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憂国愚痴φ(..)メモ by 昔仕事中毒今閑おやぢ in DALIAN

「祝日」について(「昭和の日」論争)


(2005/01/13)

【アピール】「昭和の日」への反対は理解できぬ

 弁護士 高池勝彦 62(東京都千代田区)

 昨年十二月二十三日付の本紙「正論」で辻村明氏(東大名誉教授)が「軽くなった祝日の意味と重み-嘆かわしい連休対策の日付移動」と題して、「みどりの日」を「昭和の日」に改めることに反対している。しかし何度読み返しても、理由が理解できない。

 辻村氏の主張の要点は次の三つ。

第一に、昭和二十三年の祝日法制定によって、それまでの紀元節、天長節、明治節など「〇〇節」という名称が排除されて「〇〇の日」になり、「節」の文字にこめられた「固くて動かし得ない」という重みが失われてしまった。これが昨今の三連休制に見られるように、かけがえのない特定の一日をほかに移して休めばよいという、安易で怠惰な風潮を蔓延(まんえん)させた、というもの。

第二が「昭和の日」制定反対論。

第三は、祝日をいじるよりも祝日に国旗を掲げよという主張である。

第一点には同意するが問題もある。辻村氏は、GHQ(連合国軍総司令部)の圧力下に祝日が大幅に変更されたのは「時代の趨勢(すうせい)から自然なこと」と述べる。

しかし紀元節の存続が否定され、天長節と明治節の名称変更が余儀なくされたことを「自然なこと」というのは納得しがたい。日本の建国と永続を祈念する祝日の名称排除を一方で肯定し、他方で否定している

問題は第二点だ。辻村氏は言う。「『明治節』も『文化の日』に変えられたのだから、今さら『昭和の日』を設けることもあるまい」と。しかし、この「昭和の日」反対論も、旧制祝日名称の排除を批判する氏の論と矛盾する。

「みどりの日」は「昭和の日」でなく「昭和節」にすべきだ、との主張ならわかる。あるいは、天皇につながる祝日には反対というのであれば、それは一つの考え方だが、祝日に国旗を掲揚せよと説く氏の立場はそうではない。

第三点。「みどりの日」の「昭和の日」への改名と「連休対策の祝日移動」とを、「祝日をいじる」という言い方で同次元に論じるのは間違っている。祝日のとらえ方において、両者は対極にあるからだ。「昭和の日」への改名を主張することこそ、祝日の本来の意味を問う辻村氏にふさわしいと思うのだが。




で、その問題の「正論」をわざわざ落として貼り付けてあらためて読んでみると、...



(2004/12/23)

【正論】東京大学名誉教授 辻村明 

軽くなった祝祭日の意味と重み

嘆かわしい連休対策の日付移動

《禍根残した祝日法の制定》

 十二月二十三日は天皇誕生日である。天皇誕生日は戦前には天長節といわれ、明治時代には十一月三日、大正時代には八月三十一日、昭和時代には四月二十九日が天長節であった。

 当日は学校は休みであったが登校はして、校長が厳かに読み上げる教育勅語を拝聴し、多くは紅白の記念まんじゅうをもらって帰宅したものである。そして各戸には「日の丸」の国旗が門や玄関の脇に掲げられ、「旗日」ともいわれた。全国津々浦々どこに行っても「日の丸」の旗がひらめき、祝意にあふれていた

 戦前の暦には、この天長節の他、紀元節(二月十一日)、明治節(十一月三日)と四方拝(一月一日)の四大節と新年宴会(一月五日)が祝日とされ、他に祭日として、神武天皇祭(四月三日)や大正天皇祭(十二月二十五日)など七つのものがあった。そして祝祭日は休日であると同時に国旗を掲げるように指示されていた。

 このうち明治天皇は特別扱いで、明治四十五年七月三十日に崩御され、大正時代になってからは、天長節が八月三十一日に移されたため、十一月三日は普通の日となった。しかし明治天皇の偉大な業績をしのぶ祝日として、昭和二年に明治節が制定された。

 戦前最後の祝祭日は以上のようなものであったが、全体的に天皇や皇室中心の国家主義的な性格が強かったので、敗戦後、GHQの占領下にあった昭和二十三年七月三十日制定の「国民の祝日に関する法律」によって、大幅に変更された。

