2012/03/02(金)14:17
42年前のボリビア(2)…(3/2)
ラパスの町と高山病 2月26日の項に続いて、「アタカマ高地探検記」(中公新書~向一陽1974)の中のボリビアに関する記述を見ていく。 首都ラパスについて...(以下、青字は同書からの引用) 「ラパス市の町並みは、平坦なアルティプラーノの一角が浸食作用ですりばち形に落ち込む谷の斜面にかかっている。谷底からスカイラインを見上げると、三方の山腹はぐるりと家で階段状に埋まり、まるで大きな野球スタンドの底にいるようだ」 著者は共同通信社の社員だけあって的確に描写している。飛行場から中心街に向かってタクシーで降りていく感覚は、すりばちの底に滑り落ちていくような感覚であった。 「すりばちの縁からラパスの中心市街を望む」
(道路はぐるりとすりばちの内側をまきながら市街地に降りていく~2011.11.16撮影) 「市の中心標高は大統領政庁のあるムリョ広場の3632m。この広場より標高が低くて空気が濃い"下町"ほど金持ちが住んでいる。反対にここより空気が薄い"山の手"ほど低所得階級のインディオたちの黄色い泥の家が密集している」 42年後の現在では、すりばちからあふれ出すように低所得者の住宅が広がり、「エル・アルト」(高い所)と呼ばれる新市街が拡大している。エル・アルトの標高は約4,150mである。人口は、ラパス市が約90万人に対してエル・アルト市は100万人を超えたという。 「この高さでは空気の量は平地の3分の2足らずだ、歩きまわるだけでも息切れがする。うっかり重い荷物を持ち上げたりすると、とたんに動悸が激しくなる。ラパスに着いて数日の間は、頭痛、めまい、吐き気など、人によってさまざまの高山病の洗礼を受ける」 と、書いて、「この町では高山病の話がどうしてもあいさつがわりとなる」として、戦前からこの地で貿易商を営む日本人の話として、次のような話が紹介している。 「私の友人の日本人でね、ラパスに来ると3日目に必ず頭が痛くなる人がいる。初日と2日目はなんともない。だから2日間でぱっと仕事をすまし、3日目には何がなんでもラパスから逃げてしまう」 ボリビアの従兄弟たちは、ボリビア第2の都市サンタクルスの近郊のサンファン日本人居留地に住んでいる。そこは、アンデスの高山地帯からアマゾンの低地帯に変わる地域で標高は約300mである。 長兄の従兄弟は農協の役職がらラパスには定期的に用務があるそうだ。しかし、彼は1泊2日で用事を済ましてすぐサンファンに戻るのだという。上の話の人と同じである。 「酸素吸入を試す」
(空港やホテルなどには酸素ボンベが用意されている~2011.11.16撮影) ちょっと酸素を試してみたが、無味無臭で、特においしいとか、楽になったという感じはなかった。すでに、2日前のスクレ~ポトシ~ウユニ間の、標高4,000m付近の長時間ドライブで体が高地に順応していたのかもしれない。