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憂国愚痴φ(..)メモ by 昔仕事中毒今閑おやぢ in DALIAN

「憲法と安全保障・非常事態」

   (出典:『月刊自由民主』2000年6月号、56―65頁。)

              田 村 重 信
         (慶應義塾大学院法学研究科講師)


憲法調査会で何を議論したらいいか。

私は結論から言えば、次の三点が最も重要だと考える。

それは憲法の前文と憲法九条を見直しすること、及び新たに非常事態への対処についての条項を追加する必要があるということである。

また、これらの問題を論じるにあたり、特に「戦後日本は何を得て、何を失ったか」についての検証、すなわち、「占領政策は一体どうであったのか」ということを今一度振り返ってみる必要がある。

その際、忘れてはならないことは、占領政策が始まるにあたって、当時、蒋介石・中華民国政府主席が、昨日までの敵国・日本に対して、怨を以って報いるのではなく徳を以って接しようという「以徳報怨」の度量をもって対応したという事実である。

う~ん、ちょいと「古い事実認識」wですネ

その時に、(1)賠償請求権の放棄(2)天皇制の護持(3)在留邦人の早期帰還(4)日本領土の分割統治阻止―という基本方針を示した。

これがあって、日本が分裂国家にならずにすんだことは非常に幸運なことであった。

何も、弱小軍閥寄せ集めの首魁である蒋介石が、そう音頭とってなったわきゃないっしょw スポンサー米国のお先棒担いだ、またはそう言わされたダケじゃないっすかw

ドイツは東西に分かれ、朝鮮半島は今でも分裂国家のままである。

日本が分割統治 されなかったのは不幸中の幸いであり、まさに世界の戦争の歴史に例を見ないことで もあった。

もしかして、「日本国無条件降伏」説から脱却なさっていらっしゃらない?w
この点でドイツと違うし、朝鮮は大東亜戦争後の、新たな事態である東西冷戦の結果生じた「大国の都合」でしかないでしょ



〇アメリカの占領政策の意図

マッカーサー元帥は、フィリピンで日本軍に追い詰められた経験もあり、軍人として日本人の勇敢さと怖さを知っていた。

その関係で、アメリカをはじめとする連合国が当時考えたのは、日本のリベンジ(報復)を恐れ、日本が再度アメリカに襲いかかるようなことは如何にしても避けなくてはならないということであった

この「復讐戦(気概)の根絶」は押さえておかなければならない

戦争の歴史を振り返ると、負けた国がいつかは仕返しをするという歴史の連続である。だから、

中国や韓国が日本に対して現在に至るも戦争について批判し続けるのは、ある意味では、当たり前のことなのだ。

え?中共なんてちょちょいとゲリラ(戦時国際法違反の不正規戦闘やった)なだけ、朝鮮なんてそもそも「敵国」どころか日本だったじゃんw
そんな認識で「当たり前」なんて言ってたら、いまどきの厨房にさえ、笑われまっせw


