2142208 ランダム
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新英語教育研究会神奈川支部HP

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アレン・ネルソンさん


文責:高木繁(千葉県高教組外国語県教研推進委員長)


アレン・ネルソンさんアレン・ネルソンさんとの平和を語る集会 ―戦争に行かせない「もう一つの生き方」―

 今年はアフリカ系アメリカ人で「反戦・平和」を心情とするクエーカー教徒で元アメリカ海兵隊員のアレン・ネルソンさんをアメリカからお招きした。
 まず、教員の研修会に招かれてとても光栄であり、今まで3年間に主に長野県等で57校の学校訪問をしたが、そこで気づかされたのは熱心な日本の教員の「ポケット・マネー」で様々な教具・教材が教育活動に使われていることだ。教育費が足りないと教員が自腹を切るが、自衛隊(員)は自分のポケットマネーで兵器・軍備を買わない。大量破壊兵器の購入費は本来,子供の教育や福祉に重点的に使われるべきものだ。
 昨年の9.11以降ブッシュ米大統領はイラク、北朝鮮を「ならず者国家」「悪の枢軸」と名指ししたが、戦争こそが「テロリズム」であり、そういう意味で我が米国こそ「テロリスト王」(the king of terrorits)である。広島・長崎で原爆を使い、また「東京大空襲」で無実の一般市民を「無差別殺人」したからだ。

●生い立ち
 1947年ニューヨークの貧民街で生まれ、家政婦をしていた未婚の母に私と姉妹3人は育てられた。ネズミやゴキブリが這いずり回る狭い部屋。貧困故に靴を姉と二日ずつ交替で履き、女物の靴を嘲笑した同級生を血が出る程殴った。悔しくて、「いじめっ子」だった。貧困は人間を簡単に「暴力的」な人間にしてしまう。 

●海兵隊入隊
 1965年に高校を中退し、「衣食住」の保証される念願の海兵隊に入隊した。母親は喜ぶどころか、嘆き悲しみ、泣き崩れてしまった。衣食住、教育、仕事に有り付けない貧困層の人にとっての唯一の選択肢は軍隊、海兵隊であった。夢にまで憧れた海兵隊の訓練は非常に厳しく、まず強歩等の「肉体訓練」そして、授業では「戦争の美学・技術」を学んだ。敵の殺し方、上官への絶対服従を叩き込まれ、軍曹が「お前達は何をしたいんだ」と大声で聞くと即座に「殺せ!」とライオンの様に唸り、怒鳴る特訓を受けた。
 この様に戦闘で敵を殺し、自分も死ぬ覚悟ができた人が戦士、海兵隊員であるのに、日米政府は[Peace Keeper:平和維持者]と呼んだ。平和を維持する訓練は一度も全く受けず、いかに殺すか、死ぬかが兵士なのだ。米国での訓練が終了し、一年後の1969年にベトナム行きが命じられた。

●沖縄米軍基地駐留
 その途中に沖縄に寄った。米軍施設のキャンプ・ハンセンでは米国ではやらなかった実弾射撃、戦車・戦闘機を使った様々な実際的な訓練を受けた。実弾射撃訓練での標的は頭や心臓ではなく、股間の急所であった。心臓を狙って一発で即死させる慈悲深さは軍隊にはない。死ぬまで何時間も泣き叫び、のたうち回り長い間もがき苦しんで殺されるのだ。 休日は沖縄の町に出て酒を飲み、「女」を求めた。泥酔しタクシー代を踏み倒したし、執拗に支払いを請求する運転手をボコボコにみんなで殴り、時には意識不明にさせた。金を要求する「女」も殴り倒された。兵士は日々「暴力の訓練」を受けているので、その身に付けた「暴力性」を基地の中に置いて出かけられないからだ。

