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2024/03/06(水)10:23

ブログ記事再読「カトリックは宗教ではなく政治勢力」

ブログ記事読み返し(97)

20年前の自分はよく学んでいた。学ばせてくれた40歳年上のUさんに感謝。2004.09.29 ジョン・ロック『寛容に関する書簡』+『ロック 市民政府論入門』(有斐閣新書)ひさしぶりに歴史を学ぶ面白さをかんじたので、そのことを書いておきたい。 ジョン・ロック『寛容に関する書簡』は難解。タイトルの通り「寛容」について書かれているのだが、その「寛容」の対象を判定するというミッション(?)が私に下った。(夏休みの宿題です) ロックの考える「寛容」の対象にはカトリック、プロテスタント、それともイスラムも入るのかな~と思って精読してみると、まずイスラムは対象外だと判明した。そして文中にある「為政者に寛容を求めることの出来ない教会」が何を指しているのかが理解できなかったので、大学時代に購入した『ロック 市民政府論入門』(有斐閣新書)を調べはじめた。するとそれはカトリックのことだということが判明した。ロック自身はプロテスタント、そしてロックの庇護者のシャフツベリー伯は反カトリックだったのだ。調べる前は勝手にカトリックにも寛容なのだろうと思いこんでいたので、やはり勉強しないとダメだなーと痛感。 この『ロック 市民政府論入門』を読んでの副産物として、私の長年の疑問が氷解した。私の疑問はなぜイギリスでカトリックとの闘争が激しいのかということ。「カトリックは他宗派を異端と断じ、これとの共存を否定し、全国民をカトリック化して、のちに教皇に統治権を手渡すか、さもなくば非カトリック君主への忠誠を神法に反するとして否認する。要するにカトリックは宗教ではなく、政治勢力だとするのが一般的なカトリック観だった」(p. 4) なるほど、当時のカトリックがそんな集団だとイギリスで思われていたとすれば、プロテスタントとカトリックとイギリス国教会の三つどもえで、歴史の中でお互いが血で血を洗う排除の仕方をしてきたというのも納得だ。 チャールズ2世が1670年にフランスと「ドーヴァー密約」を結び、その内容はチャールズ2世がカトリックに改宗したのが原因で内乱になったら「フランスが軍事援助すること」と反乱が起きたら「民心を外国に向けて逸らすこと」、具体的にはプロテスタント国のオランダとの敵対関係に民心を向けるよう画策する、という密約をだった、という解説を読んで、違う時代の「ひとごと」ではないなー、と感じた。 英語教育に関わる者として、芸当をする犬のような「その場的な反応しかできない人間」を養成するような教育には荷担したくないと強く思った。ものを考える人間を育てるには時間と根気がいる。自分のことを振り返って、そう思う。 やはり歴史を知るといろいろ見えてくる。ロックの考える「寛容」の対象にはカトリックやイスラムや無神論者や秘密結社は入らない。この発想、ピューリタンの流れを汲む現代アメリカにつながっているように感じる。 ロックの時代は私にとって遠くの存在だったが、ロックを調べることで、浮かんできた事実が面白く感じられた。

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