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2010.10.19
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カテゴリ:民主的な力

 本ブログ記事も日本的精神風土(問題と展望)の続きです
 

 「閉鎖的な共同体」ではなく「対等平等な市民的共同体」を打ち立てるためにも「討論文化(討論民主主義)を確立していく」という竹内芳郎の問題提起を受けて、この間、スウェーデンで実践されている「討議民主主義」について述べてきましたが、それに続いて『どんとこい貧困!』における湯浅誠の問題提起を紹介します。


 社会の大きな問題となっている<貧困>。メディアで再三取り上げられていても、なかなかつかみきれない実像、なぜ? どうししたらいい? 未来は? について真摯にわかりやすく、丁寧に語りかけます。(・・・中略・・・)
 「がんばり地獄」や「ずるさ狩り」「貧困スパイラル」からみんなでぬけだそう! と私たちに勇気と希望あたえてくれます。
 だれもが暮らしやすく、幸せに生きられる社会を作る力も権利も私たちみんなのなかにある。そんな当たり前のこともあらためて心に響き、実感できます。(・・・後略・・・)

                                           理論者のHPより

 まず、この本の前半は貧困をめぐる「自己責任」論をどう考えるか、というテーマに費やされます。疑問の声は実に詳細であり(例えば「努力しないのが悪いんじゃない?」「甘やかすのは本人のためにはならないんじゃないの?」「死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?」「自分だけラクしてずるいんじゃないの?」等々)

 それに対する湯浅誠の回答は徹底的で、この本全体は「自己責任」論についてとことんつきつめていくことによって「社会的連帯」について考えていくものになっています

 さて、冒頭のテーマ(「対等平等な市民的共同体」を打ち立てるためにも「討論文化(討論民主主義)を確立していく」)に直接関連するのは「第2章 僕らの社会をあきらめない」ですが、そこで湯浅は次のように呼びかけます。

 黙るのも黙らせるのも、もうやめにしようじゃないか。君の溜めが増えるように、みんなの溜めを増やすために。 (“溜め”についてはリンク先を参照)

 変わるべきは僕らの社会だ、と君が思うならば・・・ どこまでが許せて、どこからが許せないのか。それを決めるのはどっかの誰かじゃない。私たちだ。はじかれ、排除されていく人間をつくり出していく社会こそが、もっとも貧しい。

 それでは、湯浅誠氏の目指す社会とはどんな社会でしょうか。(過去記事を抜粋して確認すると・・・)
 それは「活動家と市民が世の中にいっぱいいる社会」であり、それぞれが生きていく中で感じる「違和感をつないで、目に見えるようにしていける社会」です。

 ここでいう「活動家」とは(・・・)「市民的責任」を果たしていく「市民の中の市民」だとのこと。
 それでは、市民的責任とはなんでしょうか。それは、「ものをいう責任」「違和感を言葉にする責任」です。社会が自分も含めた個人にとって大きな不都合を放置していた場合「このようなことは困る」という責任、会社がめちゃくちゃやっていたら「おかしい」という責任です。
(・・・)
 ここで湯浅氏は次のように述べます。
 「活動家」のマイナスイメージ(独善的でマッチョ、他人はバカだと思っているといったイメージ)を変えていくことが大切。活動家とは言い換えれば「場を作る人、つながりあうための空間をつくる人」であり、存在すること自体が自然なことなのだ


 「社会を変えていくために一歩踏み出せるんだ」という学び・体験をよりたくさんの人が得ることによって(自死ではなく)活動家にもユニオンにもアクセス可能になっていく。そうすれば、(・・・) 「〈すべり台社会〉とは別の〈活力ある社会〉」がしだいに実現していく、と考えるわけです。

                                                  2009年度 高生研全国大会における講演より

 ここには竹内芳郎の言う「市民的共同体」に対応するような社会のイメージが、湯浅誠流に描かれていますね。このような社会のイメージと「討論民主主義」とは切り離せないものでしょう。それは、いかにして具体化・実現していくのでしょうか。

  『どんとこい、貧困』で言えば「第2章 僕らの社会をあきらめない」冒頭の呼びかけ「黙るのも黙らせるのも、もうやめにしようじゃないか」が大きな意味を持ってくるのですが、これについては次回記事で補足していきたいと思います。 


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Last updated  2019.03.30 18:41:02
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