 それは時代の趨勢(すうせい)からして自然なことであったが、新しく制定された戦後の「国民の祝日」には、制定後の変更をも含めて多くの問題がある。その一部については、「成人の日」に関連して、平成十三年五月十三日付の本欄『祝日の再検討を提案する』で指摘しておいた。今回はその続編ということになり、多少の重複はお許し願いたい。

《安易で怠惰な風潮を蔓延》

 まず第一に、「〇〇節」という名称はすべて排除されて、単に「〇〇の日」という名称になったことである。「天長節」などの「節」というのは、元来は竹の節(ふし)に由来していて、これは固くて動かし得ないものという意味合いがある

 天皇にせよ一般市民にせよ、誕生日は誕生日で一回しかなく、一日といえども動かし得ないものであり、それが故に、季節や生活の区切りともなるものであった。

 その重みが失われたために、「国民の祝日」で新たに設置された「成人の日」は、最初一月十五日だったのが、平成十二年から一月の第二月曜日に移されて、土・日・月の三連休に組み入れられた。

 また「海の日」も最初は七月二十日であったが、同じく七月の第三月曜日に移されて三連休、「敬老の日」も最初は九月十五日だったのが九月の第三月曜日に移され、「体育の日」も最初は十月十日だったのが、十月の第二月曜日に移され、三連休が年に四回もできてしまった。

 この三連休は一方で「ゆとり教育」の方針から毎週土・日が連休になったことの延長線上にあり、かけがえのない特定の一日を平気で他に移して休めばよいという、安易で怠惰な風潮を蔓延(まんえん)させてしまった

《祝日変更より国旗掲揚を》

 日付は忘れたが、この三連休制が国会で議論される直前、自民党と公明党の幹部が国会の廊下を歩きながら「三連休、よろしく頼みますよ」と話し合っている姿がテレビに映り、私はあぜんとした。

 第二に昭和天皇時代の天長節が「みどりの日」として残っているが、どうにも座りが悪いので、「昭和の日」にしようという声が起こりつつあるが、私は反対である。

明治天皇でさえも「明治節」が「文化の日」に変えられたのだから、昭和天皇がどんなに在位が長く、高潔な人格者であったであろうとも、今更「昭和の日」を設けることもあるまい


「文化の日」は、「みどりの日」以上に無意味だな。
来歴が全く名称からは捉えられないもの。
てっきり「46年憲法公布の日」を皮肉って休日にしてあったと思っていたじゃんw


 それよりも国会議員や公職に在る者は、自宅で果たして祝日に国旗を掲げているのだろうか。漸く「国旗・国歌」法(平成十一年八月)も通り、既に五年も経っているのだから、祝日をいじるよりも自ら範を垂れて自宅に国旗を掲げ一般市民にもそのように働きかけていくべきであろう。

そうですよね。コレって全く並列論点じゃないじゃんw

 私は祝日には努めて国旗を自宅の門柱に掲げるようにしているが、三連休にするために移動した祝日には掲げない。なお国旗はどこで売っているのか知らない人も多いようなので、デパートの和服売り場で売っていることを付記しておこう。

(つじむら あきら)



はぁ。なんでそうなっちゃうんでしょうネ?w
気になるんで、前編の平成13年5月13日「正論」も落としてみると、...

(2001/05/13)

正論 辻村 明氏

NPO法人≪人づくり地域づくり≫研究機構理事長

祝日の再検討を提案する/
「荒れる成人式」宜(むべ)なる哉(かな)の成人の日

≪「祝日」はどう決まったのか≫

 「国民の祝日」が相次いだ大型連休も終わり、この辺で「国民の祝日」がどのようにして決まり、果たして現行のままでいいのかどうか、再検討してみるのにいい機会ではなかろうか。

憲法や教育基本法と同様、「国民の祝日に関する法律」も、占領下の昭和二十三年七月二十日に制定されたものである。

 そのための予備知識として、戦前の祝祭日と戦後の祝日とを対応させてみよう。共通した日付のものには傍線を付した(七カ所ずつ)。

〔戦前〕

[1]四方拝一月一日、
[2]元始祭一月三日、
[3]新年宴会一月五日、
[4]紀元節二月十一日、
[5]春季皇霊祭三月二十一日頃、
[6]神武天皇祭四月三日、
[7]天長節四月二十九日、
[8]秋季皇霊祭九月二十三日頃、
[9]神嘗(かんなめ)祭十月十七日、
[10]明治節十一月三日、
[11]新嘗(にいなめ)祭十一月二十三日、
[12]大正天皇祭十二月二十五日。

