2014/05/19(月)23:32
音楽がつなぐ半島と列島…(5/17)
日韓伝統音楽コンサート 当たり前のことだが、朝鮮半島と日本列島は遠い昔から隣人だった。長い歴史をさかのぼると、半島と列島は、仲のいい友であったりライバルであったり、はたまた敵同士だったりした。 韓国の教科書には「百済」の建国は紀元前18年にさかのぼると書かれている。しかし、「百済」という国名が中国の歴史書に登場するのは4世紀で、同じころ、倭国(日本)では大和朝廷の大王(おおきみ)たちが巨大な古墳を作っていた。このころから3世紀にわたって日本と百済は友好関係にあり、仏教や文字などの多くの文化が百済を経由して入ってきた。 朝鮮半島が百済・新羅・高句麗の3国に分かれたころ、日本の大和朝廷と百済王朝は相互安全保障体制下にあった。そして、百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされたとき、倭は救援軍を送り込む。しかし、663年の白村江の戦いで敗退し、その後は大陸から侵略される危機に直面した。 13世紀後半の「元寇」では、半島の高麗人も北九州沿岸を襲った。14世紀から16世紀にかけては倭寇と呼ばれる私貿易集団が、朝鮮半島の村々から食料や人を略奪した。16世紀末には日本を統一した豊臣秀吉が2度にわたって「朝鮮出兵」を行い多くの被害を与えた。 江戸時代の日本は李氏朝鮮と友好的な交流を行った。徳川将軍家は、室町幕府の足利義満が始めた朝鮮との交流を再開した。朝鮮通信使の一行が定期的に日本を訪問し貿易も行われた。 今日の日韓関係は日本の明治以降の半島への侵略に対する反日感情がトゲとなっている。しかし、長い歴史のスパンで見ると日本と韓国は「隣人」なのである。 日韓の伝統楽器の演奏者による「日韓伝統音楽オーケストラ」を聞きに行った。秀吉の朝鮮侵略の拠点となった名護屋城跡に建設された佐賀県立名護屋城博物館は、日韓交流の場としての役割を果たしている。 この公演は熊本県では山鹿市と熊本市で、福岡県では太宰府市の九州国立博物館ホールで開催された。そして、昨日は佐賀県唐津市の呼子でミニコンサート、そして今日のフィナーレの場所は県立名護屋城博物館ホールだった。「日韓の伝統楽器のコラボ」
(公演のフィーナーレが、秀吉の朝鮮侵略の拠点名護屋城跡だったことに今日的な意義がある) 県立名護屋城博物館ホールの500席ほどはほぼ満席となった。打楽器のチームが出てくると会場からは手拍子がおこり、ステージと客席がますます一体となって盛り上がった。「異なるものと同じもの」
(笛、琴、太鼓、鼓、鉦など両国の楽器には微妙な違いがあるが、その表現の源泉は同じようだ) これからは、「異なるものを言い争うことよりも、同じものを共有する」という未来開発型発想で日韓はつながっていくべきだと思う。 このようなコンサートが、日本のもっと多くの地で開催されることを期待したい。と同時に、韓国内でもこのコンサートがいつか実現することを祈りたい。※なかにはフラッシュを発光させて撮影している人もいました。コンサートは基本的に撮影禁止だと思いましたが、感動を伝えたくて、シャッター音のしないコンデジでノーフラッシュで撮影させてもらいました。