Fwd: 菅野(すげのせいじ)さん、福島県二本松市(旧東和町)より
オーガニックMLより転載。ーーー福島県旧東和町(現在二本松市)で有機農業を行う傍ら、地域再生のためにNPOの理事をしている菅野正寿(すげのせいじ)さんからのメッセージ(ファイルとテキストの両方)を転送します。菅野さんは「福島県有機農業ネットワーク」代表でもあります。3月5-6日には福島県集会を、相馬市松川浦の干潟に面するホテルで行いました。ホテルは10mを優に越える津波に襲われました。我々が集会を終えて解散してから、わずか5日後でした。転送歓迎します。____________________<転送ここから>>> 今日、飯館村に行ってきました。co-opふくしまの産直を一緒に取り組んできた友人の高橋日出夫さんです。ブロッコリーとトルコキキョウと米の経営です。「今百姓を続けるか、苦しんでいる。後継者の息子もいて借金もかえして、やっと軌道に乗ってきたところだった」と。「早く正しい情報を出してほしい」とも。> 椏久里でコーヒーを飲んできました。石沢みゆきさんは「みんな不安に脅え、家の中に閉じこもっている状態でした。今までがんばってきたことが崩れる思いで死にたいくらいになりました。」「相馬、原町、小高などのコーヒーのお客さん、お得意さんで亡くなった人たくさんです。でも応援の注文も30件も40件もきて 、だから、4日前から店を再開しました」と。>> 原発から40キロの飯館の苦悩はほんとにたいへんです。>> 4月2日 菅野正寿>>>><メッセージ(テキスト)>桑の里・ゆうきの里のふるさとが原発の放射能に汚染された!?福島第一原発50kmからの報告? 農民の不安と怒りと苦悩2010年 4月1日NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会 理事 菅野正寿 <農業経営> 水田2・4ha 桑の実畑10a野菜1・5ha(雨よけハウス14a) 農産加工(切り餅、味おこわ、弁当)<「沈黙の春」に>ここは福島県の阿武隈山系の西側に位置する二本松市東和地区(旧東和町)。西に安達太良連峰を望み、木幡山、羽山の伏流水が阿武隈川にそそぐ里山の恵みが連綿と生きづいてきた。春の山菜、夏の野菜、秋のきのこにいも、雑穀。冬の漬物、味噌に納豆、餅の文化を生業としてくらしにいかしてきた。ふきのとうが芽をだし、梅の花がほころび、うぐいすが春を告げる。いつもなら土を耕すトラクターの音が響き、春休みの子どもたちの歓声が野山にこだまするはずなのに、まるで「沈黙の春」だ。3月11日の東北関東大震災が東北地方に悪夢と沈黙の春を呼び込むことを誰が予想したろう。この地域は岩代の国と言われるだけあって、地震の被害は土蔵の壁が落ちたり、瓦の一部が崩れたり、墓石が倒れるで人的な被害はなかった。テレビ映像からの太平洋岸を襲った大津波、いや巨大津波にはただ目を疑い、その惨劇に驚嘆するばかりだ。家も農地も工場も流失する様に言葉もでない。<被災者支援とボランテアの輪>12日の東京電力福島第一原発1号機の爆発に続き、14日には3号機も爆発。15日には二本松市として原発から20km圏内、30km圏内の浪江町から被災者を受け入れた。ここ東和地区も約1,500人の方を住民センター(公民館)、体育館など10か所が避難所となった。3月中旬とはいえ、夜は氷点下となりことのほか寒い。さっそくNPOの役員会を開き、被災者支援を協議してその夜には暖房器具8台を提供した。次の日、昨年から就農した長女の瑞穂は自宅近くの太田住民センターにかけつけ、避難されてきた方の声を聞いてきて、ジャンパーやセーター、テッシュなど家族に協力を求め運びこんだ。さらに私の妻は保存しておいた大根を輪切りにして、おでん風味に煮込んで大きなバケツに3つ提供した。しかしガソリン、物資などが滞って思うようには行動できない状況になっていく。NPOで運営する「道の駅ふくしま東和」でも職員パートの不安のなかでも通常の時間を短縮し9時から午後3時まで営業を続ける。そして被災された方のためにも、おにぎり、惣菜など休まず販売をした。我が家でも味おこわを毎日つくって道の駅に運んだ。赤十字奉仕団、婦人会、いなほ陸友会、区長さん、農民連などそれぞれの避難所にボランテアの輪が広がった。<目に見えない恐怖、原発事故の危機>原発事故の放射能はふくしまの空のほんとうの空まで、そして恵みの大地まで汚染してしまった。17日には、コープふくしま、そしてイト?