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カテゴリ:足好きおやぢのたまり場
さすがに一年で一番気温が低いとされる1月、2月に突入し、めっちゃ寒くなってきました。
私が過ごした1月、2月を人生の時系列で思い出すと、生まれて小学校の5年生まで住んでいた秋田は典型的な日本海気候の冬で、海の向こうの大陸から押し寄せる湿った冷たい空気のせいで雲に覆われた昼間でも暗いどんよりとした1月を思い出します。空も海も鉛色、形容しがたい寒く寂しい冬です。 大陸からの湿った空気は同時に、岩手県側の山脈にぶつかり、手前の秋田県にどか雪と湿った冷たい空気を生みます。自分自身が小さかったこともありますが、幼少期の積雪はけっこう多かったと記憶しています。とにかく冬は雪が積もるもので、雪だるまやカマクラを作っては靴下も手袋もびしょびしょになって家に帰りました。秋田の雪は濡れ雪と呼ばれるものでシャーベット状の霙のようなもの。重く、身体につくと融けて衣類を濡らします。傘やカッパは必需品で「雪=うっとおしいもの」という認識がありました。太陽なんてひと月に数回顔を出せば良い方。洗濯物はぜんぜん乾きません。だから衣類はストーブであぶって湯気が出なくなったら着るもんだと思って育ちました。冬は嫌な季節なのです。 雪かきも大変で触ると氷の塊のように固いブロックになってしまいます。市の除雪車が家の前を通ると家の前に壁を作っていくわけですが、朝、玄関からシャベルで雪を寄せながら道をつけていき、最後に寄せ固められた雪の壁を崩して開通させるまでが子供の仕事。雪が降り続けば毎日の作業です。 そして分厚く育った屋根の雪は、おやぢが定期的に下に落とします。どーんという鈍い音をたてて大量の雪が屋根から降ろされます。ひさしの下には雪の山ができ、隣の家の雪山と我が家の壁が雪で埋まって繋がってしまいます。子供にはこれが屋根に登る階段になるわけで、雪山から屋根つたい登っては庭に飛び降りるという遊びに夢中になりました。今思えばよく怪我も無くあんな危ないことをしていたもんだと思うばかり。それでも普段見ることの出来ない屋根からの景色は子供にとっては宝物で、親の目を盗んでは屋根に登っていました。 濡れ雪はスキーには向きませんが、学校での冬の体育はスキー。でもまだ低学年でしたから学校の校庭を使ったものが主体で一冬に一回か二回だけ、近所のスキー場にバスで出かけてゲレンデを滑るという授業がありました。特にウインタースポーツが華やかなものではありませんでしたので、おやぢのお古の木のスキー板(足は皮のベルトにつま先を突っ込んでもう一本の革ベルトでかかとを留める奴)でなんとかこなしていました。エッジの効かない思い長いスキー板は、スキーってつまらないや・・という思いを子供の私に抱かせました。まぁこの思いは北海道に渡って変わるのですが、秋田では良い思いはまったくなく好んでスキーをしたいとは思いませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.01.10 11:40:31
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