「禿 禺儒」 の 徒然

2011/08/29(月)05:40

懐石

仏教、その行事と言葉の真の意味。(25)

昨日は坐禅会で一日留守にしていました。カメラはまだ不調です。坐禅会はこの季節、専門道場の雲水さんも自坊の手伝い(お盆)に帰ったり、寺の中は閑散としており、空いた僧堂で坐る機会の月です。昨日の神戸は亦亦暑い日でしたが、相変わらず人数は40人を越していたでしょう。今日は「懐石」に付いて。懐石料理にいう「かいせき」は本来「懐石」と書きます。懐の石。何故その様に書くかと云えば、原始仏教時代の出家者は托鉢乞食で食を得ていた。彼らは午前中托鉢に出、手にしたお椀に、市井の人々の朝食の残り物を頂く。有名なのは、釈迦仏陀が修業の山を下り、尼連禅河にスジャータ(Sujaata。善生)なる娘の食後の椀を洗う場に、その粥の残りを口にされる。このように托鉢は、日に寄って椀に盛られる事も、少ない時も在るよう。その少ない時には、午後食べる物は無い。その空腹にしくしく痛むお腹の痛みを紛らわすため、日差しで温まったそこらの焼け石を布にくるんでお腹に当てた。今日に云う、カイロの用を焼け石に求め、空腹の一時しのぎをしたよう。懐に石、「懐石」の語源は此処に始まるよう。故に懐石料理は少しの量の多くの品が出る。詰まり托鉢で頂いた数多のお家の残りの料理、それは家々に異なるはず。詰まり料理の品は多く在ったはず。そして托鉢後一度食しその残りの食故、品数多く量の少ない食事になるはず。是が懐石料理の品数多く量の少ない料理の所以かと。懐石、その語源には当時の出家者の生活が偲ばれます。

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