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式根島倶楽部

式根島江戸時代1

 平安時代から一気にエドジダイですか、と突っ込まれても仕方ないんです。だって記録がないんですから。というわけで、一気にエドジダイです。

 神津の噴火以来、水もあまり出ない式根島はしばらく無人島でございました。

 新島には人が住み始め、新島は塩を年貢として幕府に献上しておりました。


 ところがこの塩、ただ海から取ってくるというわけにはいかなかったのですね。塩を作るには海水を煮詰めないといけないわけです。
 つまり、大漁の薪が必要になるわけで、いわゆる塩山が必要不可欠になるのです。一年に約2000俵の塩を上納せにゃならなかったと言われており、塩釜付近の木々はかなりのスピードで切り倒されたそうなのです。今で言う自然環境破壊もいいところで、新島の木は切り倒され、とうとう式根島(当時無人島)の木を伐採しに人々は乗り込んできたわけです。

 その結果、現在の式根島には巨木と呼ばれる木がほとんど無いという状態になってしまいました。(管理人が知る限りで現在の式根島で一番大きいのは漁協の上の木と、お寺さんの木くらい。それでもレベルとしては「巨木」とよぶ大きさではない)

 新島の山も半世紀足らずで効率が悪くなり、とうとう人々は式根島に移住を始めます。これが式根島釜下での製塩のはじまりでした。


 このときの、塩釜職人たちを塩竈36人衆(釜家36人衆・釜衆36人などの異称有)と呼んで、いまだに島では大事にしております。

 なお、この頃までは新島と式根島が「さじま街道」と呼ばれる陸続きであたと伝える文書も有り、ここを人々は往復した様子です。


 三六人衆の中には式根島の伝説として語り継がれている船頭新八の物語がある。

 


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