幸せへの道。

2006/01/24(火)16:07

根っこの育て方?

考える事・心理学(20)

最近話題の(笑)、 「葉っぱと根っこ」 の、根っこの部分を育てる方法について、私が勉強したり考えたりした事、目からウロコだった話…を、ちょこっとお話したいと思います。(^^) この、根っこ育て…というもの。七田式教育でいうと、“心を育てる” という部分、と、考えてみました。(あれ? そしたら、葉っぱは学習面になっちゃうのかな? ま、いっか~。(笑) 外から見える部分は全部 “葉っぱ” って事だもんね!(爆)) 最初、「認めてほめて愛して育てる」 という、七田教育の、“認める” というのが、私にはよく分からなかったのです。 認める、とは? 子どもを尊重すること? (??) 「心を育てる」 ―― それは親から子どもへしっかりと愛情を伝え、親子の信頼関係を築くこと。これが「心」を育てるためにいちばん大切なことなのです。(中略) 「子どもを認める」と言うと、なんだか漠然としてピンとこないかもしれませんが、“認める=尊敬する” と捉えてください。子どもを小さいからといって、自分の所有物のように感じ、親の思いどおりに育てようとしてはいませんか? 子どもはとても大きな可能性を持って生まれてきます。そんな子どもたちを一人の人間として尊敬し、子どもたちが秘めている能力を信じ、大切に見守ることから始めてみましょう。 (七田式 取り組みのヒント より) 相互信頼・相互尊敬。 これは、アドラー心理学でも、良い人間関係(もちろん親子関係も)を築くために、あげている項目です。 アドラー心理学では、子どもはほめてはいけない。と言っているのですが、しちだ教育が言っている “ほめる” という事は、アドラー心理学で推奨している “勇気づける” とか、“適切な行動に注目する” という事と似てるのではないか。と思ったのです。(「ほめる」と「勇気づける」の違い→表) 七田教育もアドラー心理学も、子どもを信頼・尊敬している上で言っている言葉で、朝の着替え・おしっこ・手が洗えた事…などなど、普段当たり前にしている事に対しての言葉なのですから、同じじゃなくても、かなり近いんじゃないかな、と。 (注意:アドラー心理学と七田教育は全く別の育児法なので、私の勝手な解釈です。) (追記:この時はこう書いたのですが、アドラー心理学の ”勇気づけ”は、とっても奥が深いので、簡単に似てる、なんて言ったらいけないのかもしれない。と、現在は思っています。2006.2.4) ちょっと前置きが長くなりましたが・・。(前置きだったんかい!(怒)) 根っこ育てのお話で、私が目からウロコだった考え方をご紹介します~。 この前から例えを 「お片づけ」 にしているので、今回もお片づけで。(笑) 子ども達がリビングを散らかしている。もうすぐご飯だから、片付けて欲しい! 「もうすぐご飯だから片付けてくれないかな?」と頼んでみた。 ■ 片付けてくれた。 「ありがとう! キレイなお部屋だと気持ちよくご飯が食べれて嬉しいな。」 と勇気づける。 (この時に、「良くできたました! やれば出来るじゃない!」というのは、アドラー心理学のいう、ほめる、という事になるらしい。自分が夫にそう言われたら嫌でしょ? との事。なるほど。) ■ 「いやだ。」 と言われた。 「じゃあママが片付けても良い?」 と聞いてから、楽しそうに片付ける。 → 自分が出したものじゃなくても、片付けても良い事。片付けることは楽しい事だと学ぶ。 (私が楽しそうに片付けていると、子どもも一緒に片付けてくれる時もあります。この時、プンプンしながら片付けると、片付けって楽しくない、と、教える事になるそうです。) ■ 「ママが片付けてくれない?」 と頼まれた。 「良いよ~。」 と、やっぱり楽しそうに片付ける。 → 人に頼まれた事をしてあげるのは楽しい事、と、学ぶ。 これが、リビング(みんなの部屋)じゃなくて、子ども部屋だった場合。 課題の分離で、考えると、部屋が散らかってて困るのは子ども。 だから、親は基本的には介入しない。 