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2012.01.29
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カテゴリ:震災、原発事故

  ブログ「教育の窓」でtoshiさんが高校の実践をとりあげてくださいました。 

 私たちは だれも 一人じゃない!!(4)~大震災の単元構成に感激~

 私も札埜氏の「国語でできること」を紹介しながら「この授業でできたこと」、そして、「なぜできたのか」という点を取り上げてみたいと思います。

国語として「できた」こと

 さて、『高校生活指導』191号掲載の「国語としてできること」は大規模災害に対する「募金」、「ボランティア」に対して違和感を覚える札埜氏がおこなった「国語で『東北』を意識する」授業実践です。これに対しては「すごい」、「素晴らしい」、「自分もがんばらなければと思った」といった感想・声を、私の知る人からいくつも聞きました。

 おそらく実践記録にも出てくる「学びの思想化」が生徒自身の感想文や報告書からはっきり読み取れることが大きいでしょう。私自身も素晴らしいと思うこの実践において、注目すべき点を列挙したいと思います。

「古典講読」での取り組み(実践部分をそのままリンク先に引用)

 まず、『方丈記』所収「大地震(おはなゐ)」等を題材にした古典の学習と、地震研究者谷口慶祐さんとのコラボ授業(「古典を科学する~」)の学習について。

1)古典(「大地震(おほなゐ)」を読んで「現代と似ているところ」、「疑問と仮説」を意見交換しながら出していく学習は、「直接的な体験を超えた過去の事実」を生徒自身がリアルにとらえなおすものとなっています

2)それに続く谷口慶祐さんの「古典を科学する」の学習は、次のような注目すべき生徒の感想につながっています

 「古典文献から情報を引き出し、科学的研究により法則が見いだされ、更に古典文献から実証される南海地震の研究プロセスはとても面白い」、「人の...幸せや健康...、それらがよりよく実現されるために、過去に問いかけそして問いかけられているものの解明に近づこうとする。その姿勢はずっと変わらずにあるべきだ」、「普段私たちは文系理系などと大きく境をつけられるけれど、過去から学ぶことにおいては文系理系の区別などない」。

現代文での取組み(実践部分をそのままリンク先に引用)

 続いて現代文〔宮沢賢治「永訣の朝」、丸山真男「『である』ことと『する』こと」、石牟礼道子「後生の桜」(水俣病のエッセイ)、「水俣病訴訟原告の小笹恵さんを招いて」等〕について。

1)現代文においても「直接的な体験を超えた事実」をリアルにとらえる学習が成立していることが生徒たちの感想、報告書から伝わってきます。

2)「賢治が考えた『われわれに必要な科学』とは何か」という出題や、「水俣病が地震や原発問題で揺れている今の社会に投げかける問題」に関する問いかけ「小笹恵さんを招いての授業」は、生徒における「学びの思想化」を一歩進めているように見えるのです。例えば「今原発問題で水俣病とリンクする所があり、同じ過ちを繰り返しているなと思い、悲しくなりました。(...)」といった感想。 

 さらに注目すべきことは、研修旅行と授業の学びが融合している点です。そのことは次のような生徒の作品(テーマ:一学期の授業内容と研修旅行で...知ったこと、感じたことを融合させながら「東北・水俣・鹿児島~京都・関西の地より( )を問い考える」)からもうかがえます。 

 (関西から鹿児島に移住して塩づくりを生業に地域に根ざして暮らす方の所に民泊した生徒の作品)「(・・・)地面に足をつけて生きること、一人よがりじゃなくて周りの自然や人々と共に生きてゆきたいと私は一学期の授業内容と研修旅行を通じて思いました。

  もし将来科学をやることがあったとしても、どんな職業でどこに住もうとも、住んでいる所に根差して提供したり与えられたりしながら暮らしていきたい私は科学をそんな風に使えたらいいし、別に科学を使わなくたって地域で暮らしていくことはできると、民泊でMさんが教えて下さいました」

  「科学技術の恩恵と害は平等に分配されてはいない。・・・科学は科学者だけのものではない」

  「これまでの話を聴いてとても宮沢賢治の思想に似ている部分があるなあと思った。人の役に立つことを生き甲斐として暮らしていらっしゃる姿は私にはとてもまぶしかった。(・・・)そして『今私にできることは何だろう』と考えさせられると同時に自分の無力さや行動力の無さに腹が立った。私は今、思うがままに生きている。

 果たしてそんな人生でいいのかとすごく悩まされた。そして今の自分がとても悔しくて仕方がなかった。『誰かの役に立ちたい。そういう人生を歩みたい』と強く思うようになり、今自分ができること、誰かの役に立てることを常に考えて行動できる人になりたいと思った

 「国民だって原子力発電が危険性の高い発電方法だと理解していたはずだ。国民には意思表示の自由権が与えられているにも関わらず今更になって原発反対だの『東電もっとしっかりしろ』だの言い始める。(・・・)国民にはたくさんの権利が与えられている。それを日々使わず放置して自分が身の危機に迫られると必死になってその権力を使おうとする。こんな民を抱えてよく国が成り立つなと思った。メディアが取り上げる旬の情報に左右されすぎではないか。

 そして権力を持っているにも関わらず受動的でメディア界が政権を揺さぶるような『民主国家』に私は疑問が尽きない『しっかりせえよ』は私たち国民ではないか。社会をつくつているのは私たちであって、その私たちが変わらずして今の日本が良くなるなんて考えられるだろうか」 

(上のような感想に関する、toshiさんのコメントはこちらの記事です)

 以上、実践の全体を通して「学びが生徒自身の思想として血肉化されつつある」様子が見てとれますが、その前提は何でしょうか。

 まず、大地震や水俣、さらには社会批判(社会創造)の問題を生徒たちが当事者意識を持ってリアルな問題として受けとめていることが重要だと思われます。それが、真の学びや「学びの思想化」へ踏み出そうという意思を形成するでしょう。それを可能にした要因はいったい何だったのでしょうか。

                       東日本大震災を考える授業(2)に 続く
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