式根島の伝説 2
宇喜多中納言秀家が、八丈島に島流しにされたときに、式根島の泊で風待ちをしたと伝えられています。当時の泊湾は今より深くて、大きな船をつけることができたそうなのです。
さて、このとき宇喜多秀家は何かあったときには再び天下を自分のものにするために、大変なお金と宝物、いろいろな資料を持ち込んでいたと伝えられます。
ところが、秀家は式根島で病気にかかり、式根で死んでしまったのでした。
二人の従者が殉死して、3人の墓は秀家を先頭に(秀家の出身地の奈良の若草の方向を示している)三角形になるように建てられているという。
この墓、誰でも一度は発見できるのだそうですが、人を呼ぶために一度戻って出直してきても、二度と同じ場所にたどり着くことはできないと言われています。
墓は石垣が積んである状態で、その中に大きな石があり、その下に等身大の大きな純金の仏像や軍資金が埋まっているそうな。
彼らの墓は唐人ズシロのあたりにあるといいます。
・・・探してみますか? 埋蔵金・・・