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テーマ:大河ドラマ『龍馬伝』(491)
カテゴリ:テレビの話
これまで散々引っ張った割には意外と同盟のこと以外に
時間を割いた上に、改めて今後の展開の伏線となる人間 関係にやけに時間をかけたのは、かなり違和感を感じて しまいました。 ここに来て、弥太郎が登場する意味がよくわからない。 まぁ、シリアス一辺倒なだけでは間が持たないという のもわからないでもないですが、完全にいらないシーン のような。 みんなの予想に反して次々と口が軽く何でもしゃべる 弥太郎には笑わせてもらいましたが、それによってこの 薩摩と長州の間に立っている土佐の脱藩浪士の存在を 京都守護職以下、新選組に至るまで知ることになると いう展開はあまりに当時の監察を甘く見過ぎているような 気がしてなりません。 だいたいにして弥太郎を怪しいと拷問で取り調べていた にも関わらず、そこの部分だけは裏付けを取らずあっさり と信じるなんてご都合主義の展開なんてアリなんですか? 寺田屋での龍馬のモテモテ具合はさておき、立会いと して京都に来た龍馬なのに、薩摩藩邸は危ないと伏見 の寺田屋まで行くなんて、どこまで位置的な距離感を 無視したものだか。 電車でも20分近くかかる距離を安全だからというだけ でそこまで徒歩で移動するって、いくら何でも不思議な ものです。 まぁ、この同盟以後のことを考えれば寺田屋がかなり 重要なポジションになってくるので、今回の話がなく いきなり寺田屋が舞台になれば唐突感のある展開には 付いていけないとは思うんですけど。 それにしてもこの同盟締結で坂本龍馬が立会人として 占めた大きさというのは、無視できないものだと思い ます。 桂さんも西郷さんとの会談で、立会人がいないと行え ないということこそ、藩と藩の密約にどこの藩にも所属 しない自由な立場で物を言える人間こそが必要であると 言うのは、追い詰められていて後がない長州藩の立場と いうだけでなく、もう侍という存在の空洞化を察知して いたものだと思います。 これまでは侍という身分とその意義が、何よりの証左と なったために当人同士でのやり取りはこの上のない信用 のおけるものだったのですが、藩の命運を一身に背負う この段階では藁にもすがるというのではないですが、 お互いがこの密約を果たすために第三者的存在が必要に なるというこの滑稽さこそ、侍の時代が終わりを告げた はじまりだったのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.27 19:21:05
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