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憂国愚痴φ(..)メモ by 昔仕事中毒今閑おやぢ in DALIAN

2005年新春対談他(1)

(2005/01/03)

◆新春特別対談 宮嶋茂樹氏Vs福井晴敏さん(2-1)

フリーカメラマン・宮嶋茂樹氏/福井晴敏さん「亡国のイージス」作者

日本人はまだ「14歳」 色眼鏡なく世界見よ

 今年の「顔」を予想するのは早いが、作家、福井晴敏さんは間違いなくその一人だろう。時代を鋭く切り取った、スケールの大きな作品が相次いで映画化、公開されるからだ。なかでも代表作の「亡国のイージス」は、あってはならない、しかし現実に起こりうる日本の危機を描いた軍事サスペンスとして、必見の映画だ。拉致事件をはじめとする北朝鮮問題や東シナ海をわがもの顔に航行する中国の調査船、そしてイラクの行方…。緊張の国際情勢のなかで、日本のあるべき針路は-。紛争地域を渡り歩いてきたカメラマンの「不肖・宮嶋」こと宮嶋茂樹さんと福井さんが語り合った。(司会は産経新聞東京本社編集長 鹿間孝一)

《よく見ろ!ニッポン人》

 --今年は福井さん原作の映画が相次いで三作も公開されます。なかでも「亡国のイージス」は、海上、航空自衛隊が初めて映画撮影に全面協力したという点でも、もっとも話題を集めています。

 宮嶋 原作を読んだのが、ちょうどペルシャ湾に向かう輸送艦の中で、自衛隊のこととか、艦のこととか、実に正確に書かれていて、回し読みした海自の人たちも感心していました。作者は元自衛官に違いない…と。

 ただ映画になるとは思いませんでした。スケールが大きいのと、なにしろ艦長が外国の工作員と結託して反乱を起こすという話ですから、自衛隊が協力するわけがない。

 福井 僕も絶対に(映画化は)できないだろうな、と思っていました。運がよかったというか、時代がそういうものを作るのを許し始めたんでしょうね。ただ、艦長が反乱の首謀者というのだけはいかがなものかというので、映画では副長に設定を変えました。「艦長は誰でもなれるものじゃない。王、長嶋ですよ」といわれて、なるほどと思いました。

 本当に防衛庁は全面的に協力してくれて、撮影には横須賀(神奈川県)に寄港中のイージス艦『みょうこう』を使わせてもらいました。本物の迫力はやはり違います。それと、御前崎(静岡県相良町)に実物大のリアルなイージス艦のセットを作ったのですが、高台から見えるそのセットを、休日に近所のおばちゃんたちが見学に集まってくるんですよ。ほのぼのとした光景で、この作品を書いてよかったなと思いました。

 --工作員のヨンファが「よく見ろ! ニッポン人。これが戦争だ」と叫ぶシーンがありますね。観念的に戦争や平和を語る日本人に対して「現実」を突きつける、これが「亡国のイージス」のテーマではないかと感じました。

 福井 戦後の日本は口癖のように「平和国家」「戦争放棄」と言ってきましたが、日本も「争い」がある世界にいるという現実を見もせず、「平和国家です」などと言う神経を、ヨンファは笑い飛ばした。「お前ら、殴られれば痛いだろう?」といった意味合いのセリフです。

 現実には「亡国のイージス」のような事態はありえないでしょう。ただ、「亡国のイージス」の設定は有事の象徴であり、有事自体はさまざまな形で起こり得る。そのとき日本人がどう反応するかという点では、作品で描いたような状況はあり得る。

 宮嶋 イージス艦たった一艦を敵に回したらどれだけ怖いかを、日本人はあまりに知らない。それを啓蒙(けいもう)するだけでも有意義だと思う。

 --現実を直視しない日本人にいらだちを感じますか?

