けている」というのはあまり生産的な批判ではないと思います。

 例えば「競争しても学力行き止まり」で、私は具体的な事実を提示し、それについての考察を行っています。具体的に「事実誤認がある」、とか「その事実を記事のように解釈するのは妥当性に欠ける」、といった批判を論拠やデータをも含めて提示されるのがよい、と考えます。

 また、一般論として自分の主張と異なる事実や主張であれば、むしろしっかりと受け止め検討することが大切でしょう。

 なお、教育現場における「教員同士の切磋琢磨」に関して、私が好ましいと判断した「実践例」がありますので、なるべく近いうちにブログ記事にしたいと考えています。

 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)


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Last updated  2019.03.30 13:30:48
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