こうした批判はなくならないという事実を真摯にとらえて、これからお付き合いしていくしかないのである。

んなこたぁないっ!wっしょ。 

放置、無視、「指桑罵槐」で決まりっす



戦後日本の安全保障は戦勝国の代表のアメリカが担当し、マッカーサーは日本の無力化政策を推進した。

徹底的武装解除として、非武装化し、日本の国家秩序を支えていた政治的、経済的、精神的基盤の破壊を行った。

それは、新しい憲法の制定であり、極東国際軍事裁判(東京裁判)であり、教育基本法等であった。  

そのために、戦犯逮捕及び極東国際軍事裁判、旧社会秩序の破壊(治安関係法令の廃止、警察の解体、公職追放、共産主義者の釈放、財閥の解体、労働組合の奨励)を実行した。

その際に、最近の警察不祥事問題で議論になっている国家公安委員会もつくられた。

国家公安委員会は、民衆の代表者として警察を管理することを任務とし、内閣総理大臣等から独立してその職務を行使するものとされた。

当時の警察には「警察国家」との批判があり、できる限り自治体警察にすべきということで地方分権化が 進められたのである。

しかし、これは、警察組織の民主化という名目下にその弱体化が図られる結果をもたらした。


日本の伝統的精神基盤の破壊については、不敬罪を廃止(昭和二十二年の刑法改正で削除)し、神社を規制した。

また、教育については、修身・日本史・地理が禁止され、基本徳目であった親孝行忠君愛国を放遂した。

剣道、歌舞伎、映画の時代劇までもが禁止・制限された。

国語はローマ字化が意図されたが、結局、漢字の使用制限と仮名違いの変革が強行された。

また日の丸は「悪」の象徴として掲揚禁止となった。

この「歴史事実」を押さえてるかどうかで、国旗国家法への評価が分かれるのだと思う

教育勅語については、国会に排除決議を強いたのであった。

脅しの手段が、「公職追放」という家族ともども戦後食糧難の巷に放逐される事実上の抹殺方法

現在進められている教育改革においては、戦後教育を考えるについて、今日の教育混乱の原因が占領政策にあるということをしっかり押さえて検討・見直しする必要がある。

また、当時のマッカーサーは絶対的な権限を有しており、占領政策では、厳しい言論統制・検閲が行われていた。

政治家・官僚・マスコミは、マッカーサーの占領政策及び連合国に対する批判を禁止され、もしもそうした言動があれば、すぐに公職追放されるような状況にあった。

とても本当のことを言えるような状況にはなく、当時の 日本人は占領政策の本当の姿を知らされなかった。

つまり占領時は、日本の国家としての独立や治安をいかに保持すべきかという問題 は、一切考慮の外に置かれていたのである。

ここいらの実態が判明したのは、やっと江藤淳の三部作が出版されてからのことをはっきり押さえて置かなければならない。

「閉ざされた言語空間」「忘れたこと、忘れさせられたこと」「1946年憲法」




〇 憲法改正と戦争の放棄

マッカーサーは当初、憲法改正案の作成を日本政府に指示したが、政府の松本委員会(憲法問題調査委員会)の憲法改正試案を拒否して、自ら憲法改正の基本方針であるいわゆるマッカーサー・ノート(戦争放棄、戦力不保持)を作成した。

これを受けて総司令部では、急転直下、憲法改正草案が大急ぎで策定され、この総司令部案が、 日本政府に提示された。

当時の政府は、天皇制を維持することが最大の眼目であった。

総司令部は「この憲法草案を受け入れなければ天皇の戦犯訴追を免れない」とし、日本政府に憲法草案を受け入れさせた。

その際、総司令部の憲法草案は連合国の強制による産物であることをほのめかす記事は検閲で厳しくチェックされ、憲法改正に総司令部が関与した事実は、当時の国民には隠されていた。

戦争の放棄の条項については、マッカーサー・ノート(三原則)の第二項に原点があり、次の通りである。

  「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦
   争、さらに自己の安全を保持するための戦争をも、放棄する。
   日本は、その防衛と保護を、今や 世界を動かしつつある崇高な理想に委
   ねる。 
   日本が陸海空軍を持つ機能は、将来も考えられることはなく、交戦権が
   日本軍に与 えられることもない」

その後、ケィーデスが「自己の安全を保持するため」という文言を削除した。

氏は、「この部分は自分がカットした。それはどんな国でも自国を守る権利があり、自 分の国が攻撃されているのに防衛できないというのは非現実的だからと考えたから だ」と後日述べている。


次に「芦田修正」がある。

これは政府原案(総司令部案)の第九条一項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と挿入し、さらに二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を衆議院の審議の過程で芦田均が挿入した。

この修正により、日本が防衛のためであれば軍隊の保持が解釈上可能になったことに極東委員会が気づき、ソ連などの強い要請によって「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(第六六条二項)といういう文言が挿入されたのである。