 福井 「亡国のイージス」の中には、そのテーマが間違いなくありました。でもこの作品の後に、第二次世界大戦を舞台にした「終戦のローレライ」を一年半かけて執筆したとき、第二次大戦を追体験した。そして、こうした歴史を踏まえて来たら、今みたいな日本人になるのも無理はないなと、思ったんです。腑(ふ)に落ちた、というのでしょうか。

 連合国軍総司令官のダグラス・マッカーサーが「日本人は十二歳だ」と言いましたよね。当時は、確かに当たっているところもあった。日米安全保障条約によって守られた日本は、いわば米国の扶養家族だったわけですから。

 そして今、日本人は十四歳くらいになったと思う。思春期で、「おれって何だろう」と考えるくらいには成長した。でも、一人暮らしを始めようにも十四歳だから、どこも雇ってくれないし、まだ自立できない。これから日本人がどう勉強し、親元を離れて社会にかかわっていくか。今が端境期だと思います。

 宮嶋 確かに「戦後六十年、日本が戦争に巻き込まれなかったのは、平和憲法のおかげ」などと言う人は確実に減っている。

《戦場を取材して》

 福井 ところで、宮嶋さんが初めて紛争地域に足を踏み入れたのはいつ、どちらですか。

 宮嶋 一九八九年のルーマニアです。革命で大統領のチャウシェスクが銃殺刑に処せられたときですね。若かったせいか、ものすごいショックを受けました。それまでは、ベトナム戦争を取材した先輩のカメラマンらから、戦場の経験談を聞いても、何かが違うと違和感を覚えるときもありましたが。

 実際に行って気づいたのは、カメラマンは紛争地域までたどり着いて、あるタイミングにその場にいることで仕事のすべてが決まる。それと戦場にヒーローはいない。砲弾をかいくぐって進む(シルベスター・スタローン主演の映画のような)ランボースタイルはありません。

 福井 宮嶋さんは「戦争カメラマン」と呼ばれることに抵抗がありますか。

 宮嶋 僕自身はありません。戦争カメラマンにも二通りあって、女性や子供、悲惨な犠牲者ばかりを撮る者、かたや戦争と聞けば見境なく、アフリカの小国の紛争にまで出向いて行くタイプ。私は好奇心の赴くまま、現場で関心のあるものをまっ先に報道します。

 福井 これまでの戦争カメラマンは、イデオロギーというか、ある種の先入観をもって被写体を見ているように思うのですが、宮嶋さんはこういう人々とは決定的に違いますよね。

 宮嶋 思想が入ると、人の死が違ったものに見えてきたりする。だからフラットにものごとを見ることは欠かしません。それよりなにより、他人(ひと)に撮られるくらいなら自分が撮りたい、といった純粋な職業意識がまず大きいです。

 --ベトナム戦争の報道でピュリツァー賞を受賞した故・沢田教一さんは「決定的瞬間を撮るためには、決定的瞬間を撮りうる場所にいなければならない」と言ってますが、宮嶋さんもとにかく現場にいたい、と。

 宮嶋 そうですね。戦争でも、事件でも、災害でも、テレビで見ているのは本当に嫌なんですよ。なんとかその場にいたい。多かれ少なかれ、カメラマンは本心でそう思っています。ロバート・キャパもそうですが、(カンボジアで二十六歳で亡くなった)一ノ瀬泰造さんなんかはもっとそう。日記などを読むと、戦場が好きというのが伝わってきて、もう“戦争坊や”ですね、実際は。

 福井 だからこそ信頼できるということもあります。先入観なく物事に対するという意味では、日本人すべてに求められていることだと思います。小説でも、従来の右とか左とかいう感覚なしで考えていけたら、と。宮嶋さんのように、等身大の視点から入っていくということが大事ですよね。

 ただ小説家の場合、紛争ものを書くのなら紛争のあるところへ行かなければ書けない、というのはちょっと違うと思います。小説を書くということは、ほとんど自分の内面から出るものですし、俯瞰(ふかん)と主観、両方必要ですね。

《身の丈の視線で》

 --9・11米中枢同時テロのように、現実がフィクションを超えてしまう時代ですが、作家として、やりにくいと感じることはありますか。

 福井 その逆で、このところ「おまえの書くことは絵空事だよ」と言われなくなって、「ほら言ったとおりだろ」という感じです。だからといって、現実を超えるために奇抜なテロの方法を考えなければ作品として面白くならないということではなくて、基本的には人間の営みとかがドラマの題材なわけで、書きにくくなったということはありません。