〔戦後〕

[1]元日一月一日、
[2]成人の日一月十五日(二〇〇〇年から一月の第二月曜日)、
[3]建国記念の日二月十一日、
[4]春分の日三月二十一日頃、
[5]みどりの日四月二十九日、
[6]憲法記念日五月三日、
[7]こどもの日五月五日、
[8]海の日七月二十日(一九九六年から)、
[9]敬老の日九月十五日(一九六六年から)、
[10]秋分の日九月二十三日頃、
[11]体育の日十月十日(二〇〇〇年から十月の第二月曜日)、
[12]文化の日十一月三日、
[13]勤労感謝の日十一月二十三日、
[14]天皇誕生日十二月二十三日(一九八九年から)。


≪皇室行事が中心だった戦前≫

 戦前は皇室行事が中心だったが、戦後はどうでもよい日が多すぎる。現行祝日の終わりの方からみていくと、[14]天皇誕生日は、在位される今上(きんじょう)天皇の誕生日であるから、日付は異なるが戦前の天長節である。

この旧天長節との関連で、昭和天皇の四月二十九日は崩御後「みどりの日」となり、明治天皇の十一月三日は、戦前でも明治節と変わり、戦後は「文化の日」となっている。

「みどりの日」を「昭和の日」とせよという主張は国会でもでているが、昭和天皇がどんなに人格高潔な方であったにしても、今上天皇の「天皇誕生日」があればそれで十分で、敢えて四月二十九日を「昭和の日」とする必要はないであろう。

明治天皇を顕彰した明治節でさえも、「文化の日」に変わっているのだから。そして「文化の日」はさまざまの授賞がおこなわれる日としてふさわしい。

それに対して「みどりの日」は単なる季節の変化であるし、季節の節目としては「春分の日」と「秋分の日」があり、彼岸の中日として墓参りも存在理由がある。

むしろ「みどりの日」に代わって、小堀桂一郎氏が早くから注意を喚起してきた日本の独立した日(講和条約発効の日)である四月二十八日を「独立の日」とするのが望ましい

≪「敬老の日」「海の日」は不要≫

 「体育の日」は一九六四年の東京オリンピック開会の日で、記念するに値するが、「敬老の日」と「海の日」はいらないであろう。

「こどもの日」は「端午の節句」だったもので、男の子の成長を祝う日であるから、このまま残し、女の子の成長を祝う「桃の節句」(三月三日)も祝日に入れた方がよい。

「憲法記念日」は憲法が改正になっても、このまま五月三日でよく、「建国記念の日」も二月十一日が妥当であろう。「元日」はいうまでもない。

「勤労感謝の日」(旧新嘗祭、新米を天皇が食する日)との関連で、旧神嘗祭(新米を天照大神に供する日、十月十七日)を「星の日」または「宇宙の日」として復活させたらどうであろうか。

民俗学の吉野裕子氏の研究によると、伊勢の内宮(天照大神)は北極星に、外宮(豊受大神、五穀の神)は北斗七星に擬せられる根拠があり、神嘗祭の日の午後八時には地平線スレスレに北斗七星が現れ、柄杓(ひしゃく)で新穀を北極星に献じている図柄になるという。

祝日の数は三減三増で変わらない

★「成人の日」は最初、一月十五日に設定したのが大きな誤りであった。

この日は小正月や藪入りといわれた日で、新妻や店勤めが、正月の忙しさから解放されて、実家に帰る日であった。

地獄の監視人も休暇をとって、地獄の釜も蓋があいたままの、まことに締まりのない日だったのである

「荒れる成人式」となるのも宜(むべ)なる哉(かな)である。

成人式については、教育制度の改革をも含めた私案が、新しい肩書にある研究機構(TEL.03-3358-6006) で小冊子となっているので、ご関心の向きは請求されたい。

(つじむら あきら)



なんだ。こっちのほうも読まないと、辻村先生の真意はわからんじゃんw




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