当時、芦田は「芦田修正」の本当の意味を明らかにしなかった。このため、自衛のために軍隊を持てるという規定ではなかったという学者もいる。

しかし、それはまったくの間違いである。

芦田は、もし言っていたら、どうなるかがわかっていたからこそ、ほとぼりが冷めてから自分の真意を明かそうとしたわけである。

それほど、当時の占領政策は厳しいものであったということを認識する必要がある


この解釈は通説になって、欲しいwがな) 

結局、憲法と戦争放棄の関連は、昭和21(1946)年6月28日、衆議院の憲法草案審議の際の野坂参三(日本共産党)と吉田首相の質疑に現れている。

  野坂「戦争には我々の考え方では二つの種類がある。…一つは正しくない
     不正の戦争である。これは日本の帝国主義者が満州事変以来起こし
     たあの戦争、他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。
     同時に侵略された国が祖国を守るための戦争は 我々は正しい戦争と
     言って差しつかえないと思う」

  吉田「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私
     はかくのごときことを認めることが有害であると思うのでありま
     す。近年の戦争は多くは国家防 衛権の名において行なわれたること
     は顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を
     誘発するゆえんであると思うのであります。
     野坂氏のご意見のごと きは有害無益の議論と私は考えます」

今だったら、この「野坂」「吉田」は発言者記載が逆だろっ!ってな指摘抗議がくるだろなw

ここで吉田首相は、マッカーサー・ノートと全く同じ考え方を示している。 

この背景には、吉田首相と占領下の総司令部との厳しい関係があり、また、日本が国際社会に復帰するためには戦争放棄の憲法が有利に働くということもあった。

当時、国民の最大の関心は食糧の確保であって、憲法や政治を考える余裕がなく無関心だった。


〇 冷戦の激化と占領政策の変更

冷戦の激化によって、マッカーサーは理想的な戦争放棄の考え方を変更せざるを得なくなった。

それは、昭和25(1950)年6月25日の朝鮮戦争の勃発による。

「朝鮮動乱」って言ってたよな

その結果(1950年)7月8日、マッカーサーは吉田首相に、七万五千人の警察予備隊の創設を求めた緊急指令を出すことになる。

マッカーサーは、国際軍事情勢の激変を読み違い、日本の軍隊不保持の政策を訂正せざるを得なくなった。 

朝鮮戦争で、アメリカの在日駐留軍が朝鮮半島に行ってしまったということで、日本が空になってしまう。それを何とか埋め合わせしなければならないということで、アメリカの命令によって警察予備隊が創設されることになる。

その時、「警察予備隊の実力は(憲法の禁止する)戦力にあたらない」という答弁になる。

その戦力にあたらないという答弁が、「自衛の目的といえど戦力は保持できない」から「自衛のための必要最小限度を超えるものはダメ」というその後の自衛隊の憲法解釈にも影響を及ぼすことになる。 

占領政策は、冷戦の激化、特に朝鮮戦争の勃発によって、完全に変更されることになる。

アメリカは、日本の無力化政策を転じて、対ソ政策として日本を利用しなければならなくなった。

そのために日本に軍隊を保持させて、経済も育成する必要があるということになった。

その関係で、日本が独立を回復するサンフランシスコ平和条約も寛大なものとなり、今日の経済繁栄につながっていくことになる。


〇 非常事態対処

非常事態とは、多くの場合、戦争・内乱ないし大規模な暴動のほか、大恐慌など経 済的混乱、自然災害、伝染病蔓延等の事態を含むものである。

なかには、特に戦争・内乱は予想しないとしながら、大規模災害等の発生の場合に備える必要があることを強調する意見もある。

日本政府は憲法改正(ジツは大日本帝国憲法とは全く継続性の認められない「憲法制定」)の時に、緊急命令、緊急財産処分の案を提示したが、総司令部はそれらを認めず「非常の場合は内閣のエマージェンシーパワー(緊急事態の大権)で処理すればいい」となった。