 ただ、すべて現実に起きうることだということで、(小説家の)責任は以前よりは多少重くなりましたね。より真摯(しんし)であることを意識して書いていきたい。


◆新春特別対談 宮嶋茂樹氏Vs福井晴敏さん(2-2)

 宮嶋 福井さんは膨大な資料だけで書かれるんですよね。信じられないです。

 福井 知らないから知ろうとする、そういうことが大事だと思います。自分が知らないことはみんなも知らないに違いないと思うので、わかるように書こうとします。自分の常識と世間の常識が違ったら、たぶんその作品は駄目になると思います。

 もう一つ、自分に課している約束事は、小説を書くときはあくまで普通の人の見方が中心ということです。自分自身がそうなので(笑い)。エリートの視点からは書かない。このレベルなら自分の生活圏にいるよな、みたいな。例えば「亡国のイージス」の主人公で、映画では真田広之さんが演じる先任伍長の仙石恒史は、自分が住んでいる(下町の)東京・向島あたりにいっぱいいるタイプですから、肌身にあったレベルで書くことができました。

 今までの軍事物といえば、頭が良くて決断力に優れているエリートたちが中心という構図だったでしょう。読んでいても自分の生活レベルにすっと落ちてこなかった。すごい人がいる、あーそうですか、で終わってしまう。

 宮嶋 それにしても、福井さんの原作は描写が極めて専門的で細かい。「亡国のイージス」では実際に自衛隊内部を取材されたのですか。

 福井 いえ、自衛隊そのものを取材したことはありません。装備なんかは結構、資料が出ていますし、自衛隊員の方が書かれた本は参考にしましたが。ただ、自衛隊だからといって皆が皆、決断力あふれる人間の集団ではあり得ない。僕たちの延長上にある人たちの集まりという確信があるんです。

 高卒で進路を十分に考えずに勧誘されるままに入隊したり、防衛大を出たからということで入ったり、あるいは父の世代から自衛隊で同じ道を進んだり…。彼らが交ざり合って緩やかな人間関係を築いていると思うのです。会社組織と基本的には変わりない。

 で、僕たちのような一般人として、そのとき(有事に)どうするか、という発想で自衛隊を描いたのです。

《自衛隊のイラク派遣》

 --このところ自衛隊を見る目はずいぶん変わってきましたね。

 宮嶋 イラクに派遣される自衛隊に向かって「反対」のシュプレヒコールが繰り返されました。でも、それを見て、うさん臭く感じる人も多かったでしょう。色眼鏡なくして世界の動きをとらえようとする世代が中心になって、何かが変わり始めようとしている感じがします。

 福井 僕たちの頭が冷戦時代の構造のままでは、見えてくるものも見えなくなってしまう。それに、時代とともに自衛隊そのものも変わってきている。

 --しかし、相変わらず自衛隊はがんじがらめに活動を規制されている。サマワが「戦闘地域」か「非戦闘地域」かという議論も、言葉遊びのようです。

 宮嶋 私は昨年、サマワに二度取材に行って、カメラマンとしては最後まで残っていたのですが、取材申請書を書くときも、結局は言葉遊びなんです。規則上は通らない申請が、表現を変えるとOKが出たりする。組織としては中央を気にして官僚的な側面もありますが、現場はがんじがらめの規制の中でもよくやっていたと思いますよ。

 私自身に関しては、「現場へ行くと皆さん喜んでくれるでしょう」とよく言われるのですが、いまだに業界の裏街道を歩くゲテモノ扱いされてますから、部隊によっては「君が来ると正当に活動が評価されない」という指揮官もおられ、つらかったです(笑い)。

 福井 米軍がイラクに入ってからを見ていると、イラクというのはわれわれの常識や概念でいう国じゃなかった。あれは部族の集まりだったんですね。部族が寄り集まった、その中心にフセイン政権というものがあったというだけの。

