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2022.02.14
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 1月23日の拙 blog記事『人新世の資本論』について(総括)〕を読んでくれた知人から、次のような意見をもらった。

「HPの総括も拝読しました。斎藤氏は確かに生産様式変革の重要性を強調しますが、単純な経済決定論になっているとまでは思えないのですが…。資本主義的生産を問題にしないで環境問題を取りあげるのは所詮擬制に過ぎない、本気で取りあげるなら生産のあり方まで問題にしなければならない、そのことを力説するために、少し極端な言い方になってしまっているという印象があります。」 

 なるほど、「世界の認識」-「めざすべき方向」を考えていくためには、著者の意図をしっかり汲んで発展的に活かしていくことが望ましいと私も考える。前回の「総括」で私は、きちんと引用をつけないまま斎藤の考え方についての「判断」を発信した)ので、その点は反省しつつ、もう少し検討していきたい。 

※〔「総括」の記事:一部〕資本制生産様式というこの経済体制の中で、「非資本主義的な法・制度は基本的に存在しえない」(・・・)、したがって「資本主義体制下で気候危機は原理的に解決不可能だ」‐ほぼこういった内容を斎藤は断定的に主張しているかに見えるが、それは土台‐上部構造論を硬直した形で受け入れた誤謬ではないのか。

  その知人へは、次のように返信した。

 「斎藤の論考にたいするSさんの好意的な見方も、建設的な行動につなげていくためには大切なように思います。ただ、私の見方について、単なる誤解とは思えない記述も『人新世の資本論』の中に散見できます。」 

​拙blog記事に対するSさんの感想を受け、あらためて考えてみたが、「限りなく経済決定論に近い」と思われる発想は斎藤の中に厳然とあるのではないか、と考える。例えば『人新世の資本論』130131頁で、ジジェクの引用をしながらノーベル賞を受賞した経済学者のスティグリッツを批判した箇所。これは、斎藤の主張でもある。​ 

〔スティグリッツは「社会的共通資本」を提唱した宇沢弘文の基本的な考えを受け継ぎながら「市場原理主義」を厳しく批判し、より好ましい資本主義社会の在り方を具体的に提案。以下は、それに対するジジェク-斎藤の批判。〕

​「そもそも、法人税の増税や社会保障費の拡充が可能であれば、とうの昔に行われているのではないか。・・・かつての水準か、それ以上のレベルまで規制を強化したら、資本主義は崩壊してしまうのではないか。それを資本主義が受け入れるはずがない。
 
スティグリッツが求めている「改革」は、資本主義そのものを維持することと相いれないからこそ、絶対に実現できないのではないか。そのような「改革」を・・・大真面目に掲げるスティグリッツは、真の「空想主義者」というわけだ。

​このように「法人税の増税や社会保障費の拡充」は資本主義を維持することと相いれないから「絶対に実現できない」‐スティグリッツは真の「空想主義者」と断定しているあたり、「資本主義体制では改革は不可能という経済決定論」に陥っているように見える。このような考えが事実であれば、高度な社会保障制度を確立した北欧諸国は、資本主義体制が維持できず、とっくに崩壊しているはずだろう。しかし、現実には一人当たりのGDPで日本を上回るなど、しっかりと国際競争力も維持している。市場原理主義が資本主義社会の真の(唯一の)姿だ、と断定する根拠はまったくないのだ。

​また、すでに指摘したように、「障害者」の人権保障要求運動や反公害闘争によって障害者差別解消法や公害対策基本法(⇒環境基本法)が制定された。これらは資本主義的な「利潤追求」の原理からは出てこないものだが、現代の「社会構成体」の中で法制化されたのである。法人税の最低基準の国際的合意も、斎藤の論旨からすると「資本主義では不可能」だったのではないか?​ 

​​ちなみに、斎藤が批判したスティグリッツだが、私はかなり評価している。
 宇沢弘文の愛弟子だった彼は、2016年に行われた宇沢の追悼講演で気候変動対策に触れているが、彼の構想は二つ。
1、高率の二酸化炭素税を導入する。導入しない国に対しても「その国の製品に対して国境で課税し、炭素排出削減に協力できるようにする。」こうした税制はWTOでも法的に認められると考える。そして、このような税制は国の政治・経済を変える。
(上記の考え方は、EUによって具体化されつつある。)
2、グリーンファンドを創設する。温室効果ガスを抑制することで起こった影響(とりわけ「発展途上国の経済に与える負担」)を軽減するための基金。「先進国」が二酸化炭素税で得た税収の2割でもグリーンファンドに回せば「差異ある責任分担」を実行に移すことができる。
 斎藤はスティグリッツの考え方を「空想的」と断じるが、充分に現実的ではないか? 斎藤の論は「マルクス主義の悪い面」(私は現実的で相手は空想的といった思考)を受け継いでしまっているように見える。​​

以上のように、斎藤の主張に関して批判すべき点は多々あるが、「ひたすら利潤追求を重視する資本主義を問題にしなくてはならない」という主張については私自身も同意する。しかしながら、近代市民社会(その延長上にある現代社会)という「社会構成体」のなかで、資本主義を問い直すことは可能なのだ。宇沢もスティグリッツも「市場原理主義」を厳しく批判し別の道を示す、という点では資本主義を問題にしているとも言えよう。

なお、宇沢弘文が「新古典派経済学」を根本的に問い直すきっかけとなったのは「公害問題」だった。四大公害裁判の判決も、「高度経済成長の根本的問い直し」(さらには、ひたすら利潤を追求する企業活動の問い直し)の意味を持つ画期的なものだったと考えている。経済決定論では説明できない「司法判断の自律性」の一例ではないだろうか。

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Last updated  2022.02.23 07:16:34
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