2023/12/30(土)22:35
倭城巡りの旅~1日目(12/18)
早起きして、楽しみな旅の始まり
6時前の電車で I さんと福岡空港へ、そこで初対面となるもう一人の旅友 M さんと会い、3人旅の始まり。エア釜山の9時25分発は1時間弱で金海国際空港に到着した。金海空港は韓国一長い(525Km)洛東江の川中島にある。
12時近く、空港内のレストランで昼食。韓国最初の食事はおなじみのビビンバ。私たちを出迎えてくれた釜山外語大学の金先生は定年退職されたが、まだまだ若々しくて優しい面差しで、日本語はとても達者だった。金先生の車で高速道路を小一時間走って、13時過ぎに最初の見学地、蔚山(いさん)倭城に着いた。
「蔚山倭城と西生浦倭城」
(初日の今日は、蔚山倭城とその南側に位置する西生浦倭城を見学した)
倭城の多くは、最初の朝鮮出兵時の1593(文禄2)年ごろ、補給基地確保のため築城された。しかし、蔚山倭城は対明交渉決裂後の1597(慶長2)年に築城開始された。明軍の襲来に備えた守りの城である。
「本丸への登り道」
(石垣の主要部は残っているが、まだ未調査の部分も残る)
1597年に築城が開始され、石垣の組み方からも加藤清正の熊本城との関連が分かる。だが、完成直前に朝鮮と明の連合軍が来襲し、日本側は籠城戦となり苦戦した。その後、黒田長政らが応援に駆けつけかろうじて城は死守された。
「天守台付近の石垣」
(翌1598年、豊臣秀吉の死により日本軍はこの城を出て帰国した)
現在、蔚山倭城は蔚山市の文化財に指定されているが、まだ未発掘の区域もあり全貌は分かっていない。現在は鶴城公園として市民のウォーキングコースとして活用されていて、アスレチックの施設などもあった。
「清掃活動をする人たち」
(市民の皆さんが、モミジの葉を丁寧に掃いて処分していた」
負の遺産である倭城を文化財として保存し、観光地としてまた市民の健康つくりの場として活用されている。そのことは自分にとっては想定外のことだった。
次に1時間弱ほど高速道路を南下し、西生浦(せっかい)倭城に着いた。1593(文禄2)年、加藤清正の築城とされる。この城は南北400m、東西700mという広大な規模で、曲輪、虎口、横堀、天守台などがほとんど原形のまま残っている。
「南側の登り石垣」
(蔚山城の戦い後の増築により、城壁や虎口が多く防御に徹した構造となっている)
この長い石垣に沿って登城路が続いている。天守台の高さは133mで、かなりの急坂を上って6カ所の虎口を通過しないと天守台に達しない強固な造りとなっている。
「虎口の一つを登る」
(さすがに元気なMさんもウォーキングポールを使っていた)
坂道は登りが大変なようだが、本当に身体に応えるのは下りだ。ひざや足首を痛めないように用心しながら下る必要がある。
「蔚山のコンビナートに向かう船が見える」
(加藤清正が最初に手がけた城で、随所に優れた築城技術が残る)
こんな大規模な山城を築くには、石材を山上に運ぶ労力だけでも大変だ。多くの日本人の従軍労役者や石工のほか、多くの朝鮮人も徴発されただろう。彼らの血と汗によって倭城は築かれた。保存状態が良くて蔚山市の文化財に指定されている。
夜はたまたま一人旅の女性と4人で一緒に焼き肉を食べに行くことになった。この旅を計画してくれた I さんが韓国に関して持っている情報量はとても多岐にわたっていて、この日の焼き肉店までタクシーで30分ほども走ったと思う。その間タクシー運転手とたのしく、ごく普通に会話をしていた。
途中で大きな橋を渡ったが、その橋が釜山港大橋だったのか、南港大橋だったのか、地図で調べても分からない。ともかく自分が釜山について分かったことは、我々が連泊した東横イン釜山が釜山駅のすぐ近くだったということだけだ。
「美味しい焼肉」
(コロナの期間を除いてこの10年余りで韓国には7回ほど来ている)
これまでの経験から、ソウルよりも日本に近い釜山の料理が自分の口に合う。特にこの焼肉は名物店のようで、炭火で肉を焼きながらまわりの丸い溝で卵焼きを作ったり、キムチなどの野菜類を炒めたりできるところだ。
明日の城巡りを楽しみに眠ろうとしたが、日頃から睡眠障害の自分は、旅先ではなおさら眠れない。うとうとしているうちに2日目の朝を迎えてしまった。
※このブログを書くにあたっては、釜山外語大学日本語科の金元教授の解説のほか に、下記の書籍を参考にしています。
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