 宮嶋 だから、まとめるために圧政が必要だったんでしょうね。

 福井 ということですよね。それが米軍がやってきて、全体を取りまとめていた(フセイン政権という)ボルトはすぐに取れた。すると、残りはバラバラになって、しかも敵にまわった、だれも従わない。それは常識が違っていたということですね。

 宮嶋 私は、日米関係や国際情勢を考えて、自衛隊はイラクに行かざるを得ないと考え、そう発言もしてきたのですが、現地を見てきてちょっと疑問を感じるようになりました。自衛隊はイラク人を助けに行っているのに、イラクの人たちは「もっと助けろ」という。そのメンタリティーにも疑問がある。この人たちを本当に助ける価値があるのだろうか、と。アラブの諺(ことわざ)に「一日の無政府状態よりも百年の圧政の方がまし」というのがありますから、まあしょせんそんなものなのかなとも思いますが。

 それに、自衛隊を派遣して協力した日本の恩を米国が感じているのかを考えると、非常に懐疑的になっています。これだけ思い切ってやったのに、あっちはあまり感じていない。

 福井 米国が発表した「対テロ戦 貢献国リスト」からも日本が抜け落ちてましたしね。ただし、自衛隊をイラクに送るべきか否かと、イラク戦争の是非は本来は別問題だった。誰が好き好んで出しますか。自衛隊の派遣については選択の余地はなかった。日米安保の問題もあるがそれより大事なのが、小泉首相は口が裂けても言わないけれど…。

 宮嶋 石油ですか?

 福井 そうでしょう。イラク戦争後に米国の意向を受けた政権ができて、不参加を理由に石油を回してもらえないと(日本は)干上がっちゃう。反対するには、十年後に電気を使う生活を一切やめる覚悟が必要だった。「人道的」という側面だけで考えると、また大やけどをする。

 宮嶋 でも、一人くらい本音でしゃべる政治家がいても…。

 福井 石油の問題を政治家が口にしたら、大変なことになりますよ。僕たちは、もっと残酷な現実を生きていることを認識すべきなんですが。

 --その意味でも、福井さんがおっしゃった「日本人はまだ十四歳」というのは、言いえて妙ですね。

 福井 でも、それなら自衛隊を軍隊にすればいい、ということではない。それでは十四歳の子がたばこを吸うのと同じ。「こっちじゃないからあっち」と反対に振り切れてしまうのが怖い。今は平静でいることを意識しないといけない。

《北朝鮮情勢》

 --もう一度「亡国のイージス」が問いかけるものを考えたい。映画では、「某国」で伏せていますが、原作は北朝鮮の工作員が事件を起こす。やはり今年も拉致事件をはじめ北朝鮮問題が焦点になると思いますが、かつて被写体として金正日総書記を追いかけた宮嶋さんはどう見ますか?

 宮嶋 二〇〇一年に列車でロシアに行った時に撮影に成功しました。総書記になってから初めて撮った日本人カメラマン、という名誉が欲しくて狙ってたのですが、まったく話題にならなかった。

 ファインダーを通して見ると、ただのおっさんですよ。どうして化けの皮がはがれないのか不思議です。平壌でもあれだけテレビで彼の姿が流れていて、肖像画と全然違うのがすぐ分かるのに。

 福井 なんてやさしい国民なんだ(笑い)。ただ、絶対的なものを信じていたいという空気はあるのではないでしょうか。

 宮嶋 そうではなく、金正日が信じるに足る人物ではないってことを、みんな怖くて言い出せないのでしょう。ここまで来たらもう、北朝鮮は歴史上稀有(けう)な存在として「博物館国家」でいくしかないのでは。それぐらい、茶番といっていいレベルですよ。あの中国でさえ「ええかげんにしとけ」と言う国ですから。

 福井 北朝鮮にわれわれの常識は通じないが、「自殺行為はしない」というルールは守っている。最後の一線では絶対に退く。どこまでやったらみんなが怒るかを周到に計算しているし、はっきりと米国や日本の敵に回ったら、彼らは全滅するしかない。だから、そういう形の脅威は、実はあまりないと思う。

