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2024.10.25
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カテゴリ:歴史
〔番組の内容 2〕
 いよいよ 全国水平社設立(1922年3月3日) に向けて西光らは大会への呼びかけのチラシを全国各地で配布した。
 創立大会の宣言は西光が起草したものであるが、彼は部落民であることは決して恥ずべきことではないし、否定すべきことでもないことを訴えたかった。
 西光は宣言にある一文を書き込んだ。「自分たちへの誇り」それはかつて「自分が部落民であることを隠し続けたつらい過去」を踏まえたものだった。
 会場へは多くの人が集まってきた。しかし、部落民であることを隠してきた人々にとって、創立大会へ参加することは勇気のいることだった。
 午後一時 水平社創立大会において「水平社宣言」が読み上げられた。
「部落民よ団結せよ。われわれがエタであることを誇りうる時がきたのだ・・・」この宣言が読みあげられた直後の、満場の拍手の中で、参加者には「否定すべきことと思い込まされてきた現実」を正面から引き受けていこうという強い意志が共有されていった。

 創立大会後、香川県で結婚を前提に女性と同棲していた男性が起訴される。裁判所は起訴を受けて部落民であることを隠してつき合っていたことは「誘拐罪」にあたる、という判決を下した。
 司法の場で公然と行われた差別判決に対して、全国水平社は団結して闘った。判決は覆らなかったが、青年は仮釈放され裁判官は左遷された。
 「水平社宣言」とその後の闘いは、人権を考えていく上では画期的な問題提起であった。
 しかし、戦後も部落地名総監という悪質な文書によって行われた就職・結婚差別に象徴されるような差別は残り、いまだ解消にはいたっていない。
 番組は最後に一人の女性を登場させる。
 被差別部落で生まれたこの女性は、自分の体験を文章にすることで「命の重み」を訴え続けている、という。
 この女性は20代の時、交際していた男性との間に子どもを身ごもった。そのことを男性に告げた瞬間、相手から発せられた言葉を一生忘れることができない。「今までのことはなかったことにしよう」「俺がすきでもお前らの家柄は悪いし血がにごれているからなあ」 
 出産後この女性は子どもと一緒に男性と出会い、「母子で東京にこれないか」「もう故郷には帰れないけれど」という申し出を受けた。男性はこの女性や子どもに愛情を感じつつも部落と関わろうとしなかったのである。
 女性は自分たちを差別するこの男性を愛することができず、この申し出を断る。ひとりで子どもを育て始めるが2年後、子どもは亡くなる。
 50年後、男性から電話がかかってきた。「子どもの写真を送ってほしい」という。
 男性は泣きながら電話口で語った。「この世の中で俺の子は一人だけだった。わが子さえ差別していた俺はばちが当たっていた。あの世で子どもを抱ける父親になれるようがんばるからな。」この男性は半年後に亡くなった。
 差別はされたものだけでなく差別したものをも深く傷つける。 女性は亡くなった子どもに語りかける。「父さんも悪かったって謝っていた。許してやってな。お母さんはもう少し生きて差別がいかに心を貧しくするか、親子さえも憎みあうことがあるんだということをみんなに話さにゃ死に切れんから・・・」
 他人をおとしめ、自分自身までおとしめる差別。それはわれわれの日常の暮らしの中で形を変えながら今も繰り返されている。
 西光万吉が水平社宣言の中で示した「人間は尊敬すべきものである」という考え・その精神は、「私たち一人ひとりが自分を、そして相手を大切にすべきであるという」原点としての輝きを失っていない。
〔コメント〕
 西光らの運動の出発点となった「論文」とは、雑誌『解放』1921年7月発行に載録された早稲田大学教授の佐野学による「特殊部落民解放論」。部落民自らが不当な差別の撤廃を要求し、その後労働者と連帯すべきと論じたものです。感激した西光たちは東京に佐野を訪ね、佐野も奈良の西光を2回訪ねたのだそうです。
 近代が「確立」していった人権思想に照らして「現実の不当性に目を開き行動することを提起した人物」が当時の日本に存在したことは注目すべきでしょう。
 ところで、近代思想家の中で私自身が高く評価しているJJルソーは「自由・平等」とともに「同情」の大切さを訴おり、この点では西光らの主張と対立します。
 私自身もルソーに近い感覚があり、「同情」というのは「もし自分が同じ立場だったらどうだろう」「きっと情けなく悲しいことだろう」と想像するところから生まれる感情であり、決して全面否定すべきものではないと考えています。
 確かに「同情ではなく共感すべし」という主張もあり、その意図するところは理解できるのですが、厳しい現実を「同じように体験することが原理的に不可能」である以上、簡単に「共感」などできるはずがないと考えるのです。
 しかしながら、それでもなお「人間は尊敬すべきものだ」という西光らの言葉は圧倒的な迫力を持って迫ってきます。私たちが西光らの生涯(水平社運動)に触れることで沸き起こってくるのは決して「同情」ではないでしょう。「尊敬すべき人間たち」「その意思と呼びかけ」​​​に対する共感​​といえるの​ではないでしょうか。
(違和感を覚える表現について、微修正を加えました:2024年10月)

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Last updated  2024.10.26 19:45:22
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