カテゴリ:カテゴリ未分類
僕はたいてい初対面の人に
「落ち着いてる」 「礼儀正しい」 「しっかりしている」 と言われることが多いですっ 本人の自覚としてはそんなことは全くなく、 ただ「相手に失礼のないように」を考えて喋っているだけですッ まぁ、それが落ち着いてるにつながるんでしょーね(笑) そんな個人の性格って、一体いつくらいから形成されるんでしょう? 「自分の性格っていつからこんな感じになったんだっけ?」 って、考えて見ると、理由は見つからないものです(笑) いわゆる自分のルーツ探しってやつですね! ルーツを辿るという作業は、「今」を知る意味、 これからを創る作業に大きな力を与えてくれると思います★ 僕の性格のルーツというと、、、 うーーーーーん、 小学校高学年の頃には、電話の受け口で、 「shijouくんはしっかりしてるねー」 といわれることがあったので、この頃から今の性格の基礎はできていたんでしょー じゃあ、幼稚園にさかのぼってみましょー ……。 あまりにさかのぼりすぎて、記憶がほとんどないです(笑) まず、よく泣かされてたのは覚えていますッ 笑顔でよく喋ったような記憶もありますねー しっかり…は、してないですね、さすがに(笑) ということはポイントは小学校低学年でしょうか。 低学年を思い返してみると。。。 校庭、フェンス、似顔絵、入学式、、、ベロ(飼い犬) とかぐらいしか思い浮かばないっす。。 小学校2年生のときに描いた先生の似顔絵が、 全校集会で表彰されたのが心に残ってますねッ 表彰されたのは後にも先にもこれくらいです(笑) 2年生…3年生…。 この辺も無邪気に遊んでる記憶しかないでっす。 4年生…、、、うん、このときの学年の影響が大きいかもしれないですね。 確か4年生のときの女の先生が、スゴクいい人でした。 今にしても思うと、この先生の授業や教え、 人を尊ぶという考え方が、僕の根っこの部分には生えてるかもしれないですッ このあたりから、自分の考えを持ち始めたかもしれないです。 本も「冒険者たち」「ガンバとカワウソの冒険」などの分厚い物語をちょっとずつちょっとずつ読んだ記憶がありますッ 小学校低学年のときは、学校から帰ってきて、 暇な時間などがあると、タンスの上に置いてある童話や図鑑などをひっぱり出してきて、空想しながら眺めてたような気がしますッ そういえば、なぜか漢字がよく読めたほうでしたッ うちの父親が面白がって「shijou、この漢字は分かるか?」 なんて、新聞に書かれている漢字を僕に読ませていたもんです(>_<) うん、考えてみると本っていうのは僕に大きな影響を与えてますねー 今でもファンタジーや探偵小説などの空想の世界に憧れるのは、 小さな頃にたくさん読んだ童話の影響が強いと思います^^ お、文章を書いているうちにだんだんと昔のことを思い出してきた(笑) 僕は反抗期のときもそうでしたが、両親に口答えした記憶がほとんどありませんッ それはなぜか!? 多分、幼稚園のときの思い出が心に残ってるからでしょう。 きっかけは忘れました。 僕が何か「いけないこと」をしたため、 母親が怒り僕のほほをぶちました。 僕は一所懸命反論しましたが、 幼い僕の言動には説得力がありません。 もちろん全て母親にいいくるめられますッ それから母親に言いごたえをすることは、 ほとんどなくなったと思います。 心の中には、 『どうせ反論しても、いいくるめられてしまう』 という気持ちもあったし、『きっといいくるめられてしまうということは、母親の言っていることが正しいんだ』と思うようになったのかもしれませんねー 今でこそそうなのですが、 僕は自分が『これは絶対正しい!』と言い切れるものがありませんッ それはそういう過去の思い出からきてるのかもしれません。 それに、人それぞれ考えっていうものは違うし、 自分と違う意見を持っていたとしても、 その人自身からしてみれば、自分の考えこそが『真』になるからです。 僕がその人になってしまえば、その人の考えてることが正しいんです。 本当は人の考えに、正しいとか間違ってるとかはないとは思うんですけどね。 長々と書いてしまっていますが、 今書いていることこそが、『落ち着いている』と思われる 一つの要素かもしれないですねッ 熟考するというやつですッ 結局、自分がなぜ『落ち着いてる』のか、 根本的な理由は分からないですが、 今、『自分のことを考える』っていうことは、たまには必要そうですねッー でゅわ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 22, 2003 12:36:38 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|