 宮嶋 自分は拉致事件の報道には当初からかかわっていますから、絶対に許せない。そういう意味でも、北朝鮮は一番の関心事ですね。

 --今年は戦後六十年です。福井さんの作品は、日本人がこの六十年をどのようにすごしてきたかを考えるきっかけになると思います。

 福井 日本は今、いろんな意味で逆風じゃないですか。先ほど、日本人は十四歳になったと言いましたが、さらに成長するためのいい糧になればと思います。自分の足場を見据えて、やれることを少しずつ重ねていく、その冷静さをもって進めば十五、十六歳になったときにいいバイトを見つけられるかな、少しずつ自立していけるかな、と。

 宮嶋 (米国に守られている)家を出て、下宿もできるかもしれませんね(笑い)。

               ◇

 【映画「亡国のイージス」】

 イージス艦「いそかぜ」副長(副艦長)の宮津弘隆(寺尾聰)は、東京湾沖で訓練公開中に、テロリストのホ・ヨンファ(中井貴一)と結託し、「いそかぜ」を乗っ取る。

 彼らは乗組員を強制的に退艦させ、わずか1リットルで東京を廃虚にできる化学兵器「GUSOH(グソー)」を手に、日本政府を脅迫。最新鋭の防空システムを持つ「いそかぜ」を前に、政府にはなすすべがない。

 そんな中、先任伍長の仙石恒史(真田広之)は、テロリストたちに捕らわれた部下の如月行(勝地涼)を救うために艦へと引き返す。一方、政府は「いそかぜ」の爆撃を決定。タイムリミットが迫る中、仙石は救出した如月とともに、謀略を打ち砕くため、ヨンファたちに立ち向かうのだった。

               ◇

 みやじま・しげき 昭和36年、兵庫県出身。日大芸術学部卒。写真週刊誌「フライデー」を経てフリーに。「週刊文春」などで、報道カメラマンとして活躍。独特の視点と文体で話題を呼んでいる。著書に「ああ、堂々の自衛隊 PKO従軍奮戦記」「不肖・宮嶋 南極観測隊ニ同行ス」「不肖・宮嶋 史上最低の作戦」など多数。

               ◇

 ふくい・はるとし 昭和43年、東京都出身。千葉商科大中退。平成10年「Twelve Y.O.」で第44回江戸川乱歩賞を受賞し、作家デビュー。12年に「亡国のイージス」で第53回日本推理作家協会賞、15年には「終戦のローレライ」で第24回吉川英治文学新人賞を受賞。今年は「戦国自衛隊 1549」を加えた3作品が映画化される。








【湾岸戦争から14年 転換期の日本 再検証】PKO協力法
力失った護憲論 真の自立へ歩む

 クウェートに侵攻したイラク軍に米軍など多国籍軍が反撃した1991(平成3)年1月の湾岸戦争以降、日本は経済支援だけでなく、汗を流す応分の負担を国際社会から求められるようになった。この要請に応え、自衛隊の海外派遣などを可能にする重要な法律が次々と成立している。朝日新聞をはじめとする護憲論や一国平和主義に近い考え方が力を失ってきた。本紙が続けてきた社説検証をもとに、戦後日本が憲法の制約を受けながら、自立した普通の国になりつつあるこの14年間の過程を再検証した。(論説委員室)

                  ◇

 【湾岸戦争後、日本の主権や安全保障にかかわる主な出来事】

 1991年1月 湾岸戦争

      4月 海上自衛隊の掃海艇など6隻をペルシャ湾へ派遣

   92年6月 PKO協力法が成立

      9月 自衛隊をカンボジアへ派遣(PKO)

   93年5月 自衛隊をモザンビークへ派遣(同)

   94年9月 自衛隊をザイールへ派遣(同)

   95年1月 阪神・淡路大震災

      3月 地下鉄サリン事件

   96年2月 自衛隊をゴラン高原へ派遣(PKO)

   97年9月 日米安保協議委が新ガイドラインを決定

   98年8月 北朝鮮がテポドン発射

   99年3月 北の工作船が領海侵犯し、自衛隊初の海上警備行動

      5月 ガイドライン関連法が成立

      8月 国旗国歌法が成立

     11月 自衛隊を東ティモールへ派遣(PKO)