もし、片付け方が分からない場合は、教えたり、一緒に考えたりする。 子どもの課題、とはいっても、どうしても気になる場合…。 「子ども部屋の事で気になる事があるんだけど、言ってもいい?」と、聞いて、了解を得てから、 「今週、○○ちゃんが遊びに来るんでしょ? 部屋が散らかってて、片付けないと恥ずかしいと思うんだけど、どう思う?」と提案する。 その後、どういう選択をするか、は子どもの課題。 お友達が来て恥ずかしい思いをしたり、モノがなくなったりして困るのは子ども。(これが自分のしたことの責任をとる、という事なのだそう。) 早く片付ければいいのに! と、思ってしまうのは親の課題。 そういう経験を経て、片付けはした方がいいな、とか、それでもやっぱり面倒くさいからやらない。とか、本人がこれからどうするかを選択していくのだそうです。(葉っぱが好きな方向に伸びるって事かな??) 私は、自立させなきゃ!! と、思って、「自分で出したものは自分で片付けてね!」「自分で出来ることは自分でやってね!」 と、子ども達に言っていたんです。 でも、言われてみれば、自分で出したものじゃなくても、片付けてもいいんですよね。 クラスに誰かが散らかしたままにしたモノがあって、「これは私がやったんじゃないから!」としらんぷりするんじゃなくて、自分がやったんじゃなくても、片付けよう。って、そう思える子になって欲しいですものね。 子どもに頼まれたんだったら、ママがしても良いんですね。私たちだって自分で出来ることを誰か(子どもにも)に頼んだりしますものね。(^^) それと、「片付けてもいい?」と聞く事によって、本当はあなたの仕事なのよって、教えている事にもなるんじゃないかな? と。 こういう考え方もあるのか~と思ったら、育児がとても楽チンに感じたのです。 だって、子どもにガミガミ言って、無理に片付けさせなくても、子どもにいろいろ教えている事になってるんだもの。自分で片付けた方が早いし!(笑) 子ども部屋の方は、私がうるさく言う事じゃなくて、汚くした責任は自分でとらせればいいんだ。って、そう思ったら、あら不思議。子どもの片付けの事で、私がいちいちイライラしなくて良くなったんです。 ガミガミ言ってやらせて、その時はやっても、次も言わないとやらないし…。 (自立させようと思っていたのに、実はうるさくいう事は、自立を妨げていたらしい…。--;) 勉強も、うるさく言うと勉強の嫌いな子になるっていうけど、もしかして、片付けも一緒だった? 自分だって、パパに片付けろとうるさく言われたら嫌な気持ちになるんだから、子どもも一緒じゃない? 「人の嫌がることはしないようにしようね。」って子どもには言ってるくせに、もしかして私がしてた? 「子供の成長を途中の過程と見る。」(七田式上手な子育て6か条の第2条) 今は出来なくても、これからきっと出来るようになる。 出来るようにならなくても…まあ、生きていけるよ。私も片付け嫌いだし!(爆) 今、子供に片付けをさせることより、子供と良い関係を築く事の方が大切。 うるさく言うとケンカになるから、もうやめよう。 そんな風に思えたんです。 (それでもやっぱり怒ってしまう時はありますが;;) もちろん、それぞれのご家庭によって、いろいろ方針があると思うので、こうするべき! とか思ってるわけではないんですよ。 私が、いろいろとさまよって、これは良い方法だ! と思って選択した、というだけの事なのです。(^^) 注意:いろいろな所でのお話を統合してしまったので、私の解釈が混じっています。 でも、もとになっているのは、SMILEの考え方です。たぶん…。 (SMILEはまだ受講していないのです;;) 追記:この日はこう書いてしまったのですが、アドラー心理学の考え方としては、”こう接すれば、子どもが良く育つ。” というのではなく、子どもも大人と同じように、対等に接するべきだ、という考え方だったのです。詳しくはコチラ。 訂正させていただきます。

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