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テーマ:教育問題(256)
カテゴリ:教育全般と社会科教育
「いじめ」は脳に組み込まれている機能 この本のタイトルを見て「ここまで言い切ってよかったのかな」、と思うほどでした。でも、この本は自分がずっと考え続けていたことに明快な根拠を提示してくれました。 子どものいじめが話題になる一方で、大人のいじめも日常的に行われています。パワハラやセクハラ、アカハラ、マタハラなどは特定の人間関係の中でおこり、マスコミが正義の味方のように導火線の役割を果たして喧伝されています。 しかし、そのマスコミ産業のもふくめて、職場の中で、あるいは地域社会の中で、仕事ぶりが人より遅い、無口だとか、人付き合いが苦手だとかの理由で、大人社会でもいじめが日常的に行われています。しかし、大人は子どもよりも逃げるすべを知っているから、いじめの被害者として最終的な手段を選ぶことは少なく、大きな話題にならないだけです。 「人は『いじめ』をやめられない」 著者は、現生人類のホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人などより脳の前頭葉(中でも前頭葉皮質)が発達していて、そこには社会行動に必要な機能が集中していると言います。それらは、思考、共感、創造、計画、行動、意志、自制などを司り、「社会脳」と呼ばれます。 そして、そのような社会脳の働きで、自分たちよりも体が大きく力も強い外敵と戦い生き延びるてきたのです。そしてその進化の過程でますます社会脳の機能は発展していきました。 そうして、時には集団を維持するため、集団を批判する行動や危険にさらすような行動を攻撃するようになっていったのです。それが現代のいじめの根源だと筆者は述べています。そのほか、脳から発せられる各種のホルモンの作用といじめの関係についても書かれていて、私自身この本を読んでストンと心に落ちるものがありました。 現在文部省の音頭取りで県市の教育委員会が行っている「いじめ防止対策」は、あまりにも現象のみを見て、いじめが起きる本質を考えていないように思います。もちろん研究会なども行われていますが、目新しい発想は余りないようです。 アンケートを年に2回実施して、指導を要するいじめがあったらどのような対応をとったかを迅速に報告することなど、ただでさえ多忙で過労死寸前の教職員もいるというのに、またまた学校の仕事が増えるようなことを学校に要求し、先生たちの時間を奪っているのです。 大切なのは、「人はいじめをやめられない」ということを前提にして、どうしたらそれぞれの人格を尊重して「いじめの少ない(少なくとも命に関わるいじめをなくす)」社会を作っていくかという視点をもとに、人と人との関わりのあり方を考えさせていくことです。 そのためには、まずなんといっても子どもたちと先生たちが心を開いてゆっくりと心を触れ合わせる時間が必要です。日本の学校は集団を強く意識させる学習や行事を行ってきました。そのために、小学5年から中学2年ごろにかけて、集団から外れた行為や和を乱す行為に対して攻撃することが多く発生してそれがいじめにつながっているのです。 著者は本書の第4章で「いじめの回避策」として、「大人のいじめ」、「子どものいじめ」、「教育現場における環境的回避策」を提言しています。「いじめは無くならない」ということを前提に、現実的な回避策を述べているのです。 小学1年生のときから「みんなと仲良くしましょう」という指導をしています。しかし、「みんなと仲良くする」ということは本来無理なことなのです。高校生から大人にかけて、人との「距離感のとり方」や「割り切り方」によって折り合いをつける知恵がついてきます。 小中高校でも、理想論から入るだけではなく、発達段階に応じて決定的な対立を少なくするような、現実的な人とのつきあい方を学ばせることが大切です。 文科省は道徳の教科化を進めています。しかし、私は道徳の教科化が「いじめ」をなくすことにはつながらないと、ほぼ99%の確率で予想しています。繰り返しになりますが、先生が子どもと向き合う時間を増やすことが当面の先決課題だと思います。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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道徳教育でいじめがなくなるわけがないです。僕もおっしゃるように小5から中2までいじめられていましたw
(2017/11/24 10:53:25 PM)
mabo400さんへ
ご無沙汰しています。小5から中2まで辛かったでしょう。 若いころ、指導要領反対ということで道徳をサッカーやバスケットで学ばせる?先輩方もいました。年度が変わったとき、生徒が次の道徳は体育館ですか運動場ですかと聴きに来る時もあり、「道徳は教室でやります」と答えたものです。 指導要領にある「徳目」は意識せず、新聞記事やテレビの録画などを利用して、自分だったらこんな時にどうするかという「モラルジレンマ」の問題を取りあげていました。教科化でますます画一的な指導になり、先生と生徒の触れあいや子ども同士の意見の交流がない面白くない時間になりそうです。 (2017/11/25 09:32:18 PM) |