 2001年9月 米中枢同時テロ

     10月 テロ特措法が成立

     11月 海上自衛隊の補給艦などをインド洋へ派遣

     12月 北の工作船が停船命令に従わず、銃撃戦の末、自沈

   02年9月 日朝首脳会談で金正日総書記が拉致事件を認め謝罪

   03年3月 イラク戦争

      6月 有事関連3法が成立

      7月 イラク特措法が成立

     12月 自衛隊イラク派遣を閣議決定

   04年2月 改正外為法が成立

      6月 特定船舶入港禁止法と有事関連7法が成立

     11月 中国の潜水艦が領海侵犯し、2回目の海上警備行動

     12月 自衛隊イラク派遣を1年延長

                  ◇

 ■PKO協力法 平成4年6月15日

 日本が国際社会の一員として責務を果たす人的国際貢献の道を開いた法律。(1)国連総会、安保理の決議に基づく国連平和維持活動(PKO)に協力し、国際平和協力業務を行う(2)派遣自衛隊員は国際平和協力隊員と自衛隊員の身分を併任する(3)自衛隊が部隊として国連平和維持軍(PKF)本体業務に参加する場合は、派遣前と2年経過時に国会承認が必要(4)自己の生命、身体などを防衛するためやむを得ない場合、国際平和協力隊員は小型武器、派遣自衛隊員は武器を使用できる-などを骨子としている。

 このPKO協力法に基づき、カンボジア、モザンビーク、ザイール、ゴラン高原、東ティモールなどのPKOに自衛隊が派遣された(年表参照)。

 参院 6月9日未明、自民、公明、民社3党の賛成多数(137票)で可決され、衆院に送付された。社会、共産両党などは牛歩戦術で抵抗しながら、反対した(102票)。

 衆院 6月15日、自民、公明、民社3党の賛成多数(329票)で可決、成立した。社会党と社民連(計141人)は異例の議員辞職願を出し、欠席した。共産党などは反対した(17票)。

                  ◇

《社説》

 ◆朝日 「『自衛隊派遣』を選ぶ前に」(6月10日)、「まだ、話し合いの道はある」(6月11日)、「数の力で押し切る政治」(6月12日)、「PKO協力の不幸な出発」(6月16日)

 ◆毎日 「なぜ自衛隊にこだわるのか」(5月11日)、「遺憾なPKO法案の採決」(6月6日)、「歴史に対する国会の責任」(6月10日)、「自衛隊派遣に歯止めを」(6月16日)

 ◆読売 「国際協調へ道開く『PKO』可決」(6月6日)、「議会政治のルールを回復せよ」(6月10日)、「PKOを整然と成立させよ」(6月12日)、「『PKO』成立の画期的な意義」(6月16日)

 ◆産経 「3党はPKO成立に責任持て」(5月30日)、「国民に恥じぬ国会審議を望む」(6月6日)、「必ずPKO法案を成立させよ」(6月10日)、「多数決は暴挙なのか」(6月13日)、「世界平和構築への貢献を」(6月16日)

                  ◇

 朝日と毎日はPKO協力法の中の自衛隊海外派遣を批判し、読売と産経は自衛隊派遣を強く支持した。朝日は平成14年9月17日付社説「自衛隊に専門の部隊を」で、自衛隊のPKO活動を認める方向に転じた。


【湾岸戦争から14年 転換期の日本 再検証】周辺事態法

 ■周辺事態法 平成11年5月24日

 《ガイドライン関連法》

 冷戦後の日米防衛協力のあり方を示す新ガイドラインが平成9年に合意され、それを受けた国内法。周辺事態安全確保法(周辺事態法)、改正自衛隊法、改正日米物品役務相互提供協定(ACSA)の3法から成る。周辺事態法で、日本周辺での有事の際、米軍への後方支援の枠組みが定められた。

 衆院 4月27日、自民、自由、公明3党などの賛成多数で可決した。周辺事態法案には民主、共産、社民の3党が反対し、自衛隊法改正案とACSA改正案には共産、社民両党が反対した。

