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檀一雄と九州の離島、能古島と加唐島
最近、書棚整理のため本の読み直しをしている。読んでいない本もあるし、読み直したい本もある。読んだら処分するってことで、まず沢木耕太郎の「檀」を読んだ。「檀」は作家檀一雄の死後、沢木が檀の妻に聞き書きをして書いた。 ![]() (新潮文庫:平成12年8月) 「檀」の中に九州の離島の名が二つ出てくる。檀と九州の離島と言えば、まず、福岡県博多湾に浮かぶ能古島である。檀は晩年この島に家を建て、そこが終の棲家となった。「火宅の人」檀は、放浪の果てに能古島に漂着したのだ。 二つめは佐賀県の加唐島だ。加唐島は朝鮮百済25代王武寧王の生誕地で、百済の古都韓国公州市と唐津市の団体の交流がこの四半世紀続いている。自分はかつて加唐島の学校に勤務した縁で、武寧王にまつわる民間交流に関わっている。 ![]() 檀は1970年から1年余りポルトガルのサンタ・クルスに滞在した。エッセイなどを書き気ままに過ごした。この生き様が、当時の放浪する若者たちヒッピーと重なり、帰国後はテレビなどマスコミに登場するようになった。しかし、そのころ檀は体調不調を感じ、知人の紹介で佐賀県唐津市の断食道場に入る。 <以下引用> 「老ヒッピーとしての檀は、頻繁に対談に引っ張り出されるばかりでなく、テレビに出演させられたり、果てはコマーシャルにまで出ることになった。 それを手掛けられたのは電通に勤める井上靖さんの御次男だったが、佐賀県の呼子の沖合に浮かぶ加唐島という小さな島で、豚を追いかけまわすシーンなどの撮影をした。 どうして加唐島だったのかというと、それは檀が抱きはじめた自分の体に対する不安と密接に結びついていた。」 新潮文庫「檀」P193 「(断食道場は)結局、三十日ほどで出ることになったが、とても体調がよくなったとは言えなかった。同行の石川さんが心配するほどまで痩せてしまった。このまま東京に帰るのは無理ということで、博多の沖合にある能古島でしばらく静養することになった。能古島には石田さんのお姉さまの嫁ぎ先の別荘があり、そこを自由に使ってくれていいというお話があったからだ。檀はその別荘が気に入り、私を呼び寄せ、そこからコマーシャルを撮る加唐島に移動したりした。加唐島には断食道場で知り合いになった方が住んでいたのだ。 新潮文庫「檀」P194 ※石川さん=皆美社(出版社)の社員 ※石田さん=久留米市の医師 檀一雄が加唐島でコマーシャル撮影をした事を知り、我々の民間交流団体の元事務局長で加唐島出身のFさんに電話した。Fさんはそのころ、加唐島郵便局に勤めていて、加唐島の学校の運動場で行なわれた撮影を見たという。 今の加唐島には豚はいないが、かつては養豚をしていた人がいたという。CMに登場する豚は、当時加唐島で飼われていた豚だろう。また、檀一雄の娘、檀ふみは1972年(当時18歳)、「藤純子の後継者」として東映にスカウトされていたが、本格的な芸能活動はしていなかった。檀ふみが加唐島に来島したかは不明だ。 加唐島は過疎化し現在の人口は140名ほどだ。CM撮影は、今から40年前のことだが、檀一雄の名を知る人は少なくても、スタッフも来島したろうし話題になっただろう。何のCMだったのだとか、その他の様子はFさんや島の古老に聞いたら分かるだろう。檀一雄にふさわしいのは酒のような気もするが・・・。 檀は、静養のために過ごした能古島を気に入り、1974年に家を構えた。体調は更に悪化し、能古島に転居した時になってやっと肺ガンと分かった。未完だった『火宅の人』を妻に口述筆記させて最終章を完成させ、これが彼の遺作となった。 檀一雄、1976年1月2日死去、享年63歳。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックして下さい。 ![]() 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/12/28 01:23:21 PM
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