2007/11/18(日)23:10
袋小路の迷宮…
僕は英単語の文法で「蓼食う虫も好き好き」と
いう言葉を覚えたのですが、まさにこの世の中
には物好きな人もいるもので、こんな僕に色々と
相談を持ちかける人がいます。いや、そう言うと
相談してくれた人に失礼かもしれませんが、僕
ってそんなに人に偉そうに言えるような人間じゃ
ないので、他の人のほうがもっといいアドバイス
が出来るんじゃないかなと常々思っているのです
が、相談された以上は全身全霊真剣に答えようと
しているのですが…。
僕の持論として、相談してくる人の結論という
のは話す前から決まっているものと思っています。
まぁ、そうしないと話の方向性が見えないもの
ですから、それがないことには相談にはならない
ものだと思いますし、もし結論が見えてない人には
どうしたいのかを聞き出してあげてその方向に話
を持っていくようにするのが相談なのじゃないかな
と。ほとんどの人がこうしたいという結論を持って
いて、その決断に至るのに自分では決めかねない
というときに背中をそっと押し出して欲しいから
こそ相談するわけで、よっぽどのことがない限り
その人の決断を後押しするようにしています。ただ、
たまにそのよっぽどのことがあったりするから
世の中面白いものだと思うのですが、なかなかそう
いうときにはひとつの方向の可能性を示すだけしか
出来ないというのがもどかしくなったりします。
この1週間ちょっとの間に2件ほど大事な相談を
受けていたのですが、これが1件は僕が答えるまで
もなく本人の中でその問題は消化されていたので
後押しするだけで良かったですし、僕もそれが出来る
と信用できる人だったのでそんなに悩まなかったの
ですが、もう1件のほうが厄介な問題。しかも僕に
相談してきた当人の問題ではなく、そのお友達の
話で聞いていると僕には考えられないような事態が
起こった明らかにおかしい問題。僕が直接そのお友達
と面識が合ったらまた話は違ったのですが、その
人のことをまったく知らないままにこういうことが
あったという先入観の脚色が入ったことを聞いて
答えるということをしていた上に、そのお友達が
出そうという結論が外野側からすると納得いかない
決断だったものだからこれがもう大変。どうその
考えを改めてもらおうかと悩んだりしたのですが、
ぶっちゃけた話をすると当人が気付かないといけない
ものだと思うし、人の感情というのは思い込んだら
一直線で他人の意見に左右されるものではないと地味
に思っているので、ある程度どういう答えを出すに
しろ追い込みをかけた以上は自分で答えを出して
もらわないといけないのが難しいところです。そこ
に至るまでの可能性はいくらでも言うのですが、
それでどういう結論を出したのやら。一応、言う
べきことはすべて言ったらしいので後はお友達が
どう決断するかだけの話なのですが、お悩み相談
にもいろいろなバージョンがあるのは、当人が出す
答えはひとつにしろ相談された人間からするといくら
親身になろうが他人事だけに外野の思う過程がいろいろ
とあるからそこに意見の相違があったときは伝えたい
ことは山ほどあっても上手く言葉に出来ないので難しい
ものですねぇ。