 参院 5月24日、自民、自由、公明3党などの賛成多数で可決、成立した。衆院と同様、共産、社民両党はいずれの法案にも反対し、民主党・新緑風会は周辺事態法にのみ反対した。

 10年8月の北朝鮮によるテポドン発射、11年3月の自衛隊初の海上警備行動につながった北朝鮮工作船の領海侵犯事件などが法案成立の追い風になった。

 衆院で、公明党の白保台一氏(沖縄1区)は「沖縄の基地問題が解決しなければ(党の方針に従って)賛成できない」として退席した。

 参院では、民主党・新緑風会の松田岩夫氏が会派の方針に反して周辺事態法に賛成し、退会届を出した。公明党の加藤修一、高野博師両氏が欠席し、高野氏は「信念に基づいて欠席した」との談話を発表した。ACSA改正案の採決で、民主党の9人が周辺事態法の採決と勘違いし、反対に回った。

                  ◇

≪社説≫

 ◆朝日 「『周辺事態』とは何だ」(1月24日)、「有事への備えを考える」(2月8日)、「冷戦の惰性を断つ時だ」(4月28日)、「平和への戦略を磨こう」(5月25日)

 ◆毎日 「修正点が整理されてきた」(2月3日)、「国民の『不安』払拭を」(3月12日)、「踏み出した『冷戦後』安保」(5月25日)

 ◆読売 「安保論戦は『平和確保』が基本だ」(1月28日)、「指針法の早期成立は国際責任だ」(3月14日)、「指針法で日米安保が活性化する」(5月25日)

 ◆産経 「審議入りをいそぐべきだ」(1月22日)、「有事法制へさらに努力を」(4月27日)、「これからが安保の本番だ」(5月25日)

                  ◇

 朝日と毎日は周辺事態法案に疑念を提起し、読売と産経は同法案を支持した。





【湾岸戦争から14年 転換期の日本 再検証】

イラク特措法

イラク特措法 平成15年7月26日

 イラク復興支援のための自衛隊派遣を可能にする法律。自衛隊の活動地域を「非戦闘地域」に限定し、人道復興支援と安全確保支援を行う。武器使用は、正当防衛と緊急避難に限定された。

 同法に基づき、イラク南東部のサマワに自衛隊が派遣され、給水、医療支援などを行っている。16年12月の閣議決定で、自衛隊派遣は1年間延長された。

 衆院 7月4日、採決は起立方式で行われ、自民、公明、保守新の与党3党の賛成多数で可決された。民主、自由、共産、社民の野党4党は反対した。

 参院 7月26日未明、衆院と同様、与党3党の賛成多数(136票)で可決、成立した。野党4党は反対した(102票)。

 衆院で、自民党の野中広務、古賀誠、西田司の各氏が起立採決などに抗議して退席し、稲葉大和氏は起立せず、反対した。野党に造反はなかった。

                  ◇

《社説》

 ◆朝日 「自衛隊をなぜ送る」(6月7日)、「支持できぬ五つの理由」(6月12日)、「軍隊へ、が狙いなのか」(6月15日)、「将来に禍根を残さぬか」(7月26日)

 ◆毎日 「なぜ自衛隊かはっきりさせよ」(6月10日)、「常識から見てあいまいだ」(6月14日)、「自衛隊派遣には熟慮が必要だ」(7月27日)

 ◆読売 「『武器基準』の見直しを忘れるな」(6月10日)、「再び混迷を露呈した民主党」(7月4日)、「復興協力への一歩を踏み出した」(7月27日)

 ◆産経 「政権担う資格ない民主党」(7月3日)、「急ぎたい『恒久法』の制定」(7月22日)、「集団的自衛権の決着急げ」(7月27日)

                  ◇

 イラク特措法を読売と産経は支持し、朝日は反対した。毎日は慎重論を展開した。

 15年12月、自衛隊イラク派遣が閣議決定されたときも、この全国紙4紙の論調の違いはほとんど変わらなかったが、毎日は16年元日付社説「アメリカリスク対応が鍵だ」で「自衛隊派遣の選択は基本的に同意する」と自衛隊派遣賛成に転じ、編集紙面(外信部)との乖離(かいり)が生じた。








