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2014.02.12
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カテゴリ:時事問題

 NHK会長発言などをめぐって、時の政府と報道機関との関係はどうあるべきか、さまざまに議論されています。

 私はNHKが自ら制作した番組「その時歴史が動いた」(これは正義の戦いか ~ジャーナリストたちのベトナム戦争~ 2006年5月31日)の中にこそ、この問題を考え・共有していくべき絶好の素材があるのではないかと感じ、このたびあらためて視聴しました。

 表題からもおわかりのとおり、ベトナム戦争時のジャーナリストの闘いを取り上げた番組です。

〔番組の流れ〕

 1969年10月 全米でおよそ200万人参加する史上空前のデモ行進が行われた。
 ベトナム反戦運動‐「peace now(今こそ平和を)」という訴えは時のニクソン政権を終戦へと向かわせる原動力となった。
 開戦当初、ベトナム戦争を肯定していた世論を反戦へと変えたのは赤裸々な戦場の現実を伝えたジャーナリストたちの報道だった。 

cap015.JPG 

                    
 1961年、北ベトナムの共産主義勢力と戦う南ベトナムを助けることを掲げベトナムに軍事介入をした。
 戦争の初期、新聞やテレビは「勝利」は目前という軍の発表をそのまま報じていた。
 アメリカの世論も当初、政府の言う正義の戦いに勝利することを疑わなかった。
 しかし、戦争が長期化の兆しを見せるとジャーナリストたちは疑問を抱く。

 「われわれはこの戦争の真実を伝えているのか」
 それまで軍の発表そのまま報道していたジャーナリストは現地取材をもとに報道を行うようになるのだが、そうすることで彼らに大きな圧力がかかる。 

 最前線で従軍取材を行っていたニューヨークタイムズの記者デイビッド・ハルバースタムは北側のゲリラ攻撃に苦戦するアメリカ軍の実態を「軍事情勢は悪化」と報じた。

 ジョンソン大統領は「彼らは祖国の裏切り者だ」と述べて新聞社に圧力をかけ、ハルバースタムの記事の内容を打ち消すような記事を連載させた。(ジャーナリストと権力とのせめぎあい)

 米国の劣勢を隠そうとする政府の圧力に抗し、戦場の現実を明らかにしていく中でジャーナリストたちは戦争を続けることに限界を感じるようになる。
 それまで、報道機関においては、できるだけ残虐な場面を写さないよう、社内で自主規制されていたが、ベトナムから送られてきた驚くべきレポート映像を流すべきかどうか議論した末、クロンカイトはありのまま放送することにした

 米国の海兵隊が焼き払っているのは「味方」である南ベトナム住民の民家だった。ゲリラ戦で混乱した米兵の赤裸々な姿がそこには映っていた。正義の戦争と信じていた我々ジャーナリストも、いま、爆撃の被害を被っている農民たちを見て疑問を持っている、と。

 ジョンソン大統領は、「彼らは星条旗に泥を塗った」と激怒。
 
 そうした中、クロンカイトは戦況を伝える特集番組を組み、その最後に次のように述べた。
 「この状況から抜け出すためには勝利者としての道を捨てるしかありません。(…)停戦交渉を始めることが唯一の方法だと私は確信するに至りました。」

 そして、1969年10月 200万人が参加した空前の全米反戦デモがおこる。
  世論に追われて退陣したジョンソン大統領のあと、ベトナム戦争終結を公約にして大統領になったニクソン。

 しかし、いまだ戦争に負けたことのない超大国が戦争をやめるのは容易ではなかった。戦線を縮小する難しさに直面したニクソンは「私はアメリカ史上初の敗北を決める大統領になりたくない」と言うようになる。 

 戦闘が泥沼化する中、記者ニール・シーハンは国防総省秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手した。ニューヨークタイムズの幹部たちはこの文書の掲載に反対。「国家機密漏洩罪」にあたるというのだ
 幹部たちに向かってシーハンは言った。「この文書はジョンソンのものでもニクソンのものでもない。血を流して代償を支払ったアメリカ国民とインドシナの人々のものである」

 この記事はニューヨークタイムズの一面に掲載された。
 アメリカ軍が全面的な軍事介入を行うきっかけとなったトンキン湾事件、北ベトナムから一方的に攻撃されたと伝えられていた事件は、アメリカの軍艦が挑発的に領海侵犯を行ったためにおこったのだ。

 そして、北ベトナム爆撃による死者の8割は民間人であるという報告。軍事施設に限って攻撃するという発表はウソだった。

 ベトナム戦争を正当化するために国民を欺いてきた政府の姿を白日の下にさらしたこの記事に、国民は決定的な衝撃を受けた。
 翌日、ホワイトハウスから連載の中止を求める大統領の文書が届いたが、ニューヨークタイムズは中止要請を拒否すると、紙面で回答。

 これは国家のための機密文書だと主張する政府と真実を伝えることが国家のためだと主張するジャーナリズム。その対決は連邦最高裁判所へと持ち込まれる。国民は、この対決の行方を固唾を呑んで見守った。

 連邦最高裁判所は大統領が求めた掲載差し止め命令を却下する。
 「報道機関は政府に奉仕するのではなく国民に奉仕するのものである」

 そして、1973年 3月29日 ニクソン大統領は米軍の完全撤退を宣言した。

                                                   続く
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Last updated  2019.03.07 21:57:15
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