交渉の結果、最終的には参議院緊急集会制度が採用されたが、これと具体的な非常事態対処とは全くの別問題である。

その結果、現在の日本国憲法には平時の規定だけがあり、非常事態や有事に関する規定は全くない

したがって、大学で勉強する憲法の教科書(著名な憲法学者である芦部信喜・佐藤幸冶など)には、非常事態の規定についての説明がない。それは現在の日本国憲法に、非常事態の規定がないからである。ただし、国家緊急権の問題についての記述はある。

国家緊急権とは、国家の非常事態に対処するため、国家権力が立憲的な憲法秩 序を一時停止して非常措置をとる権限ということである。

だから、立憲主義体制を一時停止して、多かれ少なかれ、権力集中を伴うことを通例とする。

憲法規範を飛び越えて、いざとなったら緊急措置がとれるというわけである。

しかし、具体的な非常事態対処を想定せずにいれば、実際の緊急事態が起きた場合、国家緊急権によって対応したとしても、効果的な対処は期待できず、むしろ混乱を増幅させることになりかねないのではないか。

明治憲法の中には、戒厳大権非常大権があった。


平成六年十一月三日、読売新聞社が憲法改正試案を発表した。
その中には、緊急事態や非常事態の対処問題についての言及はなかった。

ところが、その後、阪神・淡路大震災が起こった関係で、読売ではそれを踏まえて「総合安全保障政策大綱」という提言を急遽とりまとめた。

それは、防衛、災害、テロ等にどう対処すべきか、首相が緊急事態宣言をして、一元的に指揮・監督を集中させるべきとする、憲法と非常事態 対処を関連付けた内容のものであった。

憲法と非常事態対処の関連については、勉強するための本や教科書が少なかったことから、今まで国民の間には非常事態対処についての問題意識が薄かったというのが現実であった。

で、そのままそういう方々が高級官僚になって国政を牛耳ってらっしゃる、とw


〇 内閣の憲法調査会での非常事態に関する議論

昭和31(1956)年に設置された内閣の憲法調査会では、非常事態についての議論が真剣になされていた。

憲法調査会報告書には、非常事態についての議論の結論が次のよう に記されている。

  「現行憲法には非常事態に関する規定が設けられてはいないが、現行憲法
   の下においても非常事態の発生は予想しうること、およびその場合には
   これに対処するためなんらかの非常措置がとられる必要があることにつ
   いては、全委員の意見は一致しいている。

   しかし、このような非常事態の発生に備えて憲法にあらかじめ規定を設   けておく必要があるかどうかにつては、その必要があるとする意見が多
   数ではあるが、これに反対して、憲法に規定を設けるべきではないとす
   る意見もあった」 

改正論と改正不用論の見解の相違は、非常事態を予め成文憲法上に規定するか否か、民主主義の発展度合いに対する見方と国家観や権力に対する考え方の違いである。

民主主義が根付いていると考える人はやはり憲法の中に入れるべきだと主張し、未成熟だという人は、憲法の中に入れると権力濫用の危険がり、また独裁的なことに なりかねないということを懸念する意見の相違である。


〇 非常事態関連法は多数の人命が犠牲になってから法律等が作られた

危機管理や安全保障問題を担当していて、最近思ったことは、日本では大災害や大事故が起きて多数の人が亡くなってから法律を作ってきたのではないかということで ある。

戦後、非常事態対処関連の法律と災害や事故との関係がどうだったかということを 整理してみる。

昭和27(1952)年に北海道十勝沖地震が起きた。
その時に、全国知事会で「非常災害対策要綱」等の要望が出されたが、それは結実しなかった。

ところが、昭和34(1959)年、伊勢湾台風が起こり、死者・行方不明者は五千人以上に上った。これがきっかけでやっと「災害対策基本法」が作られることになる。

次に、昭和39(1964)年の新潟地震や同43(1968)年の十勝沖地震が起こって「地震予知連絡会議」が設置された。

日航よど号ハイジャック事件(昭和45(1970)年)、クアラルンプール米大使館事件(同50(1975)年)、ダッカ日航機ハイジャック事件(同52(1977)年)などが起きると、政府は「犯人の要求に係る措置」を閣議決定し、また「ハイジャック防止対策本部(常設)の設置」「ハイジャック等に対する対処方針」「ハイジャック等非人道的暴力事件処理対策」等の措置が次々に決定した。

