静かな週末
1月の終わりの静かな週末。朝から、韓国映画「スカーレット・レター」を見ていたら、イ・ウンジュがあまりに美しくて、可哀想で、堪らなくなった。この週末には、今週やり残した仕事がたくさんあり、片付けていくつもりなのだけれど、実は金曜日の夜から調子がでなくて、「やる気」がでるまでのんびり過ごすことに・・。やれやれ。結局「スカーレット・レター」をそのまま2度見てしまった。なぜ2度もみてしまったかというと、ひとつにはイ・ウンジュの演技の一貫性を確認していた。彼女はまさにこの役を生き切った、としかいいようのない役になりきり。観客にとっておかしな、演技に迷いのあるような表情はいっさいなく、こわいくらいに的確に役柄の感情を表現・・。イ・ウンジュが出演した「パンジージャンプする」「永遠の片想い」を最近みた。イ・ウンジュは、確かにきれいで魅力的ではかなげですばらしいのだけれど、「スカーレット・・」での役に憑かれたような表現ではなかったように思う。なぜ、この作品でこんなレベルにまでいきなり到達してしまったのか、不思議でならず・・・。もうひとつは、この映画の展開の中にある「女性同士の関係」についてドラマ的になぜそのかせが必要なのかを、考えていた。みているうちに、昨年11月に訪れた韓国の街の風景が浮かんできた。97年から99年、私は韓国によく旅行に行き、そしていろんな街を訪ねた。そこでよくみかけたのは、女子学生の腕組。女の子たちはいつも二人組。腕をくみあい、身体を密着してあるいている。そして私が覚えているかぎり制服をきていたような・・。2005年、女子学生の腕組みは激減。さらにカジュアルな私服をまとい、今度は同じ年頃(か少し上)の男の子の腕にぶらさがっている。そして二人ではなく、三人から四人のグループ行動。日本の女の子たちのように。女の子たちになんの変化があったのでしょ? また、これは私の思い過ごしかもしれず・・。ただ、街の光景が明らかに変わってみえたことは確かで。日本人的感覚では、なぜに女同士?の関係をここで持ち出す、という突っ込みがあると思う。ただ、韓国の光景を思い返すと、そりゃあ、思春期にあんなに密着して特定の女子だけでつるんでいて・・、基本的に上昇志向の強い国民性があり、教育熱も高く・・キリスト教信者が多い、男子はある年齢で兵役・・とという条件が加われば、いろいろあるかも、と妙に納得してしまうのです。あまりに気持ちが乗り移って、ただでさえ疲れている気持ちがさらに沈んでしまった。。気分をかえるために今度は「ロング・エンゲージメント」を。映画の美術、フランス語の台詞、そしてハリウッド大物女優のからだをはった突然の出演・・。映画好きにとっては、映画好きの好みのおもちゃばかり入った箱をひっくりかえしたような、素敵な映画。切ない映画なのだけれど、心が少しだけあたたかくなった。