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CHINA*Lian Nan*

ボランティア活動

CAS Trip to Lian Nan

10月21日~25日



「忘れ去られた人間性」




 中国へボランティア活動に行ったのは今回が初めてだった。異国の人の住んでいる所へ行って、人々の暮らしを、心を直接感じ、学ぶことはすばらしい事であるという事を知った。私たちのように何不自由なく発展した街で暮らしている人、発展途上の国で食物などの不足や病気で苦しみながら暮らしている人、十分な教育がないけれど一生懸命に暮らしている人など、世界には様々な環境でくらしている人がいる。果たして、発展した街で贅沢に暮らしている人が一番幸せなのであろうか?私は今回のボランティア活動を終えてそんな疑問を抱いた。





ボランティア活動は中国の連南へ5日間に及ぶ結構長い旅だった。バスで移動した為行き・帰りは生徒全員疲れきっている様子だったが、連南についた次の日から3日間、私たちは小学校でボランティア活動をした。その他にも一日ひとつの異なった活動をした。まず、小学校での体験について説明したいと思う。





小学校でのボランティアをするのにあたって私の一番の不安は言葉の問題だった。私は中国語を習い始めてからまだ日が浅いために十分に会話をする語学力をもっていなかったからだ。私たちは3つのグループに分かれて活動をする事になっていて、私のグループは手芸の担当であった。幸いにもこれは私の得意な分野なので少しは気が楽だった。私たちが小学校に着くと、大勢の生徒が校庭で元気よく遊んでいて、その元気ぶりには圧倒された。この旅の中で3校訪れたが、全ての学校が同じような感じだった。外からの印象は思っていたよりも校舎も校庭も広々していて、よい環境を持っているのだと感心した。友達の中には「なんだ、私たちの学校より良いじゃん。」と言っていた人もいた。全くその通りに思えた。多くの山に囲まれた盆地で、冷え冷えと空気は透き通っていてすごく気持ちのよい所だった。始めに校長室でちょっとした開会式とあいさつをすまし、早速それぞれ担当のクラスに移る。学校内は外からの印象とは違って古汚く、教室には古おびてしまった黒板と、木で作られた机と椅子、そして教卓があるだけで寂しい感じがした。校庭で遊ぶ子供たちの為に教室内の空気は埃っぽく、電気があまりないため薄暗かった。教室の窓からはたくさんの生徒たちが珍しそうに覗き込んでいた。皆の寒さのために赤くなった頬が子供の頃の思い出を蘇らせた。また、教室内にはかならず国歌が張られていて、中国の愛国主義が表されているようだった。





一クラス約三十人の生徒がいて活動の時間制限は45分間。その後はクラスをロテーションする事になっていた。私のグループ、4人はそれぞれ各4人の生徒を受け持って鶴と紙飛行機の折り方を教えた。初日はさすがに戸惑う事もあったけれど、経験を積むごとに、言葉の壁を乗り越えて子供たちと楽しむ事ができた。私は片言の中国語で子供たちと会話を試みていた。おそらく時々私が何を言っているのかわからなかったと思うけれど、真剣に聞いてくれる姿に感動した。私が日本人であることを知ると、日本人に会うのが初めてだったらしく、好奇心大生に日本について色々聞いてきてくれた。中には日本の「桜」を歌える子供もいたから驚きだった。どこに住んでいる子供も皆同じなのだ。何をするにも友達を助け合いながら、一生懸命に楽しんでいた。私たちの活動の中でも紙飛行機大会は大成功であった。校庭で生徒皆が笑顔ではしゃぐ姿をみてとても嬉しかった。ボランティア活動は何かを教える事だけではなく、お互いの心を分かち合う事が大切だという事を改めて学ぶことができた。笑顔で相手に接しれば必ず笑顔が返ってくる。優しく接しれば相手も優しさをくれる。そういったボール投げのような人間関係が大切だと思った。





次に、その他のボランティア活動についてだけれど、3日間それぞれ違った活動をした。初日は学校の畑の掃除をした。皆で雨にぬれながらも雑草取りをしたり畑を耕したりした。私が雑草取りをしている時、その学校の校長先生が隣にいたため、向こうの方から話しかけてくれた。私は何とか会話を理解して返事を返していたのだけれど話の途中でやはり私が日本人であることを教えなければいかなかった。単語がわからないのばかりで会話にならなかったからだ。先生はどうも変わった北京語を話す子だなぁと始めは思っていたらしい。校長先生とは私が中国についてどう思うか、また彼が日本についてどう思うかなどを話した。活動の中日本人一人で参加するのは偉いけどせっかくだからもっと北京語を習う機会を得た方が良いというアドバイスももらった。これからもがんばろうという意欲を得た。あいにくの悪天候のために活動は中止されてしまったけれど、良い経験をした。雨にぬれて泥だらけになるというのは香港に移ってからすることのできない経験でとても懐かしく、嬉しかった。都会にいるとこういう経験もすることができないというとも実感した。次の日は学校からある場所へ道作りをする事になった。山済みにされた砂利を私たち全員協力して平らにし、溜まった砂利を前方から後方へと回し渡しをしながら必死で道を作り上げた。泥だらけでとっても歩ける状況ではなかったところでなんとかトラックの通ることができる道を作る事ができた。こんなにも大きなことをするのは皆で力を合わせたからであった。最終日は現地の中学校を訪れてバスケットとサッカーの試合をした。選手以外は応援に励んだ。中学校の校庭はとても広く、生徒皆とても楽しめたようだった。





