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2024.08.23
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テーマ:日本の医療(137)
カテゴリ:医療体験談



こんにちは。


前回は「断薬のススメ」を紹介しました。
次回に紹介する本も断薬に関係する本になりますが、


その前に、私の実家の祖母の話をしようと思います。
実家の祖母は90代前半に自宅で老衰の為亡くなりました。


最後は風邪で熱が出て呼吸困難になり実家の母が救急車を呼んだようですが
間に合わなかったようです。

介護が必要で寝たきりの状態が長かったわけではなく
長年、庭の草取りや部屋のお掃除などが日課で平家の敷地内を
きれいにしていました。

病弱で痩せていましたが、若い頃の農作業で鍛えていたせいでしょうか?
骨太でがっちりしていました。

亡くなる少し前までトイレも自分で出来てお風呂も両親の見守りで済み、
ご飯は食が細くなったものの、口から流動食をとれていました。

こうやって書くと、

祖母は健康的に生活して食事も美味しく食べて
晩年も生き生きと活動していたという絵を思い浮かべると
思いますがそうではありませんでした。

私が物心ついた頃、祖母は60代前半
いつも、どこか具合が悪そうにしていました。
病弱といえばわかりやすいでしょうか?

ご飯もお茶碗に半分、おかずもたまに手をつけるくらいで少食でした。

祖母の持病は何であるのか・・私が思春期の頃に聞いたのが

「自律神経失調症」という病名でした。


その為、精神科で安定剤を処方してもらって内服していました。
精神科に受診した経緯などは今となっては不明です。

今振り返ると心当たりは孫として推測出来ます。
祖母には子供が3人、私の父と下に2人の娘がいました。
私にとっては叔母にあたります。

嫁ぎ先で叔母達はいろいろな問題を抱えていました。
義理母との関係、旦那さんの問題、そして子供の病気などです。

ここで詳細は書けませんが、

子供ながらに「結婚したら幸せになるのではなく不幸になるのか」
と思うほどでした。

もし、私が祖母だったら・・・と想像したら相当辛かったに違いありません。
物心ついた頃から祖母の笑顔を見たことはほとんどありませんでした。


時は流れて、コロナ禍で内海先生の断薬セミナーの動画に辿り着いた時に、
祖母が精神科に通院していたことをを思い出し、
実家の母に祖母の事をいろいろ聞いてみました。

祖母は80代に入ってから顔がいつもピクピク動くようになり
動作が鈍くなってきた様子を見て、

両親は

「精神科で処方されていた薬が原因かもしれない、もうやめてもいいのではないか」と

祖母の精神科の受診と内服を辞めたそうです。

特に禁断症状はなかったと言っていましたが本当のところはわかりません。
また、祖母も軽くボケが始まっていたようでしたが、特に薬をやめることに
抵抗はなかったようです。

その後、顔のピク付きや動作の鈍さは改善して90前半まで長生きして
自宅で両親が看取りました。

あくまで推測ですが、

精神科から処方された薬をやめたことで寝たきりになり介護が必要
となる状態を回避出来、長生き出来たのではないかと思います。


私も出来るなら自宅で最後を迎えたいので、母からのこの話はとても参考になりました。





次回は「精神科は今日もやりたい放題」の本の紹介になります。








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Last updated  2024.08.31 13:31:19
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