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灰色の空のむこうには…

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2007.02.26
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カテゴリ:ひとり言…
今日ひさしぶりに本屋に行きますと、僕が尊敬
する歴史上の人物である吉田松陰の本があった
のですぐさま購入いたしました。一時期はよく
吉田松陰にまつわる本がよく発売されていたので
読むものには困らなかったのですが、最近では
とんとご無沙汰になってましたのでちょっと
うれしくなりじっくり読もうかと思うのですが、
その本はよくある伝記物ではなく、松陰語録と
いう感のある本なので、暇を見つけては松陰の
考え方に触れることのできるお手軽なものなので
少しずつ読んでいこうと思います。

そもそも僕が吉田松陰に出会ったのはまだ学生の頃、
もともと僕は幕末の歴史が好きだったのでそれらの
本をよく読んでいたのですが、幕末の剣豪などを
紹介している本の中に吉田松陰の記事がたまたま
掲載されており、それを読みすぐさまとりこに
なってしまいました。吉田松陰というと戦前では
国粋主義の走りとして作られた偶像で語られたためか、
戦後ではその人となりを紹介されることもほとんど
なく、歴史の授業でも松下村塾で弟子たちを教えた
とか、他の長州藩の偉人たちの伝記にもあっさりと
語られるのみなので全然どんな人物か知らなかった
のですが、刀は持たないですがまさしく剣豪のように
苛烈な生き方をした人です。

僕が知っている中で、吉田松陰の実像に迫った作品と
いうのが司馬遼太郎氏の「世に棲む日日」が一番
有名なものではないでしょうか。この作品の中では
吉田松陰とその高弟である高杉晋作の2人の人物に
ついて描かれています。高杉晋作はあまりにも有名
なのでご存知の方も多いと思いますが、それに対して
吉田松陰はあまり知れ渡ってないというのは何だか
残念な気がしてなりません。これほど人を愛し、誠実
に生きた人物はいないと思います。

吉田松陰は1830年に萩藩士杉百合之助の次男として
生まれ、5歳のとき叔父で山鹿流兵学師範の吉田大助の
養子となり、10歳で藩主毛利敬親の御前で山鹿流兵学
を講じたそうです。藩主敬親に気に入られ、その後は
藩校明倫館の兵学教授として出仕し、21歳のときには
長崎平戸、翌年には藩主の参勤交代に従って江戸へ遊学
したというエリートな人物です。ここまでは順風満帆な
人生を送っていたのですが、江戸へ遊学し佐久間象山の
弟子として蘭学を学んでいるときに彼の人生を一変させる
事件が起こります。それが太平の眠りを覚ます黒船来航。
黒船の来航により日本の未来に危機感を覚えた松陰は
下田事件というとんでもない事件を起こし、江戸伝馬町
にある獄に収監されることになります。

その下田事件とは、蘭学などではなく時代の先端をいく
活きた学問を学ぼうとペリー艦隊に密航を企てたこと
です。当時の文化としては鎖国が当たり前の世の中に
考えられないことを已むに已まれぬ大和魂から企て、
ペルーの拒否により失敗、自分から自首して牢獄送り
となったのですが、まだ24歳の若者が密航は死罪と覚悟
しながらもそのようなことを行ったのは僕らでは考え
られない情熱を持った人物だったと思います。結果は
失敗だったのですが、ペリーもその自伝にこの松陰の
密航のことに触れ、彼のような日本人がいる限り日本の
未来は明るいものだというようなことが書かれている
ことからも、その行動力はすさまじいものだったと
思います。

その後、ペリーの口添えもあり極刑を免れた松陰は
在宅蟄居の判決を受けながらも、幕府の意向を恐れた
藩は萩にある野山獄に収監します。ここからが吉田
松陰の本領が発揮された時期であり、彼は牢獄に
いながらも同じ囚人同士で自分の得意なものを教え
合う朗読会を行い、今まで暗いものでしかなかった
牢獄の雰囲気を一変させたのです。後に出獄した松陰
はその流れから、在宅蟄居でありながらも叔父の
玉木文之進の松下村塾を継ぎ、門弟たちを育てると
いう歴史上有名な時期となったのですが、幕府の
外国との手ぬるい交渉に老中間部詮勝などの暗殺を
画策したかどで再び野山獄に収監、安政の大獄に
より伝馬町獄に送られ、1859年10月27日に
斬首刑に処されたのでした。

さくっと吉田松陰の一生を語りましたが、その魅力は
僕なんかでは語りきれないくらいです。ぜひとも
ご興味のある方はご自分の目でその一生を読んで
いただきたいのですが、こうして吉田松陰の新しい
本を読むたびに違った角度からまた魅力を発見できる
という人物も珍しいものです。今にして改めて思う
のですが、あまりに有名で松下村塾の先生をして
いたという吉田松陰像といえば面長に描かれている
肖像画からもかなり年配の人物であるイメージが
ありますが、実際は29歳の若さで斬首されたの
でした。僕がこのことを知ったのはまだ20歳になるか
ならないかのときだったので、それでもすさまじい
生き方だなと感じたのですが、今はもう今年で30歳
になるという松陰の年齢を越すかというところまで
来ています。果たして、僕は今吉田松陰のように
何かことを為すことが出来たのかと聞かれると、
人に誇れるようなことはしていないのではないかと
恥ずかしくなってしまうことしきりです。思うことは
出来ても実行していなかったら意味はなく、それを
行動したために短い人生に終わろうがその人生には
意味があったものと思います。僕も何か意味のある
人生というのを送りたいものだと、この吉田松陰の
本を見て思いました。いまだにこうして人々に力を
与えてくれる吉田松陰という人物はやはり先生と
呼ばれるにふさわしい人物であったと思います。





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Last updated  2007.03.01 16:28:40
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