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カテゴリ:松本零士作品
人間が武器を武器として使いはじめて以来、
その鉄に対する焼き入れの技術的優劣が、 時として勝敗を決定づけ国の運命をも 左右して来た… 焼きを入れすぎ中心まで硬化した鉄は硬いが、 限度を超えた力には砕ける性質をもっている。 ケースハード…表面焼き入れ… 表面を硬く、内部には弾力性を残して完成させる 技術… 折れず曲がらず、砕けないために… 人が血で学んだ鉄の処理法… それは人自身にも当てはまる事だ。 これは松本零士氏の作品である第二次世界大戦を 舞台とした数々の短編である戦場まんがシリーズの 中にあるケースハードというものの第1話に 描かれた一節です。どの物語も生きるということの 尊さと生命のはかなさを謳った物語でありますが、 その中に語られている人としての苛烈な生き方には 憧れさえ覚えてしまいます。 そしてこのケースハードの一節はその当時の武器を 製作するに当たっての技術的な部分を取り上げた ものでありますが、最後にもあるようにその ケースハードの技術は人にも当てはまるものだと 思います。 最近は教育のマニュアル化が進んでおり、こういった 場面ではどう対処するとかいうケースごとの対応の 仕方というものが誰にもみな共通に対応できるように 教育されていますが、思わぬ事態に遭遇したときは そんなマニュアルなんてものは役に立たず、ちょっと したミスが命取りになってしまうということが現実の 社会では起こりえます。さすがに命までは取られる ことはありませんが、それでもあらゆることを想定 していようが、想定外の出来事というものは存在 するわけで、そんな場面に遭遇したときにいかに 対処できるか、それ次第でその人の真価が問われる ものと思いますが、現在のマニュアル教育では そういった想定外の出来事に対処する処方というものは 存在しません。 対応の画一化というものはある場面では大事なもので あると思いますが、それだけではやっていけないのが 人間社会というものであり、10人いれば10通りの 対処の仕方があるというのが自然なことです。 10人いても1通りの対応しかできないということは 所詮限界を自分で決めてしまうものであり、その限度内の ことには対処しきれますが、それ以上のものにはどう 対処すべきか判断できないといういわば枠を作って しまう教育というものはあまり感心ができないものと 思います。 枠を作るのではなく、最低限のラインを引くことによって 後は個人の資質によって柔軟に対処する、これこそが 本当の教育であり、その人が自分で痛みを伴いながらも 学んでいく砕けなることのない教育法ではないかと この一節を読んでふと思いました。 ザ・コクピット(9) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.20 23:03:23
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