昭和53(1978)年の伊豆大島近海地震で死者・行方不明者が出たが、その後、「大規模地震対策特別措置法」が成立する。

その後、イラクのクウェート侵攻や湾岸戦争で、ペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇が派遣され、その後国際貢献問題が必要だということでPKO法案が成立することになる。

平成7(1995)年に阪神・淡路大震災が起きて、自衛隊が道路を通行しようとしても簡単にできないということなどが明らかになって、警察官、自衛隊、消防等による緊急通行 車両の通行確保措置が「災害対策基本法の一部改正」によって可能となった。

また、同法改正で、内閣総理大臣を本部長とする緊急災害対策本部を設置することができることにもなった。

当時は内閣総理大臣ではなく、国土庁長官が本部長となって指揮をとるということであった。

大地震などの国家の緊急事態には、総理大臣が自ら先頭に立って指揮しなければうまくいかないということで改正されたわけである。

次に、地下鉄サリン事件(平成7(1995)年)が起きたことなどもあって、二十四時間体制で内外の情報を収集・集約する必要性から内閣情報センターが設置された。

また、行革がテーマになったときには内閣の危機管理機能強化の問題等が大きくクローズアップされて、内閣総理大臣の権限強化が主張された結果、官邸機能の強化策が図られることとなった。

その後、平成11(1999)年9月の茨城県東海村ウラン加工施設事故が起きて、初めて「原子力災害対策特別措置法」が作られた。

日本は何か大きな災害や事故が起きて尊い人命が失われないと、なかなか法律を作ってこなかったという事実に着目する必要がある。

今後の日本の安全保障・非常事態問題を考えると、次に何が起きるかは予測される。

これまでにように、大きな災害・事故等が起きてからその対応策を考えるということではなく、その前にきちんと作っておく必要があり、またそれは不可能なことではない。


〇台湾大地震の対応はなぜ早かったか

平成11(1999)年9月21日、台湾大地震が起こった。

その時、李登輝総統(当時)の取った措置は非常に迅速でかつ的確であったという高い評価を国の内外から受けた。

なぜ李登輝総統が的確な対応ができたのか。

その理由の一つは、台湾の憲法にある。中華民国憲法には非常事態対処規定があり、それが常に総統の頭の中にあり、かつ国の組織も国家の緊急事態への対応可能な組織になっているからである。

憲法の規定(中華民国憲法、第四章総統、第四三条)は、次のようになっている。

  「国家に天災、疫病が発生し、又は国家財政経済上重大な変動があり急速
   な処分を必要とする場合は、総統は、立法院休会期間中にあっては、行
   政院会議の決議を経て緊急命令法により、緊急命令を発布し、必要な処
   置をとることができる。但し命令発布後一箇月内に立法院に提出して追
   認を求めなければならない。立法院が同意しないと きは、その緊急命令
   は、直ちに効力を失う。」

他に、台湾大地震に学ぶべき点は、軍隊の果たした役割の大きさである。

初動における救援・救助体制は、軍隊を中心に指揮命令系統が一元化されて効果的に機能した。

阪神・淡路大震災の被害の甚大さは、「自衛隊は憲法違反だ」と主張する共産党などの影響もあって、神戸市などの地方自治体が自衛隊と共同の防災訓練を一切行ってこなかったことも大きな要因であった。


〇憲法論議に何が重要か

ここまで述べてきたように、憲法調査会でまず議論すべきは、憲法の安全保障規定の見直しと非常事態対処規定を付け加えるということである。

そのためには、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という表現と現実の世界情勢を照らし合わせてみることである。

