“しょう”のブログ

2022/09/25(日)22:26

不評の「ちむどんどん」について

TV DRAMA(1)

 これまでとは全く異なるthemeで書いてみます。  録画しながら毎日観ている朝ドラの「ちむどんどん」。私なりに楽しんでいますが、思いのほか批判が多いですね。確かに、「見ていてイライラする」という人たちの気持ちは想像できますが、大切なmessageもそこ(番組)には含まれているように感じるのです。 一言でいえば、「愚かな間違いをおかす(愚かな行為・失敗を繰り返す)人」を見捨てないということです。番組の中でも目立つのが兄の賢秀ですが、ヒロインである暢子、姉の良子、母の優子、さらには「暢子の経営する店の従業員」になる矢作、それ以外にも「間違いや失敗、弱さ・愚かさ」を感じさせる場面・人が結構でてきます。 「ギャンブル依存かよ」とイライラする場面、「視野が狭く頑固だな」、「言ってはならない言葉を発してる」、とか「優柔不断だ」、「いくらなんでも甘すぎる」、さらには「とんでもない犯罪だろ!」といった様々な失敗をおかす場面が繰り返し出てきますが、登場人物は最終的に見捨てられることはありません。 最近人気があがってきた矢作に注目してみましょう。そもそも、無銭飲食など落ちるところまで落ちた矢作が現在のような「成長への転機」をつかむことができたのはなぜなのか。人が好く優しい性格の二ツ橋でさえとまどった(「そりゃあ技術はあるでしょうけど・・・」)にもかかわらず、矢作を信じて協力を求めることにした暢子の存在抜きに矢作の転機はありえなかったでしょう。 突然一方的に「フォンターナ」を退職された上に、店の権利書まで盗まれた被害者である大城房子が、矢作に「退職金」を渡す行為なども象徴的です。矢作が「ちむどんどん」のカウンターにあった40万円を盗んだのか、と疑われた回の展開も(筋立てにやや無理があったものの)「人は信用されることによって本気でやり直せる」というmessageを感じさせます。 さて、小説やドラマの価値を左右するものは、人間が体験する「現実や真実」とどれだけ響き合っているか、であると考えるのですが、その点どうでしょう。ここに出てくる登場人物ほどではないよ、と思いたいところですが、私たちはしばしば「間違いをおかす」、「(反省したはずなのに)愚かしい行為・失敗を繰り返す」のではないでしょうか。 それでも完全に見捨てられないからこそ(自分を完全に見捨てずに済むからこそ)、やり直していけるというのも一つの真実では? 間違い、失敗を繰り返すというのは大人でさえそうなのですから、ましてや子どもであれば・・・、ともいえそうですね。 異なる文脈ですが、「子どもに騙されないような教員はダメだ」という言葉を聞くことがあります。なぜでしょうか。「騙されまい」と意識しすぎる教員は子どもを信じないからです。だからこそ「騙されること」(信じること)が大切だ、というわけです。たとえ「間違い・失敗を繰り返す」ことがあったとしても、成長していくことを信じてもらうことで救われる個人は少なくないのでは? 大人の場合、「間違い」はしばしば「犯罪」(法律違反)ということになるのですが、日本では刑法を犯した人の社会復帰が極めて困難だ、という現状について耳にすることがあります。もっとも、犯罪でなくても「生活苦」に陥って「生活保護」を受給する人までが、「自己責任」「税金の無駄遣い」などという言葉で攻撃される社会の現状も見ると、このたびの朝ドラのmessage-「愚かな間違いを犯す(愚かな行為・失敗を繰り返す)人を見捨てない」、「信じられることによって人間はやり直せる」‐も貴重なのでは、と考えるのです。 失敗の繰り返しで視聴者をイライラさせた比嘉賢秀や、不幸で苦しかった過去から精神的に(まだ)抜け出せない猪野清恵もおそらく見捨てられることはないでしょう。だからこそ何度でもやり直せる。失敗を繰り返しながらも明るさを失わず、たくましく生きていく姿にも「人間の真実」があるのではないでしょうか?  批判の多い番組ですが、私としては「引き続き今後の展開にも」期待しています。 にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします​教育問題に関する特集も含めて​HPしょうのページ​に (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)​​「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)​

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