【湾岸戦争から14年 転換期の日本 再検証】

対北経済制裁法

改正外為法 平成16年2月9日

 日本独自の判断で北朝鮮への送金規制、資産凍結、輸出入規制などの経済制裁を可能にする法律。

 衆院 1月29日、自民、民主、公明、社民4党の賛成多数で可決した。共産党だけ反対した。

 参院 2月9日、自民、民主、公明3党などの賛成多数で可決、成立した。社民党・護憲連合の5人は棄権した。

 社民党は衆院で賛成したが、党内外で反対論が強まり、参院で棄権に転じた。

                  ◇

 ■特定船舶入港禁止特別措置法 平成16年6月14日

 万景峰号など北朝鮮の船舶の入港禁止措置を可能にする法律で、改正外為法に続く対北経済制裁カードの第2弾にあたる。

 衆院 6月3日、自民、公明、民主3党などの賛成多数で可決した。

 参院 6月14日、衆院と同様、自民、公明、民主3党などの賛成多数で可決、成立した。共産、社民両党は反対した。

                  ◇

《社説》

 ◆朝日 「カードを競うのでなく」(16年3月12日)

 ◆毎日 「緻密な国会審議こそ圧力だ」(16年3月5日)

 ◆読売 「『北』の工作阻止へ立法も検討せよ」(15年1月30日)、「発動は北朝鮮の出方次第だ」(16年2月1日)

 ◆産経 「制裁の具体的検討に入れ」(15年7月17日)、「適切に発動してこそ効果」(16年1月29日)、「国論を一つに早期成立を」(3月19日)、「発動に及び腰ではこまる」(6月15日)

                  ◇

 朝日と毎日は当初、北朝鮮への経済制裁に慎重で、読売と産経は制裁法の整備を早くから訴えた。その後、拉致事件などで北の不誠実な対応が重なり、朝毎も経済制裁法の必要性を認めている。


◆【湾岸戦争から14年 転換期の日本 再検証】

永住外国人地方参政権付与法案

 このほか、国の主権にかかわる法案として、永住外国人に地方参政権を付与しようとする法案が繰り返し、提出されたが、いずれも継続審議または廃案となっている。

 この問題は平成7年2月、最高裁が参政権を求める在日韓国人らの訴えを棄却しながら、傍論の中で「法律で地方参政権を付与するのは憲法上、禁止されていない」とする新解釈を示したのが発端である。

 平成11年10月、自民、自由、公明3党による連立政権樹立の政策協議で、「3党で議員提案し、成立させる」との合意が盛り込まれ、具体的な政治日程に上った。しかし、自民党内で「国民の主権が侵害される」「憲法違反だ」といった強い反対論が相次いだ。

 翌12年の通常国会に、公明、自由両党で地方参政権付与法案を共同提出したものの、審議未了で廃案となった。同年7月の特別国会に、公明、保守両党が法案を提出し、9月からの臨時国会に審議が引き継がれたが、継続審議となり、15年秋の衆院解散に伴い、廃案になった。16年の通常国会に、公明党が単独で法案を提出したが、継続審議のままだ。

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《最高裁判決を受けた各紙の社説(平成7年3月2日付)》

 ◆朝日 「見識示した参政権判決」

 ◆毎日 「外国人の参政権に道開く」

 ◆読売 「最高裁が国会に投げたボール」

 ◆産経 「慎重を要する外国人参政権」

《その後の社説》

 ◆朝日 「永住外国人にも付与を」(12年 2月12日)

 ◆毎日 「国際化への決意を示そう」(12 年9月29日)

 ◆読売 「拙速で将来に禍根を残すな」 (12年9月14日)、「法案も審議も筋 が通らない」(16年11月17日)

 ◆産経 「重ねて付与には反対する」(12 年1月16日)、「違憲の法案は認めら れぬ」(16年10月22日)

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 朝日と毎日はこの法案に賛成し、産経は強く反対してきた。読売は当初、最高裁の新解釈を「画期的な判断だ」と評価していたが、法案提出の段階で慎重論に転じ、現在は産経と同じ反対論を主張している。






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