次に憲法九条の問題であるが、同条の憲法解釈が百以上もあるというのも異常な話である。

「自衛隊を軍隊として持つことができる」と誰にもわかるように改正すべきである。

また、非常事態対処への特別の規定を設けることである。

「非常事態対処、有事法制というのは明確な人権停止と権力統合の瞬間をつくるため、これを法律でかたづけてよい次元の話ではない。したがって、非常事態対処の根拠規定は憲法に入れるべきものである」(小林節・慶應大教授)。

なんといっても、これまでの長年にわたる安保問題についての議論に鑑みても、国と国民の安全保障(前文と九条、非常事態)の確立が最優先課題であると考える。

バブル崩壊後の「改革」の手順も、畢竟、この「優先順位」をつけることの間違いから「失われた10年」という仕儀に至ったと思われる


次に参議院の重要性について一言述べたい。

例えば、アメリカの政治の現実を見ると、下院議員は任期が二年であるために、非常に地元密着型になっている。また、制度として、条約の承認の権限は上院だけが持っている。したがって、外交や安全保障問題はアメリカでは上院が中心となって検討している。

日本の衆議院の任期は四年で解散があり、小選挙区(比例代表並立制)でもあることから地元に滞在する時間が長くなる傾向にある。かつ政策については広範な範囲をカバーしなければならない。参議院は、任期が六年で解散なしという関係で一つの政策をじっくりと検討ができる環境にあると言える。

日本でもアメリカの上院のような方向に行きつくように思われるし、外交・安全保障や憲法といった国家的な問題などは、参議院がむしろ主体性をもって取り組むべき課題となるであろうと考える。

ここいらは、実態と相当かけ離れてるように思われw



〇国家とアイデンティティー

最近よく話題になる国際化・グローバル化についてだが、国際人であるには、世界の中で、日本人として自らのことをきちんと主張しなければならない。

また国際人とは、自国の国旗・国歌を尊重すると同時に相手国の国旗・国歌を尊重することでもある。

ところが、日本では自分の国の国旗・国歌を否定するという人がいるが、それは日本の国内では許されても、海外では尊敬されるどころか軽蔑されてしまう。まさに非国際人であるということになる。

そういう意味では、もうそろそろ占領政策時代の「国家は悪」「軍は悪」といったことから脱却して、国家について真正面から考える必要がある。

また、素直に過去の日本及び日本人の長所と欠点の検証を行い、日本史の再検討・再検証を行うことが必要であるようだ。

2000(平成12)年3月、通産省の産業構造審議会が「二十一世紀経済産業政策の課題と展望」を発表した。構想にあたっての基本認識の中で、国家については、次のように述べている。

  「今後、『もの』『かね』『情報』が国境を意識せず自由に移動すること
   が常態となった、言わば、経済活動の上で国境が希薄化した時代が到来
   するが、このことを国家の意識が失われたと誤認すべきではない。
   人の国際移動は依然として限定的であり、また、国家間の制度の国際競
   争は現実のものである。
   国家は、個人にとっての生活の場としても、経済主体による国際競争の
   側面でも、極めて重要な役割を果たし続けるであろう。むしろ、今後市
   場の一体化が進展し、富の集中が起こりやすくなる中で、各国の違い・
   多様性が浮かび上がり、国民の幸せに責任を持つ国家の意義は浮上する
   とも考えられよう。」

国のかたちとこころ(精神)、自主性・主体性のある国としての国際協調をどう確立するか、そのためのわが国のアイデンティティーとは何か、国際社会におけるわが国のあり方・役割について考えなければならない。

それには、私「個人」と公「公共性」の問題、個人と家族・国家の関係も押さえておく必要がある。

教育の見直しにおいても、修身、道徳・倫理教育をどう考えるかが重要課題となろう。 

人間の幸福とは何か、経済的な豊かさの追求だけでなく、心の豊かさの追求が大切なことである。

利己主義やエゴイズムだけでなく、他人を思いやる、利他主義とどう 調和を図っていくかについても真剣に考えてみることである。



★相当大雑把な議論に最後は拡散してしまったような気がしないでもないw

途中はちょいと見せたのだが、残念。




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