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テーマ:船旅(17)
カテゴリ:アーカイブスシリーズ
南ア共和国のケープタウンに寄港 10年前の3ヶ月半、この船旅のことだけを考えて過ごした。1500人以上のの乗船客とスタッフが一つのコミュニティを作って、衣食住の心配もなく、寄港地でのツアーや船内イベントなどただ楽しみだけを追う日々だった。 この船旅は、なんと幸せな日々だったことか。数団体の役職をこなす多忙な毎日を送っている現在からすると毎日が天国だった。 10年前の1月23日、南アフリカ共和国のケープタウンに寄港した。ともあれ喜望峰を訪ねるツアーに申し込んでいた。バスはケープタウンから南西に約1時間半走り、バスを降りてケーブルカーに乗って高台から喜望峰を見降ろした。 ![]() ケープ半島の突端が喜望峰で「CAPE OF GOOD HOPE」という表示板があった。その下には「THE MOST SOUTH-WESTERN POINT OF THE AFRICAN CONTINENT」とあった。実は喜望峰はアフリカの最南端ではなく最南西端なのだ。真の大陸最南端は、ケープ半島から東に150kmほどのアガラス岬だ。 ![]() 1488年にポルトガル人バーソロミュー・ディアスが喜望峰に到達したが、海が大変荒れていたので「嵐の岬」と名付けた。しかし、インドに向かう航路が香辛料貿易による莫大な富をもたらしたので、ポルトガル王ジョアン2世が「希望の岬」と改めさせたという。 ケープタウンには2日間帰港したが、1日目の夕方デッキに登ったらテーブルマウンテンが白い霧に覆われていた。これを「テーブルクロス現象」と言うようで、滅多に見られない光景だという。とてもラッキーだった。 ![]() 大航海時代の幕開けは、この地から始まった。陸路を通らずにヨーロッパ人がアジアに向かう航路が発見されたのだ。バーソロミュー・ディアスのあとのバスコ・ダ・ガマはインドへ到達した。日本人には教科書に載っている彼の方が有名だ。 この地に立って、500年以上前の冒険者たちの思いを想像してみた。喜望峰の発見はこのあと数百年続くヨーロッパ人によるアジアの植民地化の始まりを意味する。アジア人にとっては苦い歴史の記憶につながる場所でもある。 ↓ランキングに参加しています。下のアイコンをクリックして下さい。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026/01/31 04:02:15 PM
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