●ベトナムの戦場で
 そして沖縄の訓練終了後に、ベトナム派遣が命じられ、「プラトゥーン」や「プライベートライアン」などの臭いの無い「戦争映画」を見ていたので、実際の戦争に行けるという嬉しさと興奮のあまり、前の晩は寝付けない位だった。しかし13ヶ月のベトナムのジャングルでの戦いは、映画と全く違い、ハンサムなヒーローも、音楽も、名誉もなかった。実際の戦争には叫び声、恐怖、死だけであり、最も傷つくのはいつも弱い女性、子供、老人なのだ。
 最初の新兵の初仕事は南ベトナムでの農夫の射殺であった。上官は海兵隊員の習慣である「おまえの勲章を切り取れ」と命令したが、敵の耳をナイフで切り取らなかった。その後、「人殺し」の度に息苦しさと目眩、無力感におそわれた。戦場は地獄だった。村を襲撃して手足がバラバラに吹き飛ばされた女・子供の「死体」を引っ付けてその数を数えた。「格好いい映画」と違い戦場には甘酸っぱく強烈な「死の臭い」「戦争の臭い」があり、ジャングルに逃げて隠れて死んだ兵士や老人の死体はハエの飛んでいる音や吐き気を催す強烈は死臭で簡単にその場所がわかる。戦争はルールがないので、人間を狂気に駆り立て、簡単に人の頭を切り落とし、女性をレイプし、子供・老人を虐待し殺す。これが戦争の本質なのだ。だから私たちはこの戦争というものを二度と起こさせてはいけない。

●避難壕で「出産」に遭遇
 ベトナム解放戦線の拠点を攻撃したある日、ベトコンの追撃砲で逆襲され、多くの海兵隊員が死傷したが、私は民家の避難壕に逃げ込んだ。その暗闇に怯えて怖い目つきで私を睨んでいる15,6才のベトナムの少女が起き上がって逃げようともせず、何か物を押し出そうとする荒い息づかいをし、大きな痛みに耐えかねているようだった。這って近づくと大きな腹と異常な出血が見えた。荒い息づかいと共に徐々に腹の下から頭が現れ差し出した私の両手に新しい命が収まった。その女性は赤子を奪い取ると歯でヘソの緒を噛み切り、布に包んでジャングルに消えた。海兵隊では「人殺し」を教えるが、「生命を生み出すこと」を教えない。母国の妹も同じ体験をするだろう。避難壕から出てきた自分は入った時の自分とは全く異なった自分に生まれ変わったようであった。私の異変に友人の海兵隊員も気が付いて「どうしたんだ」と尋ねたが、この出来事は誰にも話さなかった。
 この体験以来、銃は危険が差し迫った局面でした使えなくなった。またベトナムのお母さんや子供達とも仲良くできるようになり、軍から盗んで必要な「物資」を子供やお母さんにあげるようになった。こうした走り回り、逃げ回る女性の姿は安全な場所を探して貧民街を走り回る私のお母さんや姉妹の姿とダブって見えた。この出来事は何もベトナム戦争で初めて起きた出来事ではなく、この地球上の全ての戦争で起きていることなのだ。沖縄の軍事基地は昔と変わらない。相変わらす女性がレイプされ、湾岸戦争では沖縄から戦艦や爆撃機が出て行った。

●世界に誇るべき「日本国憲法9条」
 戦後から今まで幸運にも日本が「戦場」に兵士を送らなかったのはまさに「平和憲法9条」のお陰である。つまり戦後57年間もの間日本の「海外派兵・侵略」から護ってくれたのが「憲法9条」である。
 ほとんど全ての先進諸国は「軍隊」を他国に出兵させたが、「憲法9条」のお陰で日本は一度たりとも他国への出兵はできなかった。
 「憲法9条」はpowerful and beautifulで日本人が誇るべき「全世界の宝・財産」である。「憲法9条」の存在を知った時、キング牧師かマハトマ・ガンジーが起草したのではとさえ思った。米国のイラク爆撃が真実味を益々帯びてきている今だからこそ、圧力に屈して米国に盲目的に追随し、「軍隊の海外派兵」するのでなく、今度は「戦争・海外派兵」を禁止する「憲法9条」をみんなで「改憲阻止」する番である。
 「人殺し」を告白することは大変苦しいが、戦争は残酷で女・子供、老人、障害者等の社会の弱者を必ず不幸にすることを,そして平和の尊さを自分の体験を踏まえて世界中の多くの人達に伝えたい。そして戦争を本質・真実を後世に語り継ぐことは生き残ったものの使命である。直接デモなどに参加できなくても、反戦・平和への署名や献金など自分のできる身近なところから平和実現のために行動し始めよう!
                                      
★英文副教材<アレン・ネルソンの「戦争論」2>YOU DON’T KNOW WAR~Allen Says It’s Because of Article 9~
が、かもがわ出版 より5月10日付けで発売となりました。
これは、99年のI KNOW WAR ~Allen Cries Out For Peace~の第2弾です。
9.11からイラク問題、憲法9条についても深い指摘がぎっしりつまっています。




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