ヨ?カド?福島店から、東和げんき野菜の出荷自粛の連絡。これまで地域資源循環のげんき堆肥を主体にした独自基準でつくりあげてきたげんき野菜。21日にはほうれん草や小松菜などの露地野菜を中心に出荷停止の指示。さらに23日には摂取制限の指示。二本松市の隣の本宮市のくきたち菜からは暫定規制値の7・5倍の放射性ヨウ素、164倍の放射性セシウムが検出され、私はこの数値に驚きと同時に恐怖さえ感じた。福島県の野菜はことごとく汚染されてしまったのかと。<安全ではある数値だが安心ではない、ヒュウマンな瞳で>23日の夜に「放射線と健康」と題した、医療生協わたり病院の斎藤紀(おさむ)医師の講演を聞くことができた。先生は広島大学で長年、原爆放射能の研究をされた。現在の線量レベル(マイクロシーベルト)と退避行動(帽子、マスクなど)のもとでは深刻な健康への影響は低い。しかも10マイクロシーベルト被ばくした場合でもガンの発症率は0・00047%増加するだけであること。しかし、妊婦と子どもたちはもっとも守られるべき存在であり、「安全ではあるが安心できるものではない」科学的な数値より、親の愛情を尊ぶことが大切と。斎藤先生の原爆を研究された科学的な目とどんな状況でも人間を愛するヒューマンな瞳に心が安心した。<耕す春に耕さず>その安心した心も束の間、25日には地区の農事組合長を通して「農家の皆様へ」が配布された。1、「原子力損害賠償に関する法律」により出荷できなかった作物の記録の作成。2、放射性物質の拡散を防ぐため、耕転作業、作付を遅らせる。田植えは5月中旬以降に。つまり国、県が土壌の放射性濃度を分析するまで(4月中旬以降)耕さず、種をまかずというもの。耕す春に耕さずというのは、あの戦時中でもなかったことと古老は言う。そして須賀川市では有機農業30年の野菜農家の方(64歳)が摂取制限指示の次の日自殺をした。<生命としての土、滅びない土>私も農業をはじめて30年めの春だ。ふくしま東和有機農業研究会会長であり、安達地方農民連東和支部長である佐藤佐市さん、NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会の理事長の大野達弘さん。かつての青年団の2人の先輩の「百姓が百姓として人間らしく生きる」ため、この中山間地域で有機農業による産直にいきる活路を求めて、生協、首都圏の消費者、学校給食の取り組みに共に頑張ってきた。農業体験と新規就農者の支援に力を注いできた。有機農業による地域づくりの理想郷である、山形県高畠町を道しるべとして頑張ってきた。そのたかはたの私の恩師である星寛治さんは「土の内なる生命をゆたかにすべく、骨身をくだき、汗を流し、その培われた遺産としての滅びない土」そのためにより良い堆肥を求め、施し、耕し、豊かな微生物の棲みかとして持続可能な生命産業としての農業の仕事。その人間生存の根源である土が原発による放射能で瞬く間に汚染されていく、見えない恐怖におののいている。<赤とんぼ舞うふるさとを>10年前からは、荒れた桑畑に輝きをとりもどすべく、お蚕さんの桑の葉から血糖値の上昇を抑え、生薬としての健康産業の桑の再生にとりくんできた。「山の畑の桑の実を小かごに摘んだはまぼろしか」と唄われた、赤とんぼと桑畑と棚田のふるさとをすすめてきた。今年、黄金色の稲穂に赤とんぼが舞うのだろうか。この桑の里もゆうきの里も原発事故による放射能で汚染されてしまった。悔しさと怒りと不安に苦悩する。、専門家の英知を総結集しこれ以上拡散せずに終息してほしい。そして責任と「心ある情報」を届け、土壌汚染が最小の濃度に収まってほしいと願うばかりである。原発の安全神話は崩れた。有機農業生産者は、農民は命の大地を守るため、声をあげなければならない。戦後、都市生活者のため労働力も食糧もそして電力も提供し、支えてきた東北の農民の声なき声を受け止めなければならない。消費文明と人間のエゴの帰結が今回の事故をうみ出したならば、エネルギー政策の抜本的転換、つまり持続可能な自然エネルギーへの転換が求められる。そしてわたしたちは力をあわせて、希望の種を蒔かなければならない。待つ星寛治むらに居つく足元を掘る土の重さをたしかめる流民の列をはなれ定点に根をはり静かに呼吸をととのえ待つことのなかにほんとうの春を照射するたしかな手應えを覚えるはるか受難の道さえ肩を支えてあるいたやさしい不屈の火をふたたびわが内ふところにもやしたかはたの土を耕す ※詩集「滅びない土」より