活動のほかで印象的だったのは昼食の時間だった。初日は学校で給食を分けてもらった。ご飯はかたく、おかずは煮た野菜一品。各自はしとお椀を抱えて食べた。校庭などで昼食をしている子供を見て思ったけれど、これだけで皆栄養バランスが保たれているのだろうか。その後には農家を訪れて御馳走になった。特に芋は取れたて、ゆでたてでとても美味しかった。二日目もまた生徒の家を訪れた。7人の大家族の家で、近所の人が訪れたり、鶏と雛が訪れたりしてにぎやかに食事をした。家もテーブルも椅子も全てが手作りだけれどしっかりしていた。かまどや薪を上手く使って料理をする姿にもとても感心。電気は電球の玉一つでテレビが一台置いてあった。ほかの電子機器は無いようすだった。家は広く作られていて、ある家にはベッドやハンモックがあった。食事の後は片付けの手伝いもしたのだけれど、お勝手は豚小屋と隣あわせで、狭い。食器はためおきしてある川からの水と洗濯用の洗剤で洗っていてほかの洗剤は無いようだった。これでは体に害を与えてしまうのではないかと心配になった。農家への道は狭く、そこらじゅうに鶏と雛の行列がいた。豚小屋や畑、田んぼに囲まれた家で、近くにはキレイな川が必ずあった。また、最終日に訪れた小学校へは1時間くらい歩いて行ったのだけれど、途中の道にはテーブルに牛や豚の生肉が置いてあったり、魚がおいてあったりした。近所に住んでいる人が皆で分け合っているようだった。紐一本で魚をつるして持ち帰る主婦の姿もあった。





最後に、一番印象的だった事は最終日に行った学校から帰るときだった。活動の最後には生徒全員にペンを配ってあいさつをして終わるのだけれど、ペンをもらって嬉しそうにはしゃいでいる子供たちがとてもけなげに思えた。物を大切にする思いが伝わってきた。私たちはペンをいくらでも買うことができるけれど彼らは違うのだ。そして、私たちが帰るときはちょうど生徒たちの下校時間で、私がバスまで少し歩かなければいけなかったのだけれど、一人の女の子がずっと私の隣について歩いていた。その女の子は私が鶴の折り方を教えてあげた子だった。私は片言の北京語で「今日は楽しかった?」などと聞いたりしていたら、そのこに「また絶対来てね。ありがとう。」「また来てくれるでしょ?」と言われた。きっともう一度その子の学校にいく機会はないと思うのですごく切なかった。歩いている途中、私が最後に歩いていたので友達に早くバスに向かうように言われ、その子に「早く行かなきゃ。またね。」と言って走り出したらその子も黙って走って着いてきた。その子を見て私は走るのをやめて一緒に最後まで歩くことにした。笑顔で隣についてくるその子がかわいくて、けなげでとても感動した。いつか、今回出会った子供たちの為にもっと何か手助けをすることができたら…と思った。





今回のボランティア活動は本当の人間性を教えてくれた。連南に住む人々は住まいから食物まで生きるために必要なものを自分たちの力で作って一生懸命に生きている。今、都会に住む私たちは子供の頃からお金、時間、そしてハイテクノロジーによって本来の人間性を失い、人や自分の人生を大切にすることを忘れてしまっていると思う。住む事になに不自由しない私たちにないものを連南の人たちはもっているのだ。人間は皆自分たちの力でこの世界を築いてきた。もし地球上に人間が一人しかいなかったら今の世界はなかった。それと同じように私たちがこうして生きていられるのも、皆で協力して苦しいことを乗り越え、色々なものを役割分担して築いてきたからなのだ。私たちが農業などをせずにいるのも、誰かが変わりに築いてくれているからであって本来は自分で自給自足しなければならなかったのだ。人を思いやる心、一致団結する心、人に感謝する心、そして本来皆がもっている幸せな人生を生きる尊さなど、私たちの人生で最も大切なものを思い出させてくれた。人は何かを失う事で何かを得る。都会に住む私たちは何を失ってしまったのか、そして何を得たのか、深く考えなければいけないと思う。私たちの中では向こうの環境の悪さなどに文句を言う人もいたけれど、環境の汚さだけにとらわれて、彼らのもっている幸せを見つけることができなかったのだと思う。こういう機会を大切に、私たちにはない生活に触れることから忘れてしまっていた人間性を取り戻すことが大切だと思う。





私たちの人生はまだ長い。自分で決めたことと、それに伴う責任。人生を引き受けることの、大変さ。はてしなく遠くまで続くように見える長い道の、ほんの途中。私一人だけがそれを背負っているわけではない。皆いくつになっても、道は遥か先まで延びていて、歩いてきた道もまた、背後にずっと続いている。別れた人や、場所や、ものたちを残してきた、道。でも、それらと出会ったことは、確実に自分の中に生きている。出会いの一回性、有限性。ある状態での、ある自分だったからこそ、出会えた人や風景がある。ある経験を経たからこそ、出会えたということがある。そんな出会いと、必然的に伴う別れを受け止めて、私たちは限りあることの尊さを知る。限りある命、限りある関係、限りある時間。そして、限りがあるからこれ美しいものがあることを知る。
この道は、誰かの道と、どこかで交わるけれど、交わった時、それを全身で享受できるだろうか。いつだって、生きるのは大変で、やりきれないことも多いけど、それでも人生は続く。生きてそこにある不思議。出会えたことの奇跡。限りあることの美しさ。私は自分の目の前にある事をいつも理解する努力をしてそれを感謝できるような人でありたいと願う。世界中には、私が想像するよりも、苦しい生活をしている人々が多数いるけれど、いつか世界中の皆が同じ環境で幸せに暮らせる事ができるように自分も誰かの役に立ちたいと願う。また、ボランティア活動を通して色々な人の手助けをしたいと思う。






CAS grandma

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↓outside of the house...so beautiful!!!
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↓Lunch at the school...the school provided us some rice and vegetable...we took the bowls and chopsticks from the